モンフ ͛ラン
banner
yuta-o96.bsky.social
モンフ ͛ラン
@yuta-o96.bsky.social
✎𓈒𓂂𓏸 浮遊層 ※よく言葉をつかいます。
読んだ本とか、考えごととか。読書に限らず「読む」という人間のふるまい、想像なんかに興味があります。雑煮のようなアカウントです。
conocybe(コガサタケ)
全くブルスカ?青空?を開いてなかったので久しぶりの投稿。いつもお世話になっている片町のらーめん居酒屋 吟座FouFouさんのエビマヨを描きました。

コクヨ 鉛筆シャープ 0.7
マルマン スケッチブック SOHO501 B5

エビマヨよりも皿がメインになってしまった感が。FouFouさんは、怪談界隈の聖地にもなりつつあるそうな。チャーハンも美味しいのでぜひ。最近あんまり本を読んでないな。
July 18, 2024 at 1:09 PM
作中作である演劇、フィクションがカラーでリアルに描かれ、作中作のメイキングや舞台の裏側がモノクロのフィクションのように描かれる。“You can’t wake up if you don’t fall asleep” 「眠らなければ起きられない(目覚めたければ、眠れ!)」脚本家が悩んでいる際に、俳優陣に問いかけた結果、たどり着いたこと。

作り手の制作に関わる時間、作品を通して紡がれる人間関係、私生活など含め、ひとつの演劇が練り上げられていく。確かにそれらの時間が作り手にはリアルでカラフルなんだけれど、いずれ作品が立ち上がってくると、それまでの過程は作品の背景に隠れ、綺麗にパッケージされる。
April 30, 2024 at 1:48 AM
描ききれなかった諦めチャーハン
April 26, 2024 at 2:21 AM
安部公房と石田徹也の作品の雰囲気に似通ったものを感じる。受け手に生理的な感覚を呼び起こさせる比喩とユーモア

安部公房『都市への回路』より。比喩が用いられる際に、生理的な感覚に訴える言葉が目立つという指摘に対して、五感で切り出されるものには限界があり、言葉による概念は多様で精密である。しかし再び単純な五感の次元に引き戻さないと、イメージとしては共有されにくいと。

あまりにも概念的な記述になればそのシンボリックさが際立って、イメージとして共有されずに、ものごとの神秘化による混乱が生じる。生理的な共通言語を介して、あり得ないけれども想像はできるといった感覚を読者に抱かせる。
April 6, 2024 at 2:49 PM
図書館で『利尻島から流れ流れて本屋になった』を読んだ。接点はないが学部の先輩で、学生時代に自分もよく知る居酒屋でバイトされていたそうで。

著者も書いているように書店員本として読むと物足りなさを感じると思う。直近で『箱男』を読んだせいか、書店のカウンターがこちら側を覗く箱みたいに見える。彼らの書き記すメモを覗きたいという思いは確かにあるかもしれない。

著者の故郷である利尻島の記憶が、人を起点に引き出されていく。「書店は、故郷だ。」流れ流れて本屋となった著者はそう言及する。あらゆる言葉が一時的に書店という場所にとどめられ、いろんな手に渡っていく。

他者の言葉をヤドカリみたく借りてみよう。
March 30, 2024 at 11:55 PM
そして気になったので『燃えつきた地図』を借りてきた。
March 29, 2024 at 10:05 AM
そういえば「覗く」は「見る」と「司る」が合わさっている。覗いているのは自分だけれど、その視界に全てを奪われ、自分の姿が無防備になっている。安部公房著『箱男』この漢字が頻出するためグルグル頭を駆け巡っている。

箱は覗いている自分の無防備な姿を隠しているのだろうか。おそらく、見る/見られるの主従関係に入ってしまうとたちまち、箱男の匿名性が失われて自分が浮かび上がる。かつてスマホの画面に写り込んだ自分の顔を描いたことがある。

画面越しに投稿するのも「覗く」に似た行為なのかもしれない。投稿主であるはずの自分の存在が薄くなる。すると急に画面が暗くなって、自分の顔と目が合って、見る/見られるの関係に。
March 29, 2024 at 12:25 AM
誰かの言葉を司るということは、全人格的なものになりかねない、ということか。

幼少期を思い返すと、自分というものが親の言葉によって徐々に形成されていく。自分の預かり知らぬところで、自分というものが語られ、共有される。他言語への通訳と違って母語となると、自分は徐々にそれを理解していくから、自然と語られたことについて受け入れ、自ら演じようとしてしまう。
March 28, 2024 at 11:33 PM
そうなんだよな、いくら自分だけの文章なり物語を生成してくれるもので満足できるかと言われたら、誰しも他者と共有したいという思いがあるからそれだけでは満足できない。

無から生成された文章よりも誰かの熱量によって生み出されたものが、他者に響いたりするし、その熱量に人は信頼を置くのだろう。直近の有隣堂YouTubeを視聴して。
March 27, 2024 at 12:23 PM
久しぶりの晴れ間に外に出るきっかけを作ろうと、伸び放題だった髪を切りに理髪店へ。物理的に頭が軽くなったので、精神的にも軽くなってほしい。

新鮮な空気が身体に循環されたのか、部屋に戻るとなんとも言えない匂い、どんよりとした空気が襲ってきた。慣れは怖い、そのどんよりが普通になってくる。

ひとたび光が当たり始めると、これまで見て見ぬふりをしていたところまで照らされる。少しずつでも変えていかないと。
March 27, 2024 at 12:19 PM
衝突回避の行動がうまくとれない時の体の硬直がいまだに生じてしまう。住宅街の中の十字路、大通りから入ってきた車が来て、こちらも十字路を渡ろうとするタイミングで、向こうが止まってもしばらく硬直して動けない。人とすれ違う際も同様に、どっちつかずになると硬直する。

子どもの頃、ボールを離してしまって、止めに行こうとして車とぶつかりそうになった経験、それがいろんな衝突しそうな場面に顔を出すのだろうか。それほど深刻な出来事でもなかったのに、知らないおじさんに怒られたのが強烈に残ったのか。
March 27, 2024 at 5:16 AM
「読む」という行為、眼前の文章や光景から想像を巡らせること。アナログ的に現実の時間に複数性を持たせるようなもの。拡張現実のように視界に思考のフィルターをかけるような人間の遊び、現実をずらしていく。

わからないを保持しつつ、わからなさに導かれるまま読み進めていく。学びという時間的な現象も、わからなさを起点にとりあえず身を投じてみるところから始まる。突き詰めれば、生きるということ自体、そうだと思う。

最初から得られるものが分かっている、金額に見合ったもので不変のもの、そういった等価交換の無時間モデルが蔓延している。時間的な現象がプツッと分かれるようで、生と死についても数だけの問題に終始する。
March 23, 2024 at 11:59 PM
ちょっと「読む」という余裕のない今日この頃。

郵便ポストみたいな人物についての小説を買う。郵便という信頼で成り立つシステム、そのプロセスが得体の知れない存在であれば、急におかしなものに変貌する。送り主と宛名が同居する切符のようなものが、全く意味をなさない場所で自由に改変されて扱われる。本来想像する必要のない隙間に現れた人間。

郵便ポストのようにこちら側に口が開いている。いろんな誰かの情報が入ってくるだけ。その人物は匿名で、ただその誰彼の情報を覗き見るかのように抱え込む。宛名の実態がよくわからない架空請求やDMみたいに、名前はただの飾りでしかなくて、ほぼもぬけの殻のレンタルオフィスそのもの。
March 20, 2024 at 10:07 AM
アマプラで『仄暗い水の底から』をみる。個人的に日本のホラー映画といえばこれ。霊的な怖さよりも、点と点を結びつけて物語にしてしまう人間の恐ろしさを、複合的に見せつけられる。

離婚調停で有利な方向にもっていこうとする夫は、妻の行動を切り貼りして、彼女の情緒不安定さを主張する。妻は、自分の抱いた不気味さを確かめるかのように、自分の感覚と経験、社会的な出来事を自然と結びつけてしまう。

「まじめ」の側から「ふまじめ」を説明しようとするほど滑稽なことはない。何かしらの物語にして自分というものを保持しようとする人間の本質と、そういった固着から脱したい、自らを変化に晒して傷つこうとする人間の宿命と。
March 14, 2024 at 11:30 AM
鷲田清一『素手のふるまい』ふと思い出して、このタイミングだと押し入れから引っ張り出してきて読んだ。

芸術と社会との関係みたいなことに興味を持ち出したきっかけの本。当時は具体的な作家の活動しか内容的にうまく吸収できなかった。

「「わからなさ」をいただく」たやすく乗り越えていく感じ。ギュッと包み込んでくるものへの抵抗、自分の内に宿った小さな棘、そのわからなさを抱えたまま自ら開いていく「生の技法」

何らかの物語にまとめ上げるような内への引き留めでなく、わからなさを起点にそれぞれに開かれていく、外へのこじ開け。本文で紹介されていた、伊達伸明「とつとつな音」という詩の言葉がグッときた。
March 14, 2024 at 7:34 AM
本はモノ的にわかりやすく、複数の時間を抱え込んでいる。著者の執筆の時間、物語のなかの時間、自分がそれに触れている時間など。本に限らずあらゆるものがそうで、学びという時間的な現象も、常に複数の時間を自分のうちに抱えながら進んでいる。

わからないもの、引っかかっているもの、いろんな時間を抱えて、行ったり来たりする。わからないものをわからないまま留めておくことができるのは凄いことだし、それが学びの原動力にもなる。いまはそれが耐えられないのか、得られたはずのものが得られなかったという声が大きい。
March 9, 2024 at 1:21 PM
「本屋さんは、かくあるべき」みたいな理想化された主体から、日常と地続きの、動的で不安定な主体へと前提を変えないといけない。ランニングは、自分の体の状態、気温や湿度、周りの環境も含めて調節しないと心地よいものにはならない。運営していくランニングも同様だと思う。もっと具体的に本屋的なものを日常から構築していかないと、結局同じことの繰り返しになる。何らかのモデルで交換可能なものでなく、学びのような時間的な現象であることを忘れてはならない。
March 7, 2024 at 9:05 AM
「地域の文化拠点としての役割」という常套句はもう何遍も聞いたし、そんなことはわかってる。集まる場所が大切だと言うなら、別に本屋じゃなくていい。結局、同じような文句をいろんなところに向けて改善しろと言い放つだけ。追随できるものだけが生き残り、その特殊例が普遍的なモデルに掲げられる。

例にある本屋を活用できる人が集まったらそれはそれでいいだろうけど、あまりにも単純すぎるし、小難しい単語ばかり並べて空中戦を繰り広げて、ビュアーから拍手喝采みたいな他人の言葉が飛び交う非日常より、日常の領域から自分たちの言葉を紡ぎながら、適度な入射角と距離感で世界と繋がる方がいい。
March 7, 2024 at 8:49 AM
書店振興プロジェクトチーム発足のニュースそのものより、リアクションがたくさん目に飛び込んでくる。よく行く本屋さんには自分の居心地のいいコーナーやジャンルがあって、そこが止まり木のような役割を果たしてくれる。それがあるから安心して散策できるし、他ジャンルにも広がっていく。蔦屋書店もいいけど、なかなか止まり木のようなコーナーを見出しにくい。居心地最優先の本当の止まり木になってしまって、自分事から抜け出せない。
March 7, 2024 at 8:46 AM
喘息持ちなので定期検診、ここ数年は息苦しさの症状は出ていない。肺機能検査とレントゲン撮影、レントゲンの動画撮影なんて初めてだった。検査の様子でなく、レントゲン画像が呼吸に合わせて動いてる。肺機能検査は、息吸って吐いてのグラフだけど、レントゲンで呼吸に応じた肺の動きが見れるのは左右で違わないかとか、より詳細に分析ができるそうで。

呼吸が筋肉の収縮と弛緩による受動的なもので、その呼吸筋を動かすためのエネルギーが、ATPの分解によって生成されているなら、人間の存在自体かなり委ねられているものなんだなと。検査で「楽な呼吸をしてください」と言われ、吸って吐いてとわかるのは、楽な呼吸か?と妙に力が入る。
March 7, 2024 at 8:08 AM
東浩紀『観光客の哲学 増補版』第9章「触視的平面について」

「触視的平面の時代において、ひとは『にせもの』の彼方に『ほんもの』があるはずだと考えない。現代は、『にせもの』が『にせもの』として触られ、操作され、加工され、多くのひとがその操作そのものに快楽を覚える時代であり、また『にせもの』を触っているだけでもいつか『ほんもの』に届くはずだと信じられる時代」(p.388)

「読む」という行為も、触視的平面の時代の変化を受けている気がする。こちら側から操作可能になったが故に、向こう側の見えない領域を想像する必要がなくなる。画面上で複数の時間をパッチワーク的に紡ぎ合わせる無時間モデル的な世界観。
March 2, 2024 at 10:52 AM
これが名残雪というやつか、とても寒い
March 1, 2024 at 11:21 PM
読書論や実学的な「読む」という行為の分析はたくさんあるけれど、抽象概念として「読む」ということを分析したものはないのだろうかと。読書に限らず「読む」という思考回路についての考察みたいなもの。知覚や認識の部類になるのか、
March 1, 2024 at 9:43 PM
言葉のニュアンスや、文脈のまとまりをかなり気にするので、ポストの投稿、削除、再投稿を繰り返す傾向にある。
March 1, 2024 at 4:06 PM
震災から2ヶ月じゃないな、直接的な被害をもたらした地震の発生から2ヶ月か。震災という時間的な現象、それぞれで進み方の違うものを、ある一点で容易に認識できてしまう人間の強さと愚かさ。
時間的な現象をある一点で捉えたり、交換可能なものとして捉える傾向にあるのは、幼い頃から誰しもが消費主体として振る舞うことを求められているからなのか。購入する前後で買い手が変化しては交換関係が成り立たないし、消費主体は変化しないことが前提となっている。
ある一点から全てを判断するのは、あるポストの内容や倫理観をその全人格に当てはめようとする振る舞いに類似する。タイパやコスパのような無時間モデルがあらゆる範囲に広がる。
March 1, 2024 at 4:04 PM