Atta Tatae
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フーコーによれば、権力は「生産的」です。権力があるところに抵抗の可能性があり、いかなる権力も、(抑圧の道具ではなく、)主体や関係性を生み出す力として機能する。

その中で、社会主義はまさに「過剰生産」の極致でした。

国家が規律を総動員し、個人の内面から社会全体までを「倫理的」に再編成しようとした結果、抵抗は地下で増殖します。

社会主義は抵抗を「過剰生産」して自壊したわけです。
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フーコー的に言うと、社会主義は規律権力をマクロスケールで押し進めた試みです。

マルクス主義のイデオロギーが、国家や集団(プロレタリアート)の名の下に、個人の行動を「階級闘争の倫理」として再定義します。

中国の文化大革命のように、倫理が「社会の内部」に強制的に注入され、個人の内面を国家の鏡像として溶解させるのです。

これにより、統治コストは節約されるはずですが、ここに逆説が生じます。
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「倫理」というものを、「統治コストを節約するためのテクノロジーの全体」だと思ってください。

宗教というものは、上の意味における「倫理」を、一人一人の心の内面に展開するものです。

社会主義というものは、その正反対に、社会全体に「倫理」を展開して、人々をその中に取り込むものです。
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【77分で『資本論』がよくわかる】日本共産党・志位和夫議長が集中講義!|選挙ドットコムちゃんねる

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ずいぶん評判がいいみたい。一体なぜ?この世は不思議なことだらけです。
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月経前の気分障害「PMDD」、抗うつ薬も選択肢に
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「二重人格的な気分の落ち込み」「こんな卵巣もう取ってもらいたい」

PMS(月経前症候群)のうち、不安などの精神症状を生じるPMDD。

日本には約100万人の患者がいるとされますが、「認知度が低く、気づかずに生活している人も多い」と医師は指摘します。
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nikkei.com
日本の鉄鋼生産がアメリカを下回る 1〜8月
www.nikkei.com/article/DGXZQO...

アメリカがトランプ関税の効果で生産を伸ばすなか、中国の安値輸出で国際市況が悪化し増産しにくくなっています。

通年の生産量でもアメリカに抜かれると、日本は世界4位に後退します。
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玉木氏は「野党共闘」という政治的リスクを回避し、「批判はするが権力は握らない」という安全地帯への逃避を選んだ--ということになります。

つまり「たまきは、にげだした!」ということです。
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玉木氏の発言は一見「政策の違いによる現実的判断」に聞こえますが、実際には次の3つの意味をもっています。

1. 政権交代から逃げたい:つまり「与党の補完勢力」としての立場を選んだということです。

2. 「中道」ブランドを守りたい:玉木氏はずっと「中道」「現実路線」を掲げてきました。いま立民と組めば支持者を失う。維新とも対立したくない--それが怖いわけです。

3. 維新への目くばせ:発言場所が大阪なのは偶然ではない。維新の地盤で「立民とは組めない」と語ることで、維新との関係悪化を避けた。維新と協調して「第3極」の立場に立ちたいということです。
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倫理とは、統治コストを下げるための、ありとあらゆるテクノロジーの別名に他なりません。人間を「家畜化」するための技術体系と言っても同じだ。
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「あらゆる差別に反対します」と「言う」だけならどんなばか者や嘘つきだってできます。でも、実際に「行う」ことはだれにもできない。

私が言いたいのは、「結局、おまえは自分が可愛いだけじゃねえか」ということです。
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「正義」はつねに演技である:だれもが「正義を語るかっこいい自分」を見せたい。

「私は差別に反対です」とのたまうことで、人は自分の善人ぶりを演出し、「いいね」を得る。

このとき、「差別反対」はまるで宗教のように機能します。

救済を説くが、信じる者と信じない者を分ける。

そこにもまた「差別」が生じる。
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「反差別運動」はしばしば「新しい差別」を生み出す:ある差別を告発する運動は、しばしば別の集団を「敵」として設定します。

その敵を「差別主義者」として糾弾し、排除する。

つまり「差別する者を差別する」という形で、差別の構造が裏返るだけなのです。

この二重構造をニーチェは「奴隷道徳」と呼び、フーコーは「反権力的言説もまた権力である」と分析しました。
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であるならば、差別をめぐるディスクールはどこまでも皮肉ではありませんか。

なぜなら、それが語られるたびに、「差別をなくす」という目的とは逆に、新たな差別の構造を再生産してしまうからです。

「差別をなくそう」という言葉そのものが、差別を前提にしている:「差別をなくそう」と言うとき、すでにそこには「差別される側」と「差別をなくしてあげる側」という立場の差が生じています。
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「倫理」なるものが胡散臭いのは、まさにここです。

倫理なるものの正体は「道徳的に見せかけられた利害調整装置」だからです。

それをフーコーは「規律権力」と呼びました。

権力は暴力でなく、「善意」や「理性」の形で働く。

「差別はいけません」という声が広がるとき、実際には社会が「管理しやすくなる」だけなのです。
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歴史的に見ると「平等」や「人権」は支配者が下々に「与えた」形をとります。

たとえば、

・奴隷制の廃止は、道徳ではなく産業資本主義の要請だった。

・民主主義は、王権の代わりに資本の支配を正当化する仕組みだった。

・「人権」は、国家による徴兵や納税を正当化するための交換条件でもあった。

つまり、被支配者が「平等」を得た代わりに、支配秩序を受け入れたのです。

損得の観点で言えば、これは「支配の契約」であって「解放」ではない。
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これは損得の問題であって、道徳の問題ではない。

「差別してはならない」というのは、あくまでも世の中を支配している偉い人たちにとってそのほうが都合が良いから--つまり統治コストが安くなるからに他なりません。
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「差別は悪い」と言いますが、私はつねに差別しているし、また、私自身も差別されています。

頭の悪い人、見た目の醜い人、不潔な人、体の不自由な人、子ども、老人、異性、そして外人を差別しない人はいません。

なぜなら、かれらの味方をすれば自分が損をするからです。

つまり、みんなが利己的であるためです。

自分が利己的であることを改めようともせず、ただ口先で「差別は悪い」というだけの人は、大嘘つきだと言えるでしょう。