この辺の愚痴は沢山ある。(自分が書いてて)面白く書けそうなら書きたい話だ。
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(勝手に新書タイトルを作ろう企画)
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だとしたら、思想(哲学)になんでも役割を押し付けるのも良くないな。
若干ズレるけど、自分がノンプラグインのデジタルツールを好むのにも似てる気が。
だとしたら、思想(哲学)になんでも役割を押し付けるのも良くないな。
若干ズレるけど、自分がノンプラグインのデジタルツールを好むのにも似てる気が。
この人たちの中では、自分みたいな力のない人間は勝手に単純な人間像に押し込められて、十把一絡げに何かの属性として語られてしまうのだろうな。
すごく怖いことだと思った。
この人たちの中では、自分みたいな力のない人間は勝手に単純な人間像に押し込められて、十把一絡げに何かの属性として語られてしまうのだろうな。
すごく怖いことだと思った。
そこで当然に出てくるのは、「アイデンティティとは?」ということなのだけど。
アイデンティティってなんで外から見ると割と明らかなのに、自分で自分を見ようとすると、見えなくなるのだろうか。
自分にある主体性/意志というものが関係する気がする。自分で変化を起こせるというところ。
それでもどこかで唯物脳的に、物理的に無理な変化にぶち当たったりして。遺伝とか、限界とか。限界がありつつも拘ってしまう。
「勉強の哲学」の享楽も関係しそう。
そこで当然に出てくるのは、「アイデンティティとは?」ということなのだけど。
アイデンティティってなんで外から見ると割と明らかなのに、自分で自分を見ようとすると、見えなくなるのだろうか。
自分にある主体性/意志というものが関係する気がする。自分で変化を起こせるというところ。
それでもどこかで唯物脳的に、物理的に無理な変化にぶち当たったりして。遺伝とか、限界とか。限界がありつつも拘ってしまう。
「勉強の哲学」の享楽も関係しそう。
他ならぬ自分のことの様に読み取った。他者の書いたものに魅了されて、わけも分からぬままただ書いているちっぽけな私も、属性としては物書きかもしれない。
他ならぬ自分のことの様に読み取った。他者の書いたものに魅了されて、わけも分からぬままただ書いているちっぽけな私も、属性としては物書きかもしれない。
"わたしにとって物書きとは職業ではなく属性である。シンプルに言えば、他者の言葉を読むことに尽きせぬ魅力を感じ、自分の言葉を書くことにさまざまなよろこびを見出してきた/いるからこそ、自分は今も物書きをやっているのだ。"
こちらから無料で読み始められます:https://a.co/cK44nVC
"わたしにとって物書きとは職業ではなく属性である。シンプルに言えば、他者の言葉を読むことに尽きせぬ魅力を感じ、自分の言葉を書くことにさまざまなよろこびを見出してきた/いるからこそ、自分は今も物書きをやっているのだ。"
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