みみず
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生活とフィクションの感想
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猫いたときに「猫!」って共有する感じで「フード裏返ってますよ」と言われてるんだと思っていた。直すことを促されているようです。フードが裏返っていても困らないので直しません
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私は物を無くしすぎるので1時間に一回のペースとかアクションごとに貴重品の確認をするので鞄は閉じがち。
上着のフードはよく「裏返ってますよ!」と言われて「そうなんですか!😃」と返していた
Reposted by みみず
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めっちゃわかる。わかりすぎる。この前「みんな私のリュックが開いてる時に親切に教えてくれるけど、私としては別にリュック開いてても構わないんだ。なぜなら閉めるより楽だから」って話したら、ドン引きされた
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一応ちゃんとした理由があって、私の場合は電球を取り替えるだけじゃダメで照明器具をなんかしないといけないんですよ。それに対処する「大変」と暗闇の中で歩けるようになる。だったら後者の方が楽なわけ!それに明るいとこでもバカスカぶつかるからあんまり関係ないし……
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階段と廊下の電球が切れていてわりと長めの区間が暗闇なのですが、私は電球を替えるより先に暗闇で体をぶつけずに歩くことを習得しました。なのでまだ電球は変えていません
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ちなみにこの本では「電球が切れたASD者は取り替える前に1年かけて暗闇での生活を学ぶだろう」的なバカウケの一文があるんですが、私は例えではなくマジのガチでこれを現在進行形でやってます
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「読解」すると相手は気の毒と呼べる状況にある→気の毒な状況にあるということは気遣われるべき状況なのでは?→気遣いの言葉や行動を行う→相手の反応から不用か必要か判断してみる。みたいな感じで行ってて「きもち」として可哀想と感じてないことはものすごくある。そしてその「きもち」が起こらないことに対するコンプレックスもある
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けっこう悩んじゃう、私ってけっこうステロタイプの具現化だから私が私の話をすることが偏見の強化になりそ〜〜というやつを思った
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しかしこの本では「ステロタイプ」と言われていたけど私はかなりこれで、実際に共感機能が多分若干オフになってるんだよな。と思った。この本では「共感する」人の話が取り上げられたが私は目の前で人が可哀想なことになっていてもあんまり「気持ち」は反応せず、状況的に助けが必要だろう→手助け。などで行動するのでこの本は前書きにあったように多様な人間の一人である著者の話であるのだが、私としては私のような人間の話も採用してほしかった感覚もある
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読んだ。
最後の方に出てくる、どうでもいいことを一生喋ってくる脳内DJの存在がわかりすぎて笑っちゃった。ほんとに一生どうでもいいこと実況してくるんだよね。私もこれを書きながら外でなってる風の音などが延々と実況されています。
わかることわからないこと含めて心強い本なのでたくさん読まれてほしい
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著者は自分のASD性で他者から壁を作られることを悲しいと感じているような気配がある。私は加害されなければ他者が私を好きでないことは特に関心に登らないな……と思う。身につけた諦めとかでもなく、わりとずっと平気というか単純にあまり興味を持てない。なのでこんなに「わかる」ところのある人でも全く「わからない」ことを感じているというのは人間(他者)をわかるというのは傲慢である。を感じさせ読んでいてホッとする
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引き続き読んでいる。非常にわかるところもあるし、全くわからないところもある。
そして読んでいると、私の「他者を特別に求めていない気持ち(他者を嫌悪はしていないし仲良くなれれば嬉しいが、いなければいないで困らないという気持ち)」は薄々感じていたことだがASDさ由来ではないのかもしれないなぁを感じる
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元々はネギじゃなかったけど、葉っぱが長くて安定しなくて危ないから切るか→ネギ
でネギになった
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すぐ枯れたら悲しいからとか言ったけどうちのサンスベリアがネギすぎなのかなりいいので見てください
グレーの鉢に刺さっているサンスベリアの写真
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ノンカフェインのお茶を常備するのもそれはそれで問題で、どうも私は「飲み物を飲む」ことをストレス?解消としているらしくて頑張る作業があるとありえん量を飲んで胃がタポタポになり吐き気を覚えるというアホ行為をしてしまうのでザブザブ飲めるものを置くのもそれはそれで問題がある
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夕方以降なるべくカフェインを摂らないよう心がけているんだけど、これやりだしてからお茶が減らない!
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欲しいお茶があるけど今あるものを飲み切ってからになるのでもどかしい
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チョロ…っと読んでは無限に言いたいことが出てくる本だ(内容に文句があるという意味ではないです)
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「人間(自分や他人)」への興味が薄い→治療すべき状態みたいな認識がかなりもうウザいよな……と思うというか……
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最近は「自分」というものは反応を永遠に観測できて面白いな。とかなり興味の上位に来てるけど「人間」を興味の上位に置いてないだけで酷い言われようだぜ。とはよく思う
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確かに自分への興味も薄く、他人への興味はもっと薄いがどうでもいいとか愛がないとかではなく「もっっと面白いものがある」からなので、私にとっては布の手触りとか食文化と忌避感情とかを考える方がはるかに面白いだけで、それなのに自分を粗末に扱っている。とか言われるとかなりカチンとくるな……と思ったことがあることを思い出した
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興味の対象が限定されてて他人どころか自分にも「興味が薄い(※1)」ってあるあるだと思うけど(※1 自分視点ではちゃんと興味あるけど比較すると薄いと言わざるを得ないやつ)
これを自傷というかネガティブに言われるのかなり嫌いなんだよな……ということを思った
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面白いというか無限にわかるので楽しいけど、数行ごとに「いや、私はそれについてはウンチャラカンチャラ」と言いたくなるので進まない……!
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話すための「努力」を積まずに「なんやこいつ」と思われることに対して「それは仕方がないのでは」以上の感想がないというか……えー頑張らないとなぁとかに全然ならないというか……そういうとこに規格から違う。という感覚と、向こう目線からしたらなんもやってないのに「できない」とか言っててムカつくだろうなぁとかを感じた
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私に「社会的な振る舞い」を教えてくれた人が雑談で話した「私だってほんとはテレビなんか興味ないけどチェックしておかないと次の日話すことや咄嗟の世間話のストックがなくなるでしょ、そういう努力をしてから話すことがないといってほしい」みたいなボヤキを聞いた時に、私にはそもそもこの話題をストックするという発想がなかったし、これを聞いた後でも雑談のために興味のないものを見聞きしようとは本当に思えないな……と思った時にハードルの高さが違う。と思ったのと、確かに努力の度合いも違う。とも思ったことを思い出す