21世紀でも、ナラティブ物語だったり、陰謀論やデマもそうであり、理性が生み出すだけに、単なる啓蒙では、仮象であることさえ見失う。
これはある種の神秘主義でもある。現実の対立問題を全く違う第三の道として解決しようとする。宗教的盲信とは関係がないが、希望とかビジョンと呼ばれて有り難いものとして見えたりする。
今朝Linked Inで見たクリエイティブOSのような盲信も典型的な仮象だろう。
誰も仮象を避けることは出来ないが、超越論的には批判できる。ただそれは安易な解決がないことを自覚するだけで、第三の道ではない。
21世紀でも、ナラティブ物語だったり、陰謀論やデマもそうであり、理性が生み出すだけに、単なる啓蒙では、仮象であることさえ見失う。
これはある種の神秘主義でもある。現実の対立問題を全く違う第三の道として解決しようとする。宗教的盲信とは関係がないが、希望とかビジョンと呼ばれて有り難いものとして見えたりする。
今朝Linked Inで見たクリエイティブOSのような盲信も典型的な仮象だろう。
誰も仮象を避けることは出来ないが、超越論的には批判できる。ただそれは安易な解決がないことを自覚するだけで、第三の道ではない。
そもそも南北朝の争いは中国朱子学の皇帝の「正統性」に由来しているので、故に日本は中華文化圏の亜周辺だったため、儒教のような外来思想の影響はあったろう。
日本が無意識に親殺しを回避したようなフロイト的解釈(去勢の排除)もあり得るが、武士のような権力は争いの正統性(大義)によって政治を動かすので、尊氏はその点非常に高度なマキャベリアンとして振舞っている。敵対する南朝に対するご都合主義がその好例だ。
第一の部下として上の命令に真っ先に従うことがその正統性を証明するのだ。
そもそも南北朝の争いは中国朱子学の皇帝の「正統性」に由来しているので、故に日本は中華文化圏の亜周辺だったため、儒教のような外来思想の影響はあったろう。
日本が無意識に親殺しを回避したようなフロイト的解釈(去勢の排除)もあり得るが、武士のような権力は争いの正統性(大義)によって政治を動かすので、尊氏はその点非常に高度なマキャベリアンとして振舞っている。敵対する南朝に対するご都合主義がその好例だ。
第一の部下として上の命令に真っ先に従うことがその正統性を証明するのだ。
大事なのは、これを批判することは簡単だが、そのような形而上学はパワフルだけに無くなりもしないことだ。
大事なのは、これを批判することは簡単だが、そのような形而上学はパワフルだけに無くなりもしないことだ。