色々なものの1つに、「好きの反対は嫌いではなく無関心」があるのだが、自分のこと嫌いと思っていても己自身に関心が向いてる時点で結局自分のこと好きだし、この世(現実世界)に生まれてる時点で自分のことが究極に好きだという証明じゃん、自我がそれを目隠しさせて悩ませてただけじゃん、と誰目線かわからない感覚になってた。
自我(思考、心情、感情、etc.)を雲とすると今の私は空そのもので、流れていく雲を空が上からただ眺めてる状態が近いと感じてる。今なら般若心経が伝えたいことが肌感覚でわかる気がするから本を読み返そうかな。
色々なものの1つに、「好きの反対は嫌いではなく無関心」があるのだが、自分のこと嫌いと思っていても己自身に関心が向いてる時点で結局自分のこと好きだし、この世(現実世界)に生まれてる時点で自分のことが究極に好きだという証明じゃん、自我がそれを目隠しさせて悩ませてただけじゃん、と誰目線かわからない感覚になってた。
自我(思考、心情、感情、etc.)を雲とすると今の私は空そのもので、流れていく雲を空が上からただ眺めてる状態が近いと感じてる。今なら般若心経が伝えたいことが肌感覚でわかる気がするから本を読み返そうかな。