気長に見てやってください。
純粋なクリエイターなら作品の出来映えが全てだが、僕にとっては過程の方が重要なので、作品は自己満足できればそれで良いと思っている。というか、そう思いたい。
絵に限らず工作でもそう。作品が他者によって好評価されたとしても、それは目的ではない。
純粋なクリエイターなら作品の出来映えが全てだが、僕にとっては過程の方が重要なので、作品は自己満足できればそれで良いと思っている。というか、そう思いたい。
絵に限らず工作でもそう。作品が他者によって好評価されたとしても、それは目的ではない。
だが、欲張りなのだろうか? 僕はそこにプラスして、理想の人というものを表現したくなる。もっとも理想といっても神や仏のような存在じゃなくて、もっと手短かな理想ではあるが。
これはクリエイトには不要な要素だと分かっている。だから自分では絶対にクリエイターとは名乗らない。そういう者になろうとも思わない。絵を描いたり小説を書くのは、SNSで自分の考えを表明することと全く一緒の行為。
だから、こうしてポチポチしているのも絵を描くのと全く同じ感覚。
だが、欲張りなのだろうか? 僕はそこにプラスして、理想の人というものを表現したくなる。もっとも理想といっても神や仏のような存在じゃなくて、もっと手短かな理想ではあるが。
これはクリエイトには不要な要素だと分かっている。だから自分では絶対にクリエイターとは名乗らない。そういう者になろうとも思わない。絵を描いたり小説を書くのは、SNSで自分の考えを表明することと全く一緒の行為。
だから、こうしてポチポチしているのも絵を描くのと全く同じ感覚。
一見すると彼女には明確な意志は無いように見えるが、しっかりした理想を持っている。それは後半で明らかになってくる。ただ、理想にがんじがらめになってしまうと生き物としての体を維持することは逆に困難になってしまう。だから彼女は近視眼的な欲求に対しても素直なんだと思う。
絵として表現するのは、“生命としての発散”。
文章として表現するのは、“理想や理念”。
一見すると彼女には明確な意志は無いように見えるが、しっかりした理想を持っている。それは後半で明らかになってくる。ただ、理想にがんじがらめになってしまうと生き物としての体を維持することは逆に困難になってしまう。だから彼女は近視眼的な欲求に対しても素直なんだと思う。
絵として表現するのは、“生命としての発散”。
文章として表現するのは、“理想や理念”。
主観に基づいた理想が観念。固定された観念は悪ということになっている。真理から遠ざけ人間を苦しめる根本だからだ。
だけど、社会的理想つまり理念が存在する以上は観念も存在する。社会が先にあるのではなく個人の集合が社会を形成する。観念の集合が理念を生むと言っていいと思う。
研ぎ澄まされた観念は凶器になるが、そこに柔軟さを汲みすれば社会を変える力にもなる。
自分が何かをするときは、観念に従うのだけれども、理念を念頭に置いて動きたい。ストレートに欲を発散することには非常に抵抗がある。
主観に基づいた理想が観念。固定された観念は悪ということになっている。真理から遠ざけ人間を苦しめる根本だからだ。
だけど、社会的理想つまり理念が存在する以上は観念も存在する。社会が先にあるのではなく個人の集合が社会を形成する。観念の集合が理念を生むと言っていいと思う。
研ぎ澄まされた観念は凶器になるが、そこに柔軟さを汲みすれば社会を変える力にもなる。
自分が何かをするときは、観念に従うのだけれども、理念を念頭に置いて動きたい。ストレートに欲を発散することには非常に抵抗がある。
ここから逆算する形で物語は進んでいく。本当はこのパートを最初に書くべきだったかもしれない。でもそれは無いものねだり。積み重ねでしかここへは辿り着けないから。
ここから逆算する形で物語は進んでいく。本当はこのパートを最初に書くべきだったかもしれない。でもそれは無いものねだり。積み重ねでしかここへは辿り着けないから。
「何者かになる」とは、意思や想いを誰かに引き継ぐことをいうらしい。
僕はそれを引き継いでいるように思うし、それを残すために小説を書いたのかもしれない。
あまりに稚拙で、想いは誰にも引き継ぐことは出来なさそうだけど、書かずにはいられなかった。
「何者かになる」とは、意思や想いを誰かに引き継ぐことをいうらしい。
僕はそれを引き継いでいるように思うし、それを残すために小説を書いたのかもしれない。
あまりに稚拙で、想いは誰にも引き継ぐことは出来なさそうだけど、書かずにはいられなかった。
書いていても辛い内容なのだが、どうしても書いておきたかった。
今は事細かに描写するのが主流というが、かなり省いた内容になった。
そうしたのは、察して欲しいというか、「分かるでしょ」といったところ。
心底辛い時って何も考えられないし、余計なことは何も感じない。只々「悲しい」んだよ。目の前のことは意外と出来る。だけど、記憶として残らない。
エピソードが全部抜け落ちて「悲しかった」という記憶だけが残る。
書いていても辛い内容なのだが、どうしても書いておきたかった。
今は事細かに描写するのが主流というが、かなり省いた内容になった。
そうしたのは、察して欲しいというか、「分かるでしょ」といったところ。
心底辛い時って何も考えられないし、余計なことは何も感じない。只々「悲しい」んだよ。目の前のことは意外と出来る。だけど、記憶として残らない。
エピソードが全部抜け落ちて「悲しかった」という記憶だけが残る。
嘘と本当の中間くらいのつもり。
AIについては悲観しかしてない。便利になるとかそういうレベルの話じゃなくて、資本と知財を持った者がAI中心の世界を作ると思っている。AIが必要不可欠な世界。経済のど真ん中を仕切る世界。
もう始まってると思うけどね。
嘘と本当の中間くらいのつもり。
AIについては悲観しかしてない。便利になるとかそういうレベルの話じゃなくて、資本と知財を持った者がAI中心の世界を作ると思っている。AIが必要不可欠な世界。経済のど真ん中を仕切る世界。
もう始まってると思うけどね。
前にも書いたがバッドエンド。大枠は決まっているが、この頃は普段AIのことばかり考えているので、そっちのネタになるだろう。
人間がAIに翻弄される世界。現実も恐らくそうなる。十数年後の話だが。
今、のほほんとしている人はその時いったい何を思うだろう。
前にも書いたがバッドエンド。大枠は決まっているが、この頃は普段AIのことばかり考えているので、そっちのネタになるだろう。
人間がAIに翻弄される世界。現実も恐らくそうなる。十数年後の話だが。
今、のほほんとしている人はその時いったい何を思うだろう。
だから僕のように好き勝手なことを言う場所ではない。
分かってはいても、思っていることは表に出さないと気が済まない性分。
だから僕のように好き勝手なことを言う場所ではない。
分かってはいても、思っていることは表に出さないと気が済まない性分。
立場地位ではなくて影響度と必要性。
立場地位ではなくて影響度と必要性。
素直に受け入れた方が恐らく良い結果を招くような予感がしている。
素直に受け入れた方が恐らく良い結果を招くような予感がしている。
その時が来たと思ったら受け入れる。すると、頭がすっきりして次のことが考えられるようになる。
当然、後悔は残るし一生忘れられないと思う。でも、それも自分の肥やしになるんだよね。
その時が来たと思ったら受け入れる。すると、頭がすっきりして次のことが考えられるようになる。
当然、後悔は残るし一生忘れられないと思う。でも、それも自分の肥やしになるんだよね。
無理して抗するより受け入れた方が後々良い結果を招くことが多いように思う。
今がその時なのかもしれない。
無理して抗するより受け入れた方が後々良い結果を招くことが多いように思う。
今がその時なのかもしれない。
人の価値というのはね、物じゃなくて
何をするかで決まるんだよ。
人の価値というのはね、物じゃなくて
何をするかで決まるんだよ。
餌があるところには欲が集まる。
餌があるところには欲が集まる。
こっちの方が居心地が良くて来るなら意味はあると思う
こっちの方が居心地が良くて来るなら意味はあると思う
当然ハッピーエンドでは終わらない。でも、見方によってはハッピーエンドなのかもしれない。
当然ハッピーエンドでは終わらない。でも、見方によってはハッピーエンドなのかもしれない。
漫画描けば両方だろって言われそうだけど、小説にして面白いものを漫画にしても面白いかといえば、面白い場所が違うのよ。
絵はストレートに知覚する。見たものがそのまま印象として残る。
文章はそうはいかない。読んで想像して感じて、初めて印象に残る。
登場人物に寄り添うためには、僕にとっては小説の方が好ましい。
漫画描けば両方だろって言われそうだけど、小説にして面白いものを漫画にしても面白いかといえば、面白い場所が違うのよ。
絵はストレートに知覚する。見たものがそのまま印象として残る。
文章はそうはいかない。読んで想像して感じて、初めて印象に残る。
登場人物に寄り添うためには、僕にとっては小説の方が好ましい。
そして、衣食住の生産と流通に必要な物資を国内だけで賄えるようになれば、ほとんどの社会問題は自然と解決へ向かう。
そして、衣食住の生産と流通に必要な物資を国内だけで賄えるようになれば、ほとんどの社会問題は自然と解決へ向かう。
僕が簡単な言葉遣いで書くのは、誰でも気楽に楽しめるように配慮しているんですよ。
(嘘です)
僕が簡単な言葉遣いで書くのは、誰でも気楽に楽しめるように配慮しているんですよ。
(嘘です)
だけど、主人公の連れの悠太くんは幸せになる。普通の人だから。
現実もそうなって欲しいというか、それがベースにないと世の中はうまく回らない。
だけど、主人公の連れの悠太くんは幸せになる。普通の人だから。
現実もそうなって欲しいというか、それがベースにないと世の中はうまく回らない。