maid
mitsososos.bsky.social
maid
@mitsososos.bsky.social
今の実感だとこれが妥当だろうという考えだけど いつか更新されると楽しいな
December 18, 2025 at 10:52 PM
同じ様に星を見たときかつてあった感動が失われた(飽きた)理由も説明する
結論 自分が咀嚼できる物語が無くなった
中学生の時の自分は星の何に感動していたか 田舎の学校と家の往復という小さく騒然としたコミニティ中もっと大きなものが世界を包み込んでいる実感に圧倒される(推定 違う理由かも)
それは自分を軸とした感動なので咀嚼し続けることで実感が身体に伴い当たり前になってしまう。
星というものの知識が増え新しい物語を見つけられれば新しい感動が得られるかもしれない。
木や虫に感動する際は相手が軸となっているので実感がいつまでも自分に伴わずいつまでも新しい物語を用意して咀嚼し続けられているのかもしれない。
December 18, 2025 at 10:51 PM
なぜ花火に感動できないのか 花火に感動する友達と話しながら結論づけた
木々や生き物を見つめるときは感動するのでそのとき何を思っているかという逆のところから考えた 躍動から成る遥かな物語性を見つめ続けることで想像し心に沁みる様な感動をもらっている 動物の息遣い動きの意味木の生態や脈動、冷たさ静けさなどへの思いなど
花火は瞬発的で物語性を捉えられない また花火そのものに物語があるわけではない。物語が宿り蠢いているのは花火職人の手の平
December 18, 2025 at 10:50 PM
エビの目は怖くてキュート
December 8, 2025 at 8:57 AM
早朝の緩やかな日差しと暗さがいつまでも続いて欲しい
December 7, 2025 at 11:15 PM
なまじ経験があるものに対しての方が傲慢になってしまうなぁ それを腐す時自分を腐しているだけだと勘違いしてしまうから
November 29, 2025 at 2:52 PM
小雨の中帰っていると軒下にいる知らないおばあちゃんに傘を使うかと声をかけられた 家が近くだからと断った
おばあちゃんの親切を断るとおばあちゃんのアクティビティが失われていく気がして申し訳なくなる というのは私が知らない人同士の親切を重く見過ぎかつ、老人は社会との繋がりが希薄なんじゃないかという偏見から
November 18, 2025 at 1:05 PM
崇める というのはあまりに超常的故に言葉にならない興奮を行為に収めるためにあるのかもと思った
November 18, 2025 at 2:06 AM
思ったこと文章にしないとすぐに忘れるのが勿体無い気がしてるのでこのアカウントを使って拾っておきたい気持ち
November 18, 2025 at 2:01 AM
こういう空間で人間の認知状態を変えようと試みる作品って人がいっぱいいる美術館と相性悪いんじゃないかと、作品を背景にお互いの決めポーズを取り合ってるカップルを傍目に
November 18, 2025 at 1:38 AM