太江友城:so-ri
soriyukioe.bsky.social
太江友城:so-ri
@soriyukioe.bsky.social
花火の会場の後方で自転車を漕いでいます
ひょっとするとおれは落ち込んでいる可能性がある
October 12, 2025 at 3:18 PM
自分がこないだチャリでコケたのが中学吹奏楽部時代の思い出のホールの入り口の目の前だったことに今気付いた
September 22, 2025 at 2:33 PM
こういった、ある種のパズル、知恵の輪的な構造が、その人のなしとげうる物事の形、「何かをなしとげた際にそこに残っている形状」を決める部分があるとして(.「なんでその形でその場所を通れるの!?」というような)「予測なく本を取る」という無理難題を、どうやって実現していくか、まぁこれはじっさい…現実に文字通りそのようにすることはわりと可能だと思いますが、抽象的な話です、もう少し視認の難しいいくつもの知恵の輪について…それを超えるために含むべき構造…取り組み方というのは一体なんなんでしょう?問題なのは(そしてもしかするとヒントになるのは)それを作る人間も、自分自身の知恵の輪と、向き合う必要があることです
March 3, 2025 at 12:22 PM
むしろ、アレ、が、制作のやる気につながってしまっていることが、アレへの遭遇を困難にさせている部分すらあると思い、しかしこの観点を完全に自分から取り除いた場合、いよいよ本当に、アレに遭遇できなくなる可能性もあるような気がしており(そして&しかし、それはたぶん自分自身にはコントロールしきれない領域がある気はする)そこらへんチキンレース感はありますが、なんというかたとえばですね 本を読むとしましょう 自分が感動するのかどうかを予測とか絶対にしたくないんですよね しかしそれではどうやって、その本を手に取りましょうか? このあたりの都合が、もしかすると、ズラす、ということの理由のひとつかもしれません
March 3, 2025 at 12:14 PM
基本的に自分の曲の編集とかでもまぁ概ね、特に起床時、どちらかと言えば大半、やる気は出てないわけですけれども、どうにかあがいて呼吸をし続けてあるとき、特にきっかけなく「やってもいいかもな」という一瞬のアレが通過することがあります、その瞬間に鍵盤を起動 しかし気になるのはむしろ、いま目のまえを通過したアレというのは、実のところなんだったのか?ということの方です そのアレの話をしたい、でもそのアレ自体を作品にしたいかと言われたら、それはむしろ避けたい、徹底的に避けたい気がします なぜなら僕はまだ、そのアレに、もう少し何度か、遭遇したいからであります そこでできることが、何もなくとも…
March 3, 2025 at 12:09 PM
最近の興味としては、感想を抱く力を失った際、記憶を掘り起こして「以前は感想を抱けていたのか」を適切に判断することができるのか、というような部分です
April 29, 2024 at 3:04 PM
言いたいことがあるというよりか、連続性…関連性、因果みたいなものがあるので、ひとたび言葉が走り始めさえすればずっと喋っていられる、みたいな部分はあり、ただ昔の方がそれは得意でした…と彼は言いましたわ、今となっては、ただ繋がるだけのそれ、繋がるが故に並べられているだけのそれが、はたからみて一貫した意味を描いているかがいちいち気になってしまい、その瞬間、その連続性が途切れてしまうんだそうです。そしてそのとき、自分がそれを話す意味も同時にどこかへ消えてしまう、と彼は言いましたわ、要するにそれは、繋がるから繋げていただけなのであって、繋がるはずのものを繋がるようにすることだけが、彼の願いだったそうです
April 29, 2024 at 2:44 PM