banner
kumat1968.bsky.social
@kumat1968.bsky.social
福島大学経済経営学類教授 。担当科目は労働経済、社会政策、経済政策、オリジナルな教養科目「暮らしと仕事と大学生」。ほか非常勤で経済学。主な研究分野は労働問題、特に技能養成、職業訓練。労災補償制度。暮らしと仕事の全般に関心。神戸と宝塚で生まれ育ち、東京で勉強して、現在は福島県福島市在住。両親の家はいま北伊勢にあります。
7-11月だ。
January 6, 2026 at 3:39 AM
Harbeth のHL Compact。このスピーカーは名器と言いたいくらい良い。ほんとうに音楽が好きで音楽を構成する音のいちはん良いところを知っている人が高額商品になり過ぎないように考えて作った、そんな感じがする。
January 4, 2026 at 1:50 PM
元投稿文中の「京都」はこの用例の再録地であって、私自身は「京都」/「京都人」という大きな主語でその性質を語りません。この掲示の主がどの程度いわゆる「京都人」なのかにも関心はありません。京都が「都会」か「田舎」かという問いも私は立てません。ただこの掲示の主が「田舎者」という言葉を選ぶ理屈と心根を嗤うのみです。
January 2, 2026 at 1:33 PM
Reposted
卒論添削の必須化には学生の成長の「過程」ではなく、制度的な「成果」を目的とする観点が、さらに言えばその成果に貢献する教員の労働への官僚主義的な評価への意識があるように私には思える。それが私が卒論添削をしない理由です。繰り返すがオレの学生諸君は困ったらいつでもゆうてくれ添削するよ!
December 29, 2025 at 2:54 PM
Reposted
もちろん「うちの学生はそういうレベルではない。教員が添削しないとまともな卒論が書けない」という大学は多いだろうし、うちの大学は恵まれていることはわかっている。ただそういう現実があるからといって「自律的な知的主体を育てるべき」という理念を否定するのは違うだろうと思うのです

そもそも卒論は何のために書くのか。ちゃんとした文章を制度的に提出し認められるためではない。学生個々に異なる知的関心と知的水準に応じて、それでも少しでも「自律的に知性を用いることができる主体」に近づけるための教育手段だろう。「卒論そのもの」はそれを測るための手段であり目的ではない
December 29, 2025 at 2:54 PM