あわいにとどまりたい
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あわいにとどまりたい
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クィア コミュニティ作りたいと漠然と思ってはいるが、もし実現したとしてもアカウントは別で分けるかもしれません。アイコンの鳥は青鷺で、背景は尾道で撮った風景です。(良い街だった)

フィクションや個人的に好きなジャンル?についての話をしたり、情報収集にも使うかもしれないです。
思えてならない。(そもそもsnsは対話する場ではないから粗雑な語りが多くなるのは当然だし、別に私の書いているものも信頼性が担保されたものだとは思っていない)
November 11, 2025 at 7:40 AM
同種のまずさがあるのではないかと感じるようになってきた。

まとまりがないが、都市というのもそれ単体で成り立つのではなく、グローバルな「収奪」による産物としての側面があるとも感じるし

下記は地球規模で、国という括りを超えた都市化について説明するための語彙?であるプラネタリーアーバニゼーションについて

www.10plus1.jp/monthly/2018...
プラネタリー・アーバニゼーション研究の展開
今回特集する「Planetary Urbanization」は、直訳すれば「地球の都市化」となるが、ひとつづきの鍵語であるということを明示するため、翻訳ではカタカナ表記にした。プラネタリー・アーバニゼーションは、ニール・ブレナーとクリスチャン・シュミットによって提起され、現在進行中の研究プログラムとして推進されているものである。都市はこれまで農村との対比で規定され、領域的に境界画定された行政単位と
www.10plus1.jp
November 11, 2025 at 7:30 AM
抜け落ちているのは、「その地域で暮らす〈わたし〉の視点」。本書では、地域というものを中央・都市と対置させるのではなく、訪れる人とそこで暮らす人が出会う流れのなかの〈あいだ〉という形で提示し、両者をフラットな関係でみることで、地域側からの「語り」が生まれる余地ができ、自律的な地域へと至ることが示されます。
November 11, 2025 at 7:19 AM
感じていると思うので ではなく、感じているので と書いたつもりでした
November 10, 2025 at 6:02 AM
ポジティブな変化だとは感じる。
November 10, 2025 at 6:00 AM
ただ、近年日本国内の作品だけでなく、海外のアニメーション映画も劇場で公開されたり、あるいは配信経由で見やすくなってきているから、その点での風通しの良さもあるかなとは思ったというか。 

日本の場合アニメーションと「日本型」の2Dアニメが強く結びつけられすぎているから、実際には無限に広がるアニメーションの表現の内のすごく幅の狭い表現のみを「正当」なものだとみなすような偏狭な考え方を持つ「思い上がった」人が一定数いるように感じており、個人的に非常に閉塞感を感じていると思うので、映画館などでも配信でも多様な国のアニメーション作品が気軽に見られるようになってきたのはかなり
November 10, 2025 at 6:00 AM
劇場中心?のスタジオであればstutdio4℃も黎明期から3DCGと2D表現の融合的な表現の先陣を走り続けてきたアニメーションスタジオの一つとしてアート性と商業、批評性を融合させた作品を作っているな
November 10, 2025 at 5:50 AM
明示的なクィア描写があるわけではないけれど、性愛とかロマンスと距離を感じる民的にすごく見やすさがあったというか
November 8, 2025 at 10:54 AM
どちらも壮大なスケール感の作品だが、最終的にミニマルなところに回帰していく構造があるよなとかも思ったりした。

個人的には、セクシャルな表現周りでチェンソーマン含めて日本の作品周りで苦手というか納得がいっていないところはあり、その点では羅小黒戦記シリーズの細かいところまで手の届くバランス感覚にも恐れ入ったところがある。もちろん一作品だけで中国全体の作品の傾向についてどうこうは言えないけれども、一クィアとしても、羅小黒戦記の映画版はすごく安心して見られる作品だった(TVシリーズというかweb版は、見ている感じ少し粗いところは見られたが)
November 8, 2025 at 10:51 AM
先日劇場版チェンソーマンレゼ篇という、前半部は日常の機微の細やかなアニメート、後半部はアクションアニメートをそれぞれ少年漫画原作の続編としてやりきった作品として(こちらもかなり少年漫画原作ものの映画化としても、一本のフィルムとしてもエポックな傑作)想起はしたのだけれど、どちらが良いとかではなくて、別のベクトルでそれぞれ最高峰のアニメーション映画なのだと思った。
November 8, 2025 at 10:51 AM
別にナショナリスティックな文化論をやるつもりはないが、ある種欧米圏における「ライフスタイル」こそが自由な主体としてのあり方として唯一無二の最適解?みたく思わされる傾向をなんとなく感じており(穿ちすぎかもしれないけれど、資本主義やグローバリズム的な規範が多様な文化を消し炭にしたり、格差の増大に寄与している側面とかをなんとなく想起し距離を取りたいと思っている)どういう距離感がとれるのかなみたいに考える。

全然まとまりがなく、途中で書いた文についても回収できずに放置されてしまっている箇所もあると思うが、今後もこうしたトピックについてはクィアネス前提に考えたりしたいな
November 7, 2025 at 6:59 AM
うっすらコミュニティのあり方とか、恋愛や性愛によらず生きるということのやりやすさが、欧米圏の規範と、日本の規範においてどのように異なるかというのをかなり脱線しながら考えてみたのだが、当然ながらすごく難しいし、複雑な問いだなと思った。

一人身で埋没しやすいという点では日本の大都市には特有の居心地の良さはあるような気はするけれども、欧米圏(もちろん国等によって福祉なども千差万別なのだが)のクィアネス包括する方向性などは日本含めて取りいれられるべきというのと、同時にそこでクィアネスとして顧みられるようなライフスタイルのあり方を日本にそのまま移植するのは違うみたいなことを考えたりもする。
November 7, 2025 at 6:59 AM
は疑問があるけれど)などに、日本における「独り身」の持つ「自由さ」や可能性と、同時にそれ自体が他者との関わり(恋愛や性愛に限らない)すらも個人に帰するような論理のあり方と関与する負の側面があるのではないかみたいな。
November 7, 2025 at 6:49 AM
ただ日本の場合、こうした独り身での暮らしやすさは、他者への無関心さhttps://www.asahi.com/sp/articles/AST3V20ZRT3VULLI004M.html

などの文化的な背景とも関わるように思えており(都市化や現代における資本主義のあり方とも勿論関わるだろうし、その観点では欧米圏も同様の側面があるだろう)、それは「自己責任的」な論理の染み渡りと、「孤立」とも部分的に交差しているように思えている。

反面?いまだに血縁や世帯に紐づいたケアが求められやすい制度的な保障のあり方とか(かといってあらゆるケアが外部化されることがケア労働の
立場にとってよく働くか
November 7, 2025 at 6:49 AM
整っているとは言えると考えているのだけれど。
November 7, 2025 at 6:41 AM
また異性愛的に見える男性の欲望以外は「性的」な規範の主流からは外されている、あるいは存在を抹消されている状況であるわけで(これは欧米含め全世界的に程度の差はあれ共通はする)、こうした抑圧的な規範が存在している状況下は歴然としてある。

しかし欧米とは異なる形で「独り身」で過ごしやすい環境というのはあるように感じている。

それをひとくくりに肯定して良いのかは難しいところ(この背景には経済状況の差とか、異性愛規範とか様々な複合的な面があるだろうから)があるし、属しているコミュニティにもよりけりとは言え、一人で入れる飲食店の選択肢の豊富さ等「お一人様」として生活できる環境がとりわけ大都市においては
November 7, 2025 at 6:41 AM