ただその実在感も時間とともにぼんやりしてきますし、希に夢の中の出来事を実際の記憶と取り違えていることに気づいてすっと背筋が寒くなることもあります。
ただその実在感も時間とともにぼんやりしてきますし、希に夢の中の出来事を実際の記憶と取り違えていることに気づいてすっと背筋が寒くなることもあります。
(下から出てきた本をパラパラと読み始めてしまう)
(下から出てきた本をパラパラと読み始めてしまう)
(´-`).。oO(そうだ、HDMIコネクタをもう1本買って鞄にずっと入れとけばよいのでは…)
明後日の自分
(´-`).。oO(HDMIコネクタ買うの忘れたな…)
明々後日の自分
(´-`).。oO(>明日の自分 HDMIコネクタ忘れないように、っと…)
※ループ
(´-`).。oO(そうだ、HDMIコネクタをもう1本買って鞄にずっと入れとけばよいのでは…)
明後日の自分
(´-`).。oO(HDMIコネクタ買うの忘れたな…)
明々後日の自分
(´-`).。oO(>明日の自分 HDMIコネクタ忘れないように、っと…)
※ループ
そして気づくとそういったファイルが貯まっていき、わけがわからなくなってくると。
そして気づくとそういったファイルが貯まっていき、わけがわからなくなってくると。
情報通信技術の進展によって大した時間差もなくすぐに知れ渡るので「𝗡𝗲𝘄s」の価値は下がり、そこに至るまでの「History」、「Context」の重要性が増しつつあるように感じます。
問題は、Newsの重要性はある種自明であるのに対し(誰もが「新しいこと」を知りたがる)、HistoryやContextは熱量を持った誰かの存在なしにはまとまらないし、どのタイミングでどうまとめられるべきなのか自明ではない、ということでしょうか。
情報通信技術の進展によって大した時間差もなくすぐに知れ渡るので「𝗡𝗲𝘄s」の価値は下がり、そこに至るまでの「History」、「Context」の重要性が増しつつあるように感じます。
問題は、Newsの重要性はある種自明であるのに対し(誰もが「新しいこと」を知りたがる)、HistoryやContextは熱量を持った誰かの存在なしにはまとまらないし、どのタイミングでどうまとめられるべきなのか自明ではない、ということでしょうか。
先輩から引き継がれる講義ノートという文化は今もまだ生きているのでしょうか。さすがにデジタルになっているのでしょうが。
― 試験前だけコピー機が渋滞する風景をしばし思い返す
先輩から引き継がれる講義ノートという文化は今もまだ生きているのでしょうか。さすがにデジタルになっているのでしょうが。
― 試験前だけコピー機が渋滞する風景をしばし思い返す
逆方向の電車をホームで待ちながらさらに本を読み、何かにカテゴライズされないぼんやりとした時間を漂うのもいいんですよね(改札を出ないと逆方向に乗り換えられない駅で悪態をつく)。
逆方向の電車をホームで待ちながらさらに本を読み、何かにカテゴライズされないぼんやりとした時間を漂うのもいいんですよね(改札を出ないと逆方向に乗り換えられない駅で悪態をつく)。
短い本は、SNSや動画(ショート動画含む)での紹介が主となって、「書評」という形で依頼されるのは一定以上のボリュームのものだけ、という風潮はあるのかもしれませんね。
短い本は、SNSや動画(ショート動画含む)での紹介が主となって、「書評」という形で依頼されるのは一定以上のボリュームのものだけ、という風潮はあるのかもしれませんね。
「表紙が空いてますよ」
「表紙が空いてますよ」