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田村均  元 名古屋大学の哲学教師
略歴 http://nagoya.repo.nii.ac.jp/records/25963#…
ブログ http://note.com/chikurin_8th
ブログ公開しました。近代への反逆は、それ自体が近代の枠内に収まる。そこに一種の循環が生じる。

この循環は健全なものか。どこかにインチキがある不健全なものか。

重要な問題だと思います。そのとっかかりを語ってます。読んでね。

note.com/chikurin_8th...
西洋近代と日本語人 第3期 その11|tetsujin
1.はじめに 548. 前回と前々回で、モースの人格論文*の内容を紹介しました。今回は、マイクル・カリザスの論文「自己の社会史 ――もう一つの選択肢として」**のモース批判を検討します。カリザスによれば、モースが提出した人格概念の社会史は、自己の概念の社会史を大幅に補って、これと並べて理解しなければならない。その作業を怠ったせいで、モースの議論には大きな歪みが生じている。カリザスはこう言います。...
note.com
March 22, 2025 at 2:04 AM
公開しました。個人主義について。

「私が私であることは社会的役割の遂行である」という主張は、日本語人にはなぜ逆説に見えるのか。

なぜ西洋近代では逆説でないのか。

現代日本語人に読んで欲しい記事の筆頭かもしれない。

note.com/chikurin_8th...
March 8, 2025 at 1:16 AM
公開しました。個人主義について。

「私が私であることは社会的役割の遂行である」という主張は、日本語人にはなぜ逆説に見えるのか。

なぜ西洋近代では逆説でないのか。

現代日本語人に読んで欲しい記事の筆頭かもしれない。

@chikurin_8th
#note
March 8, 2025 at 1:14 AM
Xツイッタは、あんまり見てもらえなくなってるようなので、こっちでも宣伝します。noteの記事です。扉画像付きで引用添付できるのかどうかわからないけれど。とりあえず、

note.com/chikurin_8th...

うん、うまく行ったみたいだ。

公開しました。マルセル・モースの人格論と近代の逆説について。

私の考えでは、近代とは《秩序の建設を断念することの肯定をバネにして》秩序を建設する、という一個の逆説に見える。

モースはこの逆説を示唆した先達です。読んでね。
西洋近代と日本語人 第3期 その8|tetsujin
1.はじめに 367. 前回は、主に、「個人」と「人格」と「自我」という三つの言葉の共通点と相違点を整理しました。この整理は、マルセル・モースの1938年の論文「人間精神の一カテゴリー ――人格(パーソン)の概念および自我の概念」を扱う準備として行なったものです。 368. 今回は、このモースの論文の意義を検討します。論文の内容を紹介してから、その意義を検討するのが普通の順序ですが、内容の紹介...
note.com
February 8, 2025 at 12:51 PM
投稿をしてみる。どうなるのかな。エイッ
February 7, 2024 at 12:24 PM