日下部克喜
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日下部克喜
@nekokusa222.bsky.social
Katsuyoshi Kusakabe | 文筆 Writer | 映画祭 Film festival | 猫 friend to cats | 思考空間 cat≒137 主宰
社会というか世間というか、そういうところで前提として流通している価値観というか世界観は、当然ながら科学主義に則っているわけだけれど、いまこの世界で誰も経験したことがないにもかかわらず、極めて身近で、必ずやってくるものでもある「死」については、未知であるがゆえにあらゆるものの外側にあって、既存の価値観からも自由であり、とうぜん科学的、医学的な見地からもずうっと遠く離れたところにあると思っているので、「外側に」向けて思考を拓くと、見方によってはオカルトを語っているようにしか見えない、ということが起こる。
February 3, 2026 at 1:58 PM
去年の映画祭で、インドの詩人で映画監督のバッパディティア・サルカールさんにインタビューしたとき、極めて政治的な内容の話のなかで、ふとバッパディティアさんが一緒に暮らしている猫の話になり、当たり前に猫と会話してる、もっと言えば心を通わせ合っていると言っていて、それは私も日々実感していることでまさに同感であったのだが、人間がこの世界の中心だとはまったく思っていないとそのあと彼が言ったので、私は猫や犬にとどまらず、動物ないし生物全般と対話および思考を交わし合うことが可能だと、多くのひとがそう思えていたならば、この世界はこんなふうになっていなかったに違いないと、瞬間的に思ったことを、いま思い出した。
February 3, 2026 at 1:44 PM
ほとほとウンザリすることばかりが世の中を流れていて、それに思考を割くことすらも嫌になる。もう諦めて、思考を放棄してしまおう。ときにそんなふうに思ってしまうこともあるが、それこそ相手の思うツボだ。私たちには子供はいないが、猫がいる。一緒に暮らす猫のために、生き残らなければならない。あのヴェイユですらも、疲労の果てに思考を投げ出したい誘惑にかられたというのだから、この世界に蔓延る「得体のしれない底なしの悪意(と仮に言葉にしてみるが、それそのものではない、おそらく)」は、人間が考え続けること、その行為そのものを嫌い、排除したがっているのに違いない。思考し続けることが、この世界への抵抗になる。
February 3, 2026 at 1:26 PM
はじめて恵方巻きと言われて販売されている太巻きを食べた。恵方も向かず、かぶりつくこともなく、食べやすい厚さに切って食べた。太巻きであった。思えば太巻きもほとんど食べたことがなかったので、たいそう美味なものなのだと関心しながら食べた。今日は太巻きを食べるのに良い日なのであろう。おかげで2本食べた。
February 3, 2026 at 12:54 PM
チャランポランでグウタラで無責任、気が向いたら寝て食べて、ときにひとが変わったように何かに没頭して、そうかと思うとまた寝てる、でもその寝顔はこの宇宙の全てを超越してるような、そんな存在がいるだけで、どんな世界であろうとも「いま、ここ」を肯定できる、のではないかという問いを立ててみようと思う。
January 14, 2026 at 1:29 PM
午前中、少し生業仕事をして、いそいそと家に帰ってきた。外は吹雪。体が芯から冷えて体調が良くないので、湯に浸かってすぐに布団に入る。布団のなかは安全地帯。
January 12, 2026 at 5:11 AM
感情という、目に見えないが確かに存在するもの一切が、仮にこの宇宙に「情報」として一定期間記録されるのだとすれば、たとえ人は亡くなってもその人がいたことに纏わる感情の動きは、その本人のものも含めてこの宇宙に留まる。だとすれば、それは人は亡くなっても確かに在り続けるのだということを、この私が考えることをこの宇宙が許していることにならないか。亡くなった人を日々考え、他者への共有を可能にする言語という形にすることで、亡くなったあともその人に纏わる情報を生産し続けることができ、すなわちそれは、死しても尚在る、を実現することになるのではないか。
January 11, 2026 at 9:37 AM
2、3度行ったことがある夢のなかでしか行けない飲み屋街があって、長屋というか横丁というか、数件並んだ飲み屋でカウンター席しかないのだけど、朝までやってる。2回ほど夜明けまでいたことがあって、現実世界の立地ではあの辺りというのはわかるが、当然そんなところに実際はない。が、夢のなかでなら確かにあって、ほんと何度か同じ場所が夢に登場するから、あっちの世界には確かにあるのだ。焼鳥の店と小籠包が美味い中華居酒屋がよく行く店。店主はいつも無口だが、出されるものはどれも美味いので、それをアテにしているとヘベレケになるまで飲んでしまう。すぐ近くの小道には、えらく高い壁の造り酒屋があって、見上げると青空がある。
January 10, 2026 at 1:41 PM
昨年公開された羅苡珊(ルオ・イシャン)監督の山岳ドキュメンタリー映画『雪解けのあと』と、呉明益『複眼人』は時空を超えたところで共鳴し合っているような気がしている。「死」と向き合っていくなかで、どこか同じところに繋がっていくような、なにか、これはなんだ。
January 5, 2026 at 10:33 AM
なんできょうからしごとなの? ずっといっしょにだらだらしてたらいいのに
January 5, 2026 at 10:18 AM
おふとんからでられない でたくないよ
January 2, 2026 at 11:50 PM
エーコの『薔薇の名前』が届いたその日に蕎麦も整った。鴨鍋でビールを呑ったあとに地元の手打ち蕎麦でエーコ読みながら地酒の熱燗でエーコを呑る。
December 31, 2025 at 12:06 PM
と、そんなことより、今日で生業のほうは仕事納め。原稿は今年中締切が一件と年明け五日までが二件で、休みがあるからって気を抜いてると慌てることになる(すでにちょっと慌てている)。手術後の痛みが続いていて本調子ではないけど、今日は少しだけビールを飲もう。およそひと月ぶりのビール。
December 29, 2025 at 10:34 AM
若いころ、コンサートに行くくらいには坂本龍一の音楽が好きだったことを思い出した(YMOはもっとずうっと好きだったが)。なんだか最近教授の露出が増えているせいか(映画とかNHKとか)、ちょっと気になってまた聴き出したら、とたんにずうっと聴いてるようになった。十代後半から二十代前半のころの空気というか、匂いみたいなものが漂ってるみたいで、過去という時間がいま耳元にある。いや、過去なんてまやかしで時間そのものが存在しないのかも。
December 29, 2025 at 10:30 AM
ベケットの『モロイ』『マウロン死す』『名づけられないもの』三作(宇野邦一訳)をようやく読み終わったが、読み始めからおよそ五年くらいかかったかもしれない。飽きるとこまで少し読んで、三ヶ月くらいほったらかして、また忘れた頃に読み出してを繰り返して、いままた『モロイ』から読み始めて、『名づけられないもの』から『モロイ』に戻ってくると、すごく読みやすく感じてしまって、すいすい読んでしまうから良くない。同じようにしてもう十年くらい(もっとか?)繰り返し読み続けているのが保坂和志『カンバセイション・ピース』。保坂和志のベケット好きと関係なしに、なんというか、気の向いたときにだらだら読むのがいい本て、ある。
December 28, 2025 at 3:06 AM
日々、自分が無知であることを実感しているが、限りある生のなかでは、読める本も見られる映画も聴ける音楽もたかがしれているわけで、しかも本なんて読んだそばから内容をほとんど忘れてしまうし(物を書くときはだからメモを取りまくるわけだが)、具体的な知識量なんてこれっぽっちも増えないし、増えたところでどうなるものではないから、ずうっと無知なままでいる状態を積極的に愛でていこうとおもう。
December 28, 2025 at 2:52 AM
無知を愛でる姿勢でいこうとおもう。
December 27, 2025 at 10:43 PM
かくれんぼ
December 27, 2025 at 10:36 PM
口の中を手術したばかりなので、ずっと歯ごたえのあるものは食べられなくて、もう3週間くらいお粥と雑炊とリゾットしか食べてなかったけど、今日は柔らかく煮たチキン(ローストチキン味)で初の固形食。服薬中だからまだアルコールも飲めないのでノンアルコロナだけど、これが意外といける。常食おいしい。色々工夫してくれた妻に感謝。
December 24, 2025 at 10:43 AM
ててこ と ててこ
December 22, 2025 at 1:25 PM
いつまでもみつめています おたがいに
December 11, 2025 at 1:05 PM
世の中への不安は尽きないけれど、とにかく朝はやってきて、生活がはじまるのだから、目の前にある世界を実直に生きたい。そんなふうにボンヤリと考えた日に見た三宅唱監督の『旅と日々』が、純粋になんの衒いもなく面白くて面白くて面白くて、と繰り返したくなる感情を抑えられないほどに面白くて、でもその面白さをひとに説明するための言葉にするのは難しくて、劇中で李さんが言うとおり、「言葉につかまってしまう」(だったかな、違うかもしれない)から、それを言ったそばから面白いとおもったキラキラした感情の輪郭は溶けていく。でもこういう時間があるだけで、なんとなく不安な世界に対抗できるような気がしてくる、不思議なことに。
December 8, 2025 at 1:26 PM
ゆきのあさ
December 6, 2025 at 11:37 PM
わかっているつもりになってそれを言葉にすると、いや「言いたいのはこれぢゃない」ってことが多くて、そういうときは相手に本来言いたかったことからずっと遠い「意味」しか伝わってなくて、でも言い淀みながら、自分でいま言ったばかりのことを否定したり、訂正したりしながら、必死に「言いたかったこと」に近づこうとするのだけどそれでもやはりなにも伝わってない、ほんとはそういうのが「対話」というもので、結局いつも私(たち)がしているのはお互いに「わかる」を前提にした形式的なやり取りでしかないのではないか、と思うことが昨日あった。
November 25, 2025 at 12:00 PM
東京一泊から帰宅。東京都写真美術館でペドロ・コスタの展示見て、ちょっとだけ文フリ行って(いぬのせなか座の山本浩貴さんの日記論は売り切れていて残念だったが、ご挨拶できて良かった)、仲間が配給している映画をポレポレ東中野で見て、また人と会って、草野なつかさんがいるゴールデン街の店で朝まで飲んだ喋った。店のドアを開けるとすっかり明けた夜があって、なんだか全てが白飛びしてるみたいで、現実感が薄い。いい一日だったなア。
November 24, 2025 at 6:51 AM