トミー
@w0s.jp
「鉄道車両メカニズム&ディテール 国鉄115系近郊型電車」<books.ikaros.jp/news/n113939...>、この取材姿勢は素晴らしいですね。
今、窓が開く鉄道車両といっても一段下降のフリーストップ式が大半を占めていて、窓戸錠付きの2段窓など10年後には博物館に行かないと体験できなくなるでしょうから、こういった操作面を記録することは重要だと思います。欲を言えば窓戸錠を実際に指で操作している写真があるとなお良かったかと思います。
今、窓が開く鉄道車両といっても一段下降のフリーストップ式が大半を占めていて、窓戸錠付きの2段窓など10年後には博物館に行かないと体験できなくなるでしょうから、こういった操作面を記録することは重要だと思います。欲を言えば窓戸錠を実際に指で操作している写真があるとなお良かったかと思います。
October 3, 2025 at 12:24 PM
「鉄道車両メカニズム&ディテール 国鉄115系近郊型電車」<books.ikaros.jp/news/n113939...>、この取材姿勢は素晴らしいですね。
今、窓が開く鉄道車両といっても一段下降のフリーストップ式が大半を占めていて、窓戸錠付きの2段窓など10年後には博物館に行かないと体験できなくなるでしょうから、こういった操作面を記録することは重要だと思います。欲を言えば窓戸錠を実際に指で操作している写真があるとなお良かったかと思います。
今、窓が開く鉄道車両といっても一段下降のフリーストップ式が大半を占めていて、窓戸錠付きの2段窓など10年後には博物館に行かないと体験できなくなるでしょうから、こういった操作面を記録することは重要だと思います。欲を言えば窓戸錠を実際に指で操作している写真があるとなお良かったかと思います。
引退発表された箱根登山電車モハ1形、モハ2形、足まわりが更新されている今なかなかに貴重なのは主制御器(芝浦RMK)ではないだろうか。電磁単位スイッチ式というだけでも今どき希少価値があるところ、GE社のMKの系譜を持つものは他にどれだけ残っているのだろう。写真は今も残る104号のもの。
October 3, 2025 at 12:01 PM
引退発表された箱根登山電車モハ1形、モハ2形、足まわりが更新されている今なかなかに貴重なのは主制御器(芝浦RMK)ではないだろうか。電磁単位スイッチ式というだけでも今どき希少価値があるところ、GE社のMKの系譜を持つものは他にどれだけ残っているのだろう。写真は今も残る104号のもの。
撮影会がどういう形式になるのか分かりませんが、連結部を観察できる機会があるなら形式銘板に注目してみるのも良いかと。
9000系の1~2次車は登場当初形式区分が異なっていたのですが、それが目に見えて分かる貴重な証拠なので。(デハ9200形と表記されているのに自重が31.8tであることに注目)
9000系の1~2次車は登場当初形式区分が異なっていたのですが、それが目に見えて分かる貴重な証拠なので。(デハ9200形と表記されているのに自重が31.8tであることに注目)
April 11, 2025 at 1:57 AM
撮影会がどういう形式になるのか分かりませんが、連結部を観察できる機会があるなら形式銘板に注目してみるのも良いかと。
9000系の1~2次車は登場当初形式区分が異なっていたのですが、それが目に見えて分かる貴重な証拠なので。(デハ9200形と表記されているのに自重が31.8tであることに注目)
9000系の1~2次車は登場当初形式区分が異なっていたのですが、それが目に見えて分かる貴重な証拠なので。(デハ9200形と表記されているのに自重が31.8tであることに注目)
池上電気鉄道の開通時の車両は許認可書類上は乙号車→丙号車→甲号車の順に認可が行われていますが、当時の社長である高柳淳之助の自伝『事業を生かす頭』では駿遠電気から丙号車を購入する際に急遽乙号車も貰い受けることになったとされていますね。 dl.ndl.go.jp/pid/2932874/...
乙号車は駿遠電気20形としての写真も残されているので、「静岡でとまる電車を蒲田まで引いて来て」はさすがに誇張した表現だと思いますが、ともかく駿遠電気での使用実績は皆無で事実上の新車購入と言えること、丙号車も乙号車と同時に搬入されていた可能性が高いこと(雪ヶ谷延伸までは塩漬け?)が読み取れます。
乙号車は駿遠電気20形としての写真も残されているので、「静岡でとまる電車を蒲田まで引いて来て」はさすがに誇張した表現だと思いますが、ともかく駿遠電気での使用実績は皆無で事実上の新車購入と言えること、丙号車も乙号車と同時に搬入されていた可能性が高いこと(雪ヶ谷延伸までは塩漬け?)が読み取れます。
February 20, 2025 at 2:06 PM
池上電気鉄道の開通時の車両は許認可書類上は乙号車→丙号車→甲号車の順に認可が行われていますが、当時の社長である高柳淳之助の自伝『事業を生かす頭』では駿遠電気から丙号車を購入する際に急遽乙号車も貰い受けることになったとされていますね。 dl.ndl.go.jp/pid/2932874/...
乙号車は駿遠電気20形としての写真も残されているので、「静岡でとまる電車を蒲田まで引いて来て」はさすがに誇張した表現だと思いますが、ともかく駿遠電気での使用実績は皆無で事実上の新車購入と言えること、丙号車も乙号車と同時に搬入されていた可能性が高いこと(雪ヶ谷延伸までは塩漬け?)が読み取れます。
乙号車は駿遠電気20形としての写真も残されているので、「静岡でとまる電車を蒲田まで引いて来て」はさすがに誇張した表現だと思いますが、ともかく駿遠電気での使用実績は皆無で事実上の新車購入と言えること、丙号車も乙号車と同時に搬入されていた可能性が高いこと(雪ヶ谷延伸までは塩漬け?)が読み取れます。
ボールドウィンA型をはじめとした鋼材組み立てによる台車は枕ばね両側のトラス材が逆ハの字型をしているが、アメリカの古い車両の中にはそれとは逆にハの字型をしたものがわずかながらあった模様。そして枕ばねは存在しないように見える。
画像は『The American Railroad Passenger Car Part2』の p.580 掲載の図面で、ボールドウィン社が1860年に製造したシカゴ向け車両。
画像は『The American Railroad Passenger Car Part2』の p.580 掲載の図面で、ボールドウィン社が1860年に製造したシカゴ向け車両。
November 3, 2024 at 3:25 PM
ボールドウィンA型をはじめとした鋼材組み立てによる台車は枕ばね両側のトラス材が逆ハの字型をしているが、アメリカの古い車両の中にはそれとは逆にハの字型をしたものがわずかながらあった模様。そして枕ばねは存在しないように見える。
画像は『The American Railroad Passenger Car Part2』の p.580 掲載の図面で、ボールドウィン社が1860年に製造したシカゴ向け車両。
画像は『The American Railroad Passenger Car Part2』の p.580 掲載の図面で、ボールドウィン社が1860年に製造したシカゴ向け車両。
対談読んだ!!
ゲームの話だけでなく『絶望先生』の話題も多い。久米田先生の糸色望の呼び方が意外。
作品作りに関する話では週刊漫画とゲーム制作の対比がおもしろい。
「引き算の美学」、足し算に比べて引き算が評価されないの、クリエイターだけでなく世間全般そうですよね。問題が起こる度に増えてゆく注意事項に溢れた世界。足さない勇気がもっと評価されてほしい。
先生の御尊影もたくさん掲載されていて大満足。
ゲームの話だけでなく『絶望先生』の話題も多い。久米田先生の糸色望の呼び方が意外。
作品作りに関する話では週刊漫画とゲーム制作の対比がおもしろい。
「引き算の美学」、足し算に比べて引き算が評価されないの、クリエイターだけでなく世間全般そうですよね。問題が起こる度に増えてゆく注意事項に溢れた世界。足さない勇気がもっと評価されてほしい。
先生の御尊影もたくさん掲載されていて大満足。
September 28, 2024 at 1:05 PM
対談読んだ!!
ゲームの話だけでなく『絶望先生』の話題も多い。久米田先生の糸色望の呼び方が意外。
作品作りに関する話では週刊漫画とゲーム制作の対比がおもしろい。
「引き算の美学」、足し算に比べて引き算が評価されないの、クリエイターだけでなく世間全般そうですよね。問題が起こる度に増えてゆく注意事項に溢れた世界。足さない勇気がもっと評価されてほしい。
先生の御尊影もたくさん掲載されていて大満足。
ゲームの話だけでなく『絶望先生』の話題も多い。久米田先生の糸色望の呼び方が意外。
作品作りに関する話では週刊漫画とゲーム制作の対比がおもしろい。
「引き算の美学」、足し算に比べて引き算が評価されないの、クリエイターだけでなく世間全般そうですよね。問題が起こる度に増えてゆく注意事項に溢れた世界。足さない勇気がもっと評価されてほしい。
先生の御尊影もたくさん掲載されていて大満足。
和久田康雄氏の「日本の路面電車」(1977年・鉄道ピクトリアル連載)の許認可データを見ていて気付いたけれど、認可を伴わない届出の日付を「鉄道会社が書類を提出した日」ではなく「書類の受付が行われた日」を基準としておられる。
例えば玉川電気鉄道の電動客車9~12号の廃車日は1937(昭和12)年4月7日ではなく同23日となっている。
自分は認可は実際に認可が行われた日を基準に考えるが、届出は鉄道会社側の視点で提出日を基準にしていて、私の知る限り他の車歴ファンもそのケースが多いと思うのだけれど、いずれにせよその辺の定義は冒頭でしっかり但し書きしておく必要性を感じた。
例えば玉川電気鉄道の電動客車9~12号の廃車日は1937(昭和12)年4月7日ではなく同23日となっている。
自分は認可は実際に認可が行われた日を基準に考えるが、届出は鉄道会社側の視点で提出日を基準にしていて、私の知る限り他の車歴ファンもそのケースが多いと思うのだけれど、いずれにせよその辺の定義は冒頭でしっかり但し書きしておく必要性を感じた。
September 25, 2024 at 1:07 PM
和久田康雄氏の「日本の路面電車」(1977年・鉄道ピクトリアル連載)の許認可データを見ていて気付いたけれど、認可を伴わない届出の日付を「鉄道会社が書類を提出した日」ではなく「書類の受付が行われた日」を基準としておられる。
例えば玉川電気鉄道の電動客車9~12号の廃車日は1937(昭和12)年4月7日ではなく同23日となっている。
自分は認可は実際に認可が行われた日を基準に考えるが、届出は鉄道会社側の視点で提出日を基準にしていて、私の知る限り他の車歴ファンもそのケースが多いと思うのだけれど、いずれにせよその辺の定義は冒頭でしっかり但し書きしておく必要性を感じた。
例えば玉川電気鉄道の電動客車9~12号の廃車日は1937(昭和12)年4月7日ではなく同23日となっている。
自分は認可は実際に認可が行われた日を基準に考えるが、届出は鉄道会社側の視点で提出日を基準にしていて、私の知る限り他の車歴ファンもそのケースが多いと思うのだけれど、いずれにせよその辺の定義は冒頭でしっかり但し書きしておく必要性を感じた。