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映画や小説について書いています。

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#吉田大八 監督による2025年作『#敵』における〈敵〉の正体とはなんだったのか、ラストはどのような意味だったのか。
『裏窓』などのメタ的言及や、デヴィッドリンチ『マルホランド・ドライブ』との類似性を元に書いた文章を公開しました。

鑑賞後のお供として是非どうぞ!



〈敵〉はスクリーンの向こうにいる。 —— 吉田大八『敵』
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〈敵〉はスクリーンの向こうにいる。 —— 吉田大八『敵』|川
吉田大八監督による2025年作『敵』において、観客に残される謎は〈敵〉の正体と、ラストの演出の意味だろう。この文章では、アルフレッド・ヒッチコック『裏窓』の引用にも見られるような、この映画に埋め込まれたメタ的な言及を中心に、〈敵〉の正体、そして主人公である渡辺儀助の辿る顛末を紐解いていく。 ※ 吉田大八『敵』、デヴィッド・リンチ『マルホランド・ドライブ』のネタバレを含みます。 ...
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March 5, 2025 at 1:25 AM
呪術廻戦はどういう話だったのか、虎杖悠仁の辿り着いた言葉はどういう意味だったのか。呪術師や呪いや呪霊は何の比喩だったのか。みたいなところを、虎杖悠仁と両面宿儺、五条悟を中心に書きました!

思いっきりネタバレあるので読んだ方のみ是非

#呪術廻戦  #呪術本誌

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宙を漂うもの、呪いの排除と肯定 —— 呪術廻戦論|川
誰か、もしくは何かとの関わりのなかで腑に湧き上がるストレスや負の感情。それら感情が肉体の外へと漏れ出したものが、『呪術廻戦』における「呪力」である。あらゆる人々から発された呪力は宙を漂い、降り積もり形を成す。それが「呪霊」である。作中において「呪い」とは、まずこれら二つを指す言葉として使われている。 呪いは、それを発した人がいなくなった後も世界に残り、他の人から発された呪いと結合しながら漂い続け...
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December 5, 2024 at 2:13 PM
ヴィム・ヴェンダース 『PERFECT DAYS』は平山の生活を理想化しているのではなく PERFECT と KOMOREBI という両義的な視点から捉えたものであり、繰り返しによって東京の揺らぎと変容を捉えようとした映画である、という文章を今更ながら書きました

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ヴィム・ヴェンダース 『PERFECT DAYS』 における東京と、木漏れ日について。|川
ヴィム・ヴェンダース監督による 2023 年の映画『PERFECT DAYS』について。 この映画は、渋谷区で2020年から行われている「THE TOKYO TOILET」というプロジェクトを元に作られた映画となっています。渋谷区の公共トイレって以前は本当に汚かったんですが、それを安藤忠雄など、著名な建築家やクリエイターのデザインによって作り替え、清掃などのメンテナンスもしっかりして、綺麗で美し...
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August 20, 2024 at 9:03 AM
ジェルメーヌ・デュラック『旅への誘い』について書きました。『微笑むブーデ夫人』や全面的に引用されているボードレールの「旅への誘い」との関係性を中心に書いています。是非にどうぞ。

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ジェルメーヌ・デュラック『旅への誘い』| 演じられた世界の外 (2)
「旅への誘い」を引用した『旅への誘い』もまた「恋人たちの死」を引用した『微笑むブーデ夫人』の変奏のような作品となっている。ボードレールの二つの詩と同様に、どちらの作品においても主人公は囚われながらも〈私たち〉として劇中世界には存在しないかもしれない光景を、内的世界を通して見ようとする。『旅への誘い』は『微笑むブーデ夫人』において実現されなかったその光景を、再び実現しようとした作品として捉えることも...
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February 21, 2024 at 9:36 AM
ジェルメーヌ・デュラック『微笑むブーデ夫人』についての文章を公開しました。最後に現れる謎めいた人形劇、神父、〈劇場〉という文字は何を意味するのか、を中心に書いています。是非、読んでいただければ嬉しいです。

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ジェルメーヌ・デュラック『微笑むブーデ夫人』| 演じられた世界の外 (1)
淡々と、灰色に映されていく住宅街。低いアングルから撮影された街の空は狭い。舞台となる地方の住宅街を固定で捉えたショットに〈閑静な住宅街の表情の裏には、魂が...情熱が...〉という中間字幕が続く。そして家の中で一人、ピアノを弾く女性の指が映される。タイトルの指すブーデ夫人(Madame Beudet)である。彼女が弾いているのはドビュッシーの『雨の庭』であり、演奏する彼女には雨あがりの庭の風景が見...
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February 20, 2024 at 3:35 PM
カール・TH・ドライヤー 『裁かるゝジャンヌ』について。

映画内の空間はクロースアップによって断片化されている。ジャンヌ・ダルクは他人物から切り離された空間に属しており、それら空間を視線によって繋ぎ止めている。

クロースアップが映そうとするのは表情であると同時に、その視線の先である。ジャンヌ・ダルクの視線はどのように転換し、そして誰に受け継がれているか。こちらも、100年近く前の映画をなぜ、今見るのかという点を考えながら書いています。

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カール・TH・ドライヤー『裁かるゝジャンヌ』| 視線と断片
ジャンヌはもう既にカメラの中にいない。カメラは彼女のあった場所、炎の中に空と十字架を映し出す。彼女の視線によって繋ぎ止められていた空間は引き裂かれる。しかし、ジャンヌの視線は彼女を目撃した誰かが受け継いでいるのだろう。この映画が映し出すのはジャンヌであり、そうでない。
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February 20, 2024 at 3:34 PM
川端康成『雪国』について書きました。冒頭のトンネルを抜けた先に広がる一面の雪景色とは、劇場の入り口を抜けた先に広がる白いスクリーンの比喩なのではないか、窓に反射して映る葉子はスクリーンに映る女優なのではないか、という点から映画を軸に読み返した文章となっています。

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February 20, 2024 at 3:33 PM