1959年の録音、管弦楽はフィルハーモニア管
聞きながら古色蒼然という言葉が浮かんだ。あるいは鬱蒼と仄暗いドイツの森…行ったことないけど。とまれ畏怖を感じる遠く深い世界、生半可な感情移入なんか跳ね返されてしまう、幾ら言葉を並べてもその音楽に及ばない。
1959年の録音、管弦楽はフィルハーモニア管
聞きながら古色蒼然という言葉が浮かんだ。あるいは鬱蒼と仄暗いドイツの森…行ったことないけど。とまれ畏怖を感じる遠く深い世界、生半可な感情移入なんか跳ね返されてしまう、幾ら言葉を並べてもその音楽に及ばない。
1987年の録音
米国スミソニアン博物館が制作した、エロイカに至るベートーヴェン初期作曲集という6枚組セット所収の1枚。HIPのエロイカの中でも大好きな演奏。演奏家の主張に嫌味がなく、落ち着いて新鮮な楽音に身を任せると感興が湧いてくる。
1987年の録音
米国スミソニアン博物館が制作した、エロイカに至るベートーヴェン初期作曲集という6枚組セット所収の1枚。HIPのエロイカの中でも大好きな演奏。演奏家の主張に嫌味がなく、落ち着いて新鮮な楽音に身を任せると感興が湧いてくる。
1975年の録音、管弦楽はウィーンフィル
オープンリールの時間
復活交響曲を最初に聞いたのはこの演奏じゃなかったかな、FMで聞いた。もちろん何にもわからなかった、冒頭はカッコ良いなぁと思ったけど。けれどそれから何度も聞いて今では忘れられない名演となった。
1975年の録音、管弦楽はウィーンフィル
オープンリールの時間
復活交響曲を最初に聞いたのはこの演奏じゃなかったかな、FMで聞いた。もちろん何にもわからなかった、冒頭はカッコ良いなぁと思ったけど。けれどそれから何度も聞いて今では忘れられない名演となった。
1981年のリリース
冬になるとこのレコードを聞きたくなる、一千一秒物語の情景に憧れて。この年の夏ロングバケーションがリリースされ、冬にこのアルバムがリリースされた、大瀧詠一のピークだったんだと思う。大学1年の夏から冬、学生寮でずっと仲間と一緒に過ごした汗臭い日々。
1981年のリリース
冬になるとこのレコードを聞きたくなる、一千一秒物語の情景に憧れて。この年の夏ロングバケーションがリリースされ、冬にこのアルバムがリリースされた、大瀧詠一のピークだったんだと思う。大学1年の夏から冬、学生寮でずっと仲間と一緒に過ごした汗臭い日々。
1935年の録音、管弦楽はウィーンフィル
典雅で古典的な演奏、自然で流れるような造形は理に適った真正なもの…というのがこの演奏を聞いての私の感想。ベートーヴェン演奏の規範となる名演。巷間云われる作曲の改竄者という批難は全き的外れなものと感じられる。
1935年の録音、管弦楽はウィーンフィル
典雅で古典的な演奏、自然で流れるような造形は理に適った真正なもの…というのがこの演奏を聞いての私の感想。ベートーヴェン演奏の規範となる名演。巷間云われる作曲の改竄者という批難は全き的外れなものと感じられる。
1964年の録音、管弦楽はクリーヴランド管
きりっと引き締まった澄明な管弦楽から躍動感が立ち昇る第1楽章、叙情的な中間楽章を挟んで闊達な終楽章に至る。ブラームスの周到な作曲が醸すロマン派と古典派の二つの相貌が何方に偏ることなく均衡を保って造形される。
1964年の録音、管弦楽はクリーヴランド管
きりっと引き締まった澄明な管弦楽から躍動感が立ち昇る第1楽章、叙情的な中間楽章を挟んで闊達な終楽章に至る。ブラームスの周到な作曲が醸すロマン派と古典派の二つの相貌が何方に偏ることなく均衡を保って造形される。
1976年の録音、管弦楽はシカゴ響
DGのTHE ORIGINAL SOURCEでの待望のリイシュー。8chマスターからのリミックス・カッティングで未曾有の高音質と謳われているが、その成果は…徹頭徹尾グラモフォンの音調だった。眼前いっぱいに広がる音の壁画、奥行きは無い。
1976年の録音、管弦楽はシカゴ響
DGのTHE ORIGINAL SOURCEでの待望のリイシュー。8chマスターからのリミックス・カッティングで未曾有の高音質と謳われているが、その成果は…徹頭徹尾グラモフォンの音調だった。眼前いっぱいに広がる音の壁画、奥行きは無い。
1960年の録音、管弦楽はコロンビア響
ジュリーニが聖チェチーリア音楽院でヴィオラを弾いていた頃にワルターが客演し、末席のヴィオラ奏者の為の協奏曲を指揮してくれているようだったと回想していた。コロンビア響に参集した音楽家も同じ気持ちだったろう。
1960年の録音、管弦楽はコロンビア響
ジュリーニが聖チェチーリア音楽院でヴィオラを弾いていた頃にワルターが客演し、末席のヴィオラ奏者の為の協奏曲を指揮してくれているようだったと回想していた。コロンビア響に参集した音楽家も同じ気持ちだったろう。
1988年の録音、クロノスQの演奏に様々なテープ音源をモンタージュ。
音楽は時間の芸術と云われるが、時間の概念も世に連れ変わってきたのかも知れない。それでも今は今此処にしかないし、自分は此処にしか居られない。行き場の無い思考がぐるぐる廻る。
1988年の録音、クロノスQの演奏に様々なテープ音源をモンタージュ。
音楽は時間の芸術と云われるが、時間の概念も世に連れ変わってきたのかも知れない。それでも今は今此処にしかないし、自分は此処にしか居られない。行き場の無い思考がぐるぐる廻る。
1971年の録音、管弦楽はシュターカペレ・ドレスデン
カペレのブラームスを堪能させてくれる名盤。旧東独ETERNAの録音が良くて、ブラームスの緻密な作曲の様々な楽器が楽想を表と裏で役割を分かちながら編み込む様を、カペレの親密な合奏が教えてくれる。
1971年の録音、管弦楽はシュターカペレ・ドレスデン
カペレのブラームスを堪能させてくれる名盤。旧東独ETERNAの録音が良くて、ブラームスの緻密な作曲の様々な楽器が楽想を表と裏で役割を分かちながら編み込む様を、カペレの親密な合奏が教えてくれる。
1984年の録音、管弦楽はウィーンフィル
冬の肌を刺すような空気を感じるとこの曲を聞きたくなる。厳しい自然と対峙し、抗うでなく流されるでなく、其処に立ち続ける孤高の護り人の姿を思い浮かべる。それは往時の音楽界の中に居たジュリーニの姿を重ねて見ている。
1984年の録音、管弦楽はウィーンフィル
冬の肌を刺すような空気を感じるとこの曲を聞きたくなる。厳しい自然と対峙し、抗うでなく流されるでなく、其処に立ち続ける孤高の護り人の姿を思い浮かべる。それは往時の音楽界の中に居たジュリーニの姿を重ねて見ている。
1967年の録音、管弦楽はクリーヴランド管
大理石のモーツァルト。ギリシャ彫刻のように優美だが甘美ではなく、柔軟性に欠けることはないが感傷に与することのない、毅然とした造形。まさにClassic、古典/規範を体現した名演。
1967年の録音、管弦楽はクリーヴランド管
大理石のモーツァルト。ギリシャ彫刻のように優美だが甘美ではなく、柔軟性に欠けることはないが感傷に与することのない、毅然とした造形。まさにClassic、古典/規範を体現した名演。
1971年の録音、管弦楽はウィーンフィル
オープンリールの時間
この演奏をなんと讃えよう。ウィーン国立歌劇場合唱団の真情溢れる歌声が響いた瞬間から音楽に連れ去られる。宙空に引き揚げられ、或いは嘆きの淵に深く沈み、そこに開かれた世界を追体験する。
1971年の録音、管弦楽はウィーンフィル
オープンリールの時間
この演奏をなんと讃えよう。ウィーン国立歌劇場合唱団の真情溢れる歌声が響いた瞬間から音楽に連れ去られる。宙空に引き揚げられ、或いは嘆きの淵に深く沈み、そこに開かれた世界を追体験する。
1954年の演奏会録音、フルトヴェングラー指揮ベルリンフィルが伴奏を務める。
昨日がアマデウスの祈念日だったので、1日遅れてこのレコードを聞く。フルトヴェングラーの血気迫る管弦楽にピアノが一体となって「ニ短調」の世界に誘う。
1954年の演奏会録音、フルトヴェングラー指揮ベルリンフィルが伴奏を務める。
昨日がアマデウスの祈念日だったので、1日遅れてこのレコードを聞く。フルトヴェングラーの血気迫る管弦楽にピアノが一体となって「ニ短調」の世界に誘う。
1985年の録音
強靭な祈り…この音楽を聞き終えて何を言えるだろう。巨匠の生涯最後の録音となったが衰えや死の影などこれっぽっちも感じさせない。けれどこの音はこの世のものではない、天上か冥界かいずれ此岸でない彼岸から響いて来る音だ。
1985年の録音
強靭な祈り…この音楽を聞き終えて何を言えるだろう。巨匠の生涯最後の録音となったが衰えや死の影などこれっぽっちも感じさせない。けれどこの音はこの世のものではない、天上か冥界かいずれ此岸でない彼岸から響いて来る音だ。
1967年の録音、ゲオルク・フィッシャー指揮イギリス室内管が伴奏を務める。
ポップの最初に制作されたリサイタルアルバムで他にモーツァルトとベンデルの作曲からコロラトゥーラの為のアリアを収めた名盤。聞き惚れて陶然。
1967年の録音、ゲオルク・フィッシャー指揮イギリス室内管が伴奏を務める。
ポップの最初に制作されたリサイタルアルバムで他にモーツァルトとベンデルの作曲からコロラトゥーラの為のアリアを収めた名盤。聞き惚れて陶然。
1954年の演奏会録音、管弦楽はフィルハーモニア管
壮年期の熱狂は無く、内省的で澄明な造形の内側に精神を顕す炎は燃えていて聞き手の心を照らす。翌年にウィーンフィルとのセッションが予定されていたが果たされなかった。この演奏を聞いて、その先にあったものを夢想する。
1954年の演奏会録音、管弦楽はフィルハーモニア管
壮年期の熱狂は無く、内省的で澄明な造形の内側に精神を顕す炎は燃えていて聞き手の心を照らす。翌年にウィーンフィルとのセッションが予定されていたが果たされなかった。この演奏を聞いて、その先にあったものを夢想する。
1954年の録音、管弦楽はウィーンフィル
美は形式に宿る…誰が言ったんだっけ。
ふるをた小僧の頃は、実演でこそ真価を発揮した巨匠の演奏はライヴに限ると、次々発売される『新発見』録音に跳び付いた。いろいろ一巡して、今この演奏の立派なことに心の底から感銘を受ける。
1954年の録音、管弦楽はウィーンフィル
美は形式に宿る…誰が言ったんだっけ。
ふるをた小僧の頃は、実演でこそ真価を発揮した巨匠の演奏はライヴに限ると、次々発売される『新発見』録音に跳び付いた。いろいろ一巡して、今この演奏の立派なことに心の底から感銘を受ける。
1952年の録音、管弦楽はウィーンフィル
オープンリールの時間。
今日は巨匠の祈念日で、ならばとこのテープを引っ張り出した。巨匠の全録音の中でも1番に挙げられる名演。EMIの録音は優れたものだがテープは東芝リリースのブライトクランク版で雄大な音場を想像させる。
1952年の録音、管弦楽はウィーンフィル
オープンリールの時間。
今日は巨匠の祈念日で、ならばとこのテープを引っ張り出した。巨匠の全録音の中でも1番に挙げられる名演。EMIの録音は優れたものだがテープは東芝リリースのブライトクランク版で雄大な音場を想像させる。
1952年の録音、管弦楽はNBC響
苦悩を通して歓喜へ…とベートーヴェンの音楽は喩えられるが、トスカニーニの演奏は始めから運命を叩きのめす勢いだ。降って湧いた運命を嘆いたり葛藤してる暇はない、与らば木っ端微塵に打ち砕くまで。運命が悲鳴を上げて逃げだす。
1952年の録音、管弦楽はNBC響
苦悩を通して歓喜へ…とベートーヴェンの音楽は喩えられるが、トスカニーニの演奏は始めから運命を叩きのめす勢いだ。降って湧いた運命を嘆いたり葛藤してる暇はない、与らば木っ端微塵に打ち砕くまで。運命が悲鳴を上げて逃げだす。
1953年の録音、管弦楽はNBC響
「これはナポレオンでもムッソリーニでもない、アレグロ・コン・ブリオだ」と言って巨匠が演奏を始めたのは有名な話だ。嘗て云われた楽譜に忠実な演奏でないことも今ではよく知られたことだ。今はこの強靭な演奏に勇気を貰う。
1953年の録音、管弦楽はNBC響
「これはナポレオンでもムッソリーニでもない、アレグロ・コン・ブリオだ」と言って巨匠が演奏を始めたのは有名な話だ。嘗て云われた楽譜に忠実な演奏でないことも今ではよく知られたことだ。今はこの強靭な演奏に勇気を貰う。
1976年の録音、管弦楽はシュターカペレ・ドレスデン
最初の音が鳴った瞬間にハっとする間もなく心を持っていかれる純音楽の窮み。週に一回このTechnics,SL10を動かすルーティンを疎かにしていた。心を引き締めて規則正しい生活を心がける。
1976年の録音、管弦楽はシュターカペレ・ドレスデン
最初の音が鳴った瞬間にハっとする間もなく心を持っていかれる純音楽の窮み。週に一回このTechnics,SL10を動かすルーティンを疎かにしていた。心を引き締めて規則正しい生活を心がける。
1975年の録音
バッハの有名なコラールをピアノ編曲して演奏したもの。他にヘンデルとグルックの曲も収める。幾つかの曲はバッハ自身がオルガン編曲した楽譜が存在するが、オルガンも良く弾くケンプ自身なよる編曲で、聞き慣れたメロディがピュアに顕れ心に沁みる。
1975年の録音
バッハの有名なコラールをピアノ編曲して演奏したもの。他にヘンデルとグルックの曲も収める。幾つかの曲はバッハ自身がオルガン編曲した楽譜が存在するが、オルガンも良く弾くケンプ自身なよる編曲で、聞き慣れたメロディがピュアに顕れ心に沁みる。
1954年の録音、管弦楽はシカゴ響
FMで「2001年宇宙の旅」の音楽としてこの曲の冒頭を聞いた時に、カッコいいなぁ…つあらすとら?…というのをきっかけにクラシック音楽に興味を持つことになった。思春期だったなぁ(^_^;)
1954年の録音、管弦楽はシカゴ響
FMで「2001年宇宙の旅」の音楽としてこの曲の冒頭を聞いた時に、カッコいいなぁ…つあらすとら?…というのをきっかけにクラシック音楽に興味を持つことになった。思春期だったなぁ(^_^;)
1981年の録音
Sheffield Labの名盤。嘗てダイレクト・ディスク・レコーディングで一世を風靡したこのレーベルで私が一番好きなのがこのレコード。意外とあっさりした音調で肩透かしを喰ったような気がするけど、透き通った音色はいつまでも聞いていたくなるもの。
1981年の録音
Sheffield Labの名盤。嘗てダイレクト・ディスク・レコーディングで一世を風靡したこのレーベルで私が一番好きなのがこのレコード。意外とあっさりした音調で肩透かしを喰ったような気がするけど、透き通った音色はいつまでも聞いていたくなるもの。