こと、ことと。山裾に黃緑色の汽車が光った。こと、ことと。新緑を映す車窓に、男の頭がごつりと会した。また、ごつり。隣のボックス席で氷菓を掬っていた娘らが、喉を震わせて笑った。木の匙に水の滴った。ブツっ、と車内音声が入り、車掌が案内を喋る。「閒もなく、ご乘車の汽車は、猫の目驛に到着します。到着は二番ホーム‥‥‥」娘らがうたた寝の男の肩を叩いた。「おぢさん!起きろ!」「この驛だよう」「さうさう。猫の目さんの驛よ」「猫の目さん。起きろ~」鄙びた駅の短いホームへと汽車が止まると、恰幅のいい男が押し出された。男はトランクを下ろすと、太い両腕を眞昼の空へと上げた。シャツの釦が跳んだ。
こと、ことと。山裾に黃緑色の汽車が光った。こと、ことと。新緑を映す車窓に、男の頭がごつりと会した。また、ごつり。隣のボックス席で氷菓を掬っていた娘らが、喉を震わせて笑った。木の匙に水の滴った。ブツっ、と車内音声が入り、車掌が案内を喋る。「閒もなく、ご乘車の汽車は、猫の目驛に到着します。到着は二番ホーム‥‥‥」娘らがうたた寝の男の肩を叩いた。「おぢさん!起きろ!」「この驛だよう」「さうさう。猫の目さんの驛よ」「猫の目さん。起きろ~」鄙びた駅の短いホームへと汽車が止まると、恰幅のいい男が押し出された。男はトランクを下ろすと、太い両腕を眞昼の空へと上げた。シャツの釦が跳んだ。
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男は階段の段を踏みながら、事務所で見た男の頭を思った。駐車場に車を止めてから案内所を経て「観光課」に至るまで、男しかいなかった。足で男一頭を踏む。段の半ばを踏む足はカウントなしで、また足で男一頭を踏む。ス ース。また、ス ース。
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空に丸い影が通った。男の頭を踏み終えた男は、丸い影を探った。いったい幾つの爆弾を載せているのかと、それも探った。
完 (k.240801)
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男は階段の段を踏みながら、事務所で見た男の頭を思った。駐車場に車を止めてから案内所を経て「観光課」に至るまで、男しかいなかった。足で男一頭を踏む。段の半ばを踏む足はカウントなしで、また足で男一頭を踏む。ス ース。また、ス ース。
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空に丸い影が通った。男の頭を踏み終えた男は、丸い影を探った。いったい幾つの爆弾を載せているのかと、それも探った。
完 (k.240801)
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カートの止められた所には、新しい物と古い物と、二つの看板が並んでいた。右の看板は錆びと穴が来て何ものも読み取れはしなかったが、左の看板は真っ新だった。青地に白抜き文字で「村営・世界 階段」と書かれてあった。記名した同意書類にも、事務所の看板にも市営とあったので男は尋ねた。「ここは市営でしたよね?」「あ。市営ですよ」「このぉ看板が、古いんですぅ」「古い?」「え。古いですね」近くの港を発った影が空を過ぎった。「こっちの、もっと古い看板は?」錆びた看板のことを尋ねると、「あ、はは」、「うふふぅ」と笑われた。「え。こちらへ」
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カートの止められた所には、新しい物と古い物と、二つの看板が並んでいた。右の看板は錆びと穴が来て何ものも読み取れはしなかったが、左の看板は真っ新だった。青地に白抜き文字で「村営・世界 階段」と書かれてあった。記名した同意書類にも、事務所の看板にも市営とあったので男は尋ねた。「ここは市営でしたよね?」「あ。市営ですよ」「このぉ看板が、古いんですぅ」「古い?」「え。古いですね」近くの港を発った影が空を過ぎった。「こっちの、もっと古い看板は?」錆びた看板のことを尋ねると、「あ、はは」、「うふふぅ」と笑われた。「え。こちらへ」
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書類にサインして事務所を出ると、新品のカートに乗せられた。濃いグレーのパンツの男が、「あ。出しますよ」と言ってハンドルを回すと、ハンドルに被せられたビニールがしゅと鳴った。後ろの席に座った茶色のパンツの男が、「あのぉ」と言うので、「はい」と言って振り向くと、「―長いロープ・ウェーも、寄付金を頂きましてぇ」と、茶色のパンツの男はアスレチック設備の一つを指差した。長いロープには子供らがぶら下がって遊んでいた。「また世界で、仮称ですか?」と尋ねた。「あ。そのようなことはございません!」濃いグレーのパンツの男は勢いよくハンドルを
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書類にサインして事務所を出ると、新品のカートに乗せられた。濃いグレーのパンツの男が、「あ。出しますよ」と言ってハンドルを回すと、ハンドルに被せられたビニールがしゅと鳴った。後ろの席に座った茶色のパンツの男が、「あのぉ」と言うので、「はい」と言って振り向くと、「―長いロープ・ウェーも、寄付金を頂きましてぇ」と、茶色のパンツの男はアスレチック設備の一つを指差した。長いロープには子供らがぶら下がって遊んでいた。「また世界で、仮称ですか?」と尋ねた。「あ。そのようなことはございません!」濃いグレーのパンツの男は勢いよくハンドルを
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同意書類の一頁めには、階段を利用する側についての事項はなかった。階段の施工を請け負った業者の名称とその業者の沿革、この階段の設営に関わった政治家の業績の記述に終始した。二頁めを捲ると、「仮称・ 園地について」との見出しが打たれた。「園地」の上に一文字分のスペースがあって、そこで「世界」の下にもスペースがあったな、と一頁めのヘッド・ラインを見返した。「あのぉ」「読み飛ばせ、と?」「あ」「はい。読みます」読むも何もなく、二頁めも施工請負沿革と地元有志家の誉れだった。三頁めには「市営アスレチック・クラブ」なる見出しで、屋外アスレチック設備の図面が並んだ。
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同意書類の一頁めには、階段を利用する側についての事項はなかった。階段の施工を請け負った業者の名称とその業者の沿革、この階段の設営に関わった政治家の業績の記述に終始した。二頁めを捲ると、「仮称・ 園地について」との見出しが打たれた。「園地」の上に一文字分のスペースがあって、そこで「世界」の下にもスペースがあったな、と一頁めのヘッド・ラインを見返した。「あのぉ」「読み飛ばせ、と?」「あ」「はい。読みます」読むも何もなく、二頁めも施工請負沿革と地元有志家の誉れだった。三頁めには「市営アスレチック・クラブ」なる見出しで、屋外アスレチック設備の図面が並んだ。
男はこの階段のどこかで立ち止まった。そのどこかとは、階段の始まりでも半ばでもなく、また終わりでもなかった。
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その階段を利用するには、事務所に提出する同意書類に記名しなければならなかった。三枚つづりの同意書類の一頁めの見出しは、「仮称・世界 階段」だった。男がその見出しにペンを当てていると、「あ。気にしないでください」と、濃いグレーのパンツの男に言われた。「何を?」「あ。世界、とか」「とか?」灰色のテーブルの向かいには二人の男が腰掛けていた。もう一人の茶色のパンツの男が、「あのぉ。そこはそのぉ、飛ばして読んでください」と言った。「そこって?」「あ」と、濃いグレーの
男はこの階段のどこかで立ち止まった。そのどこかとは、階段の始まりでも半ばでもなく、また終わりでもなかった。
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その階段を利用するには、事務所に提出する同意書類に記名しなければならなかった。三枚つづりの同意書類の一頁めの見出しは、「仮称・世界 階段」だった。男がその見出しにペンを当てていると、「あ。気にしないでください」と、濃いグレーのパンツの男に言われた。「何を?」「あ。世界、とか」「とか?」灰色のテーブルの向かいには二人の男が腰掛けていた。もう一人の茶色のパンツの男が、「あのぉ。そこはそのぉ、飛ばして読んでください」と言った。「そこって?」「あ」と、濃いグレーの