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0mn.bsky.social
@0mn.bsky.social
自分の住んでいる世界を否定しているから生きにくいのであって一切の迎合と妥協を辞めたらいい。
December 18, 2025 at 12:30 AM
ヘアケア商品いろいろあるけれど、シャンプーの直前と直後にくしとかブラシでとく、次にコンディショナーの直前と直後にくしとかブラシでとく、をやるだけで、だいたいサロン行かずとも良い髪質が保てるように思う。むしろこれをしないと、どんなに良いものを使っても日頃の手間がかかる。髪質は人によるのかもしれないけれど。
December 12, 2025 at 1:44 PM
ただたんに行為と結果がある、というふうに世界を理解するにはまだまだ経験(瞑想)が足りていないと思う。でも、経済には理論とか別にない、という気はしてきた。
December 12, 2025 at 9:48 AM
フルリモートワークという働き方の必要性を政治家とかに訴えて何らかの制度を作ってもらえたりしないだろうか。。
大抵の企業は、在宅勤務求人に「楽だから」以上の必要性がかなり多くの人にとって存在することは理解しているはず。それでも出社回帰せざるを得ないなら、国とかに取り組んでもらうしかないのではないか。
December 11, 2025 at 7:20 AM
新居近くのスタジオいー感じで喜ばしい。
ただ冗長化されていなくて、ここがもしなくなったら終わるので課金していきたい…
December 5, 2025 at 2:34 PM
心においては人生の目的を見つけられていない。気付けば「角が立たない」ことを目指し、その過程を人類一般の目的だと脳死で信じ込んできた。特に十代の頃なんて人間関係を心から望んだことは一度もなかったのに。本当は勝ち続けるべきなのかもしれないし、あるいは村上春樹のようにそもそも全てに意味という着色はないという考えもある。どんな立場についてもわからないことはないという程度の距離を持っている。ただ感覚的な幸福だけは明確にあって、雨の雰囲気と空気のある朝を一人で過ごす時間とかがすごく好き。
December 2, 2025 at 11:43 PM
雨も悪くない。雨の雰囲気も生活の彩り。
December 2, 2025 at 11:32 PM
意味なんてないさ 意味なんてうそさ
November 28, 2025 at 1:25 AM
業というものがあるのだから、六道というものもどうしても存在する。想像力には限界があり、そこから生じる争いも存在せざるを得ない。やるべきことは決まっている。ということなのかもしれない。
November 24, 2025 at 7:27 AM
めくらやなぎと眠る女を見てやっと、かえるくんにとって片桐が「夜汽車の汽笛」だということに気付いたし、作品の根底に流れるものが孤独の消滅という願いなのだと気付いた。風の歌を聴けから書いていることは変わっていないんだ。
November 23, 2025 at 4:32 AM
Reposted by 怜
自我というのは時間のことだ。
February 9, 2025 at 10:21 AM
六道輪廻図はいいなあ。仏教は巨視的な視点であることを感じるし、六道を知ることが六道からの脱却であることも分かる。
March 17, 2025 at 6:16 AM
やや高価だったチベット密教の本、慈愛の項を繰り返し読んでいる、癒される。苦しみによって我が落ちて心が純粋になり、愛によって悲観や憎悪や挫折を乗り越えられると思う。生き方の答えを求め続けてきた。自分なりのものを見つけられつつある気がする。
September 3, 2024 at 4:11 PM
四念処の瞑想の一部は、長年取り組んできて、少し成果が出てきたような気がする。あらゆる存在は、一瞬たりと同じであることはない。そういう理解ができると、この世の矛盾に苦しむことがない
September 3, 2024 at 2:52 AM
たぶん二年前くらいからは、自分というものを定義して、定義した自分にチューニングする訓練をしていた。でも、それはもう辞めて良い気がする。
September 3, 2024 at 2:42 AM
敵から遠い安全地帯よりも敵がいない世界に住みたいし、幸福はそこにしかない

逆境の中でこそ修行である。いつでもどこでも悟っているなら修行する必要はないのだし。どこからでもまた始めよう。
September 2, 2024 at 2:08 AM
そもそも生を否定して死を肯定する仏教に本気で取り組むということは死に向き合っていくということだったのに、当然覚悟が足りなかった。いつ訪れるかわからない死なんかより目の前のことの方がずっと重要だった。
August 30, 2024 at 8:53 AM
人は必ず死ぬということは、脅しでも恐るべきことでもなく、ただ単に真実で、生に固執する行動は全て死から目を逸らす行為。生きるために手を汚すよりも良く死ぬために生き方を守る、そういう方向で生きられるくらい生に絶望しないといけないな
August 30, 2024 at 8:49 AM
改めて私を哀れむ人達に腹を立てている。人間など大抵病的な屈折も傲慢さも持ち合わせているのに、そこに無自覚かつ逃避の姿勢を持っているから自己に向き合う私が馬鹿馬鹿しく、まるで不幸なように見えるのだろう。
August 25, 2024 at 2:38 PM
良心で向き合ってきたもの達はそうするまでもない程度の存在だったかもしれない、という気持ちにもなり、新しい人への向き合い方を考えなくてはならない。仏教徒のなりそこねとしては、全てに仏性を見出すということの意味についてもっと考えなくてはならないだろう。
August 25, 2024 at 2:33 PM
最近得た人間理解。人が愛情と呼ぶものはどうやら広義の性欲らしいということ。思考を介入させず単純に快不快のみで物事を判断する人は多いらしいということ。この事実に気が付き、自分の生きる世界の恐ろしさに絶望しているものの、分からないという苦悩からは解放されて少し楽になった。
August 25, 2024 at 2:29 PM
この状態で一定期間頭脳労働していたので(命懸けだったけど)、もとの精神力が本当に人間離れしていると思うし、そういう異常な自分のことは愛することしかできない。
August 2, 2024 at 1:32 PM
人の話を聞きすぎることは、性格ではなく症状なのかもしれない。色々同時期に発生しているしね。
August 2, 2024 at 1:29 PM
集中というものは、瞑想の基礎であり最後である。三昧の最終段階では集中しない集中、つまりデフォルトの状態が完全なる集中の状態となる。集中を強めるプロセスで雑念が増えたように感じる段階が来るが、これは深い意識の雑念が意識化される段階である。この段階では集中を強めるだけではなく雑念を落とす作業が必要になる。
May 31, 2024 at 3:01 AM
リュックには花といろはすをいっぱいに、期待していいんだよ運命を
May 24, 2024 at 12:00 PM