ほたる
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glassylake.bsky.social
ほたる
@glassylake.bsky.social
……とまあ、私がなぜ男性性を憎むのか、という話です。私は私の中にある男性性を受容するためにも、それを前向きに働かせて利用していきたい。親世代の男性たちの陰鬱な背中が大嫌いだ。100点じゃなくていいから、10点でも20点でも獲得したらいいじゃないか。それが必ず次の何かに繋がるのだから。欲望があるなら乗りこなせばよろしい。既成の道徳や倫理観なんてクソ食らえ。何が正しかったのかは100年後の私たちが決めることで、今の私たちが決めることではない。悪者になったとしても、何かを守ることができるたならばそれが普遍的価値だ。
February 7, 2026 at 10:42 AM
空虚で行き場のない闘争のために、不条理な差別を受け、透明化されて存在しない者かのような扱いを受けてきた人々は知っている。消費活動による闘争が何を犠牲にしてきたのかを。ただそれを声にして社会に訴えるだけの力を持つ人間が少ないだけだ。言葉になって闘争の場に出てこないからといって、その怒りや悲しみや苦痛がなくなるわけではない。その傷痕が私たちの世代に残した抑圧されたエネルギーは、この社会のなかに確実に溜め込まれている。そのエネルギーが負の方向に傾いて噴出したときに、動揺している様子は滑稽ですらある。あなたたちが見ないフリをしてきたものの結果なのに。
February 7, 2026 at 10:42 AM
私たちの親世代は、自己利益と欲望を追求してもキリがないということを身をもって感じたのではないか。そこに幸福がないことを身をもって知ったのではないか。その結果なんだ?戦争を求めたりして何がしたい?無垢な子どもたちにニヒリズムを押し付けて何がしたい?自分たちは苦しかったからその苦労を理解してもらいたいだけだろう。エゴの追求に飽きたなら他者のために生きたらいいのではないか?くだらない闘争を長引かせようとするな。
February 7, 2026 at 10:42 AM
さて、私たちの親の世代が直面してきた問題とは何だったか。政治や革命運動、理想を求める求道的な価値観を、科学的思考によって社会を分析するという仕事が解体し、庶民は「大きな物語」に参加するという夢に酔うことができなくなった。庶民は代わりに消費活動に酔った。資本主義はあらゆる特権を民間に卸し、平等な社会が実現されたような空気が醸成された。消費活動に参加し市場原理に従う市民、という概念のなかでは差別がなくなった。自己利益と欲望の追求は肯定された。闘争は「何を消費するか」というマウントの取り合いに形になり社会に埋め込まれた。
February 7, 2026 at 10:42 AM
そのような生物の性質を、自己犠牲という言葉にして美化したり卑下したりすることに意味はない。重要なのは、私たちが私たちの本質を「自己利益や欲望を満たすために闘争するもの」と認識するのと「他者や何か精神的な対象のためにエゴを捨てることができるもの」と認識するのとでは、人間観が全く変わってしまうのではないか、という観点にこそ私が重視したい意味がある。
February 7, 2026 at 10:42 AM
生存が脅かされるほどの環境にあるわけではないにも関わらず、「帝王」にならなければ生き残れない、もしくは生きる価値がない、という認知の歪みが、人間を絶望とニヒリズムに追い込み、暴力が支配する世界観に彼らを閉じ込めてしまう。少し考えればわかることだが、生物は自らの欲望のために死ぬことはない。生物は意外なほどに、他の生物のために死ぬものだし、人間に至っては何か精神的な対象のために個を捨てることに躊躇のない存在だ。
February 7, 2026 at 10:42 AM
社会において、人間は社会化された生存競争(以下「闘争」と呼ぶ)を行なっているのだ、という認識を現実的認識だとする意見は根強いが、誰も他者を積極的に殺したくて殺しているのではない。学校におけるいじめ問題を省みれば明らかだが、閉じられた空間に押し込められ、闘争を煽る空気があり、「帝王か、しからずんば無か」というような極端な価値観を何らかの理由で内面化した人物が、自らの能力が帝王の資格に満たないと絶望した場合にその自己自身を受け入れられず、周囲の弱い存在を攻撃することで憂さ晴らしをしている、という構造がある。
February 7, 2026 at 10:42 AM
私は現代社会において、男女間で明らかな不均衡があるために、不必要なジャッジメントを女性が受けているということは自明であると思っているので、この社会構造の歪みは是正されるべきだとするフェミニズム運動に関して積極的に参画したいと思っている。ただ、過剰に男女差を評価しない(無いものとする)方に働いてしまえば、それは新たな分断と抑圧を生み出してしまうので良くないと思っている。
February 7, 2026 at 10:42 AM
ただ最近思うのは、私が嫌悪しているのは「卑屈な男性性」であり、むしろ前向きで健康的な男性性に対しては好意的に捉えているということなんですよね。「卑屈な男性性」という概念は、すごく雑に言い換えると「ニヒリズムを自力で克服できない弱さ」であり、この問題に正面から向き合っている哲学者はニーチェなんですよ。しかし、「有害な男性性」を肯定しようとする自説を強化するためにニーチェを援用する男性は多く、率直にそのようなニーチェ哲学の解釈は誤っていると思うのだけれど、それをはっきりと言語化できるほど知識を持っていない、というのが正直なところ。ヒトラーがニーチェ哲学を自説の強化のために援用していたのは有名な話
February 7, 2026 at 10:42 AM