宮本綾
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今年は治安維持法制定から100年の節目だが、流石に保守政治家であるからか反政府、反帝国主義運動にはふれず、政治家や学者、ジャーナリストらエリートの引用に終始した。国内向けの談話でありながら沖縄を捨て石にした歴史は出てこず、旧きよき保守派の「良識」なるものの底がみえた。
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戦後80年談話は確かに踏み込んだ内容もあったが、全体的に「内向き」で植民地支配や戦後補償の問題にふれておらず、天皇制の下での帝国主義的侵略に対する反省や実効支配を行った諸外国、諸地域に対する謝罪がなかった。そういう意味でも「教科書的」な戦前観を踏襲した内容といえるだろう。
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今野の主著はタイトルに「系譜学」とついているが、中身はまったく系譜学の手法に則ったものではなかったので系譜学をバカにしているのかとさえ思った。もっと違うタイトルにすればよかったのにと思うが、知的な誠実さは文章にも実際の態度にもあらわれるものなのだと感じた。誠実さを欠く文章を読むのは疲れるし嫌な気持ちになる。
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佐々木や今野の文章を読み返してみたら論理が飛躍していて直前の文と直後の文がつながっていない文章が少なくなかった。斎藤の場合は主張そのものに飛躍があるものの読み辛さを感じることはあまりなかったように思う。

通常の理論書と佐々木らの文章とで大きく違うのは理論や歴史に対して誠実かどうかという点だ。後者は問題意識やオルグしようという囲い込みの意識が強すぎて理論に対して不誠実な文章になってしまっている。特に他人に対して優位に立とうとする箇所は説明が足りずその箇所だけ浮いているという例も多々見受けられる(多かれ少なかれ同じことは斎藤にもいえる)。
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『レイシャル・キャピタリズムを再考する』を読んでいるが、トラウマの話が出てくるのが新鮮だった。そういえば日本のレイシズム、反差別の議論でトラウマがテーマとして出てくることはほとんどなかったように思う。
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キャシー・ウィークスの「自分たちのものであるが自分たちのためではないものとして未来を想像するのを厭わなくなる方法を学ばなければならないのだ」という言葉はいつ読んでもいい言葉だなと思う。

「ユートピア的セラピー――労働、非労働、政治的想像力」(フレドリック・ジェイムソンほか『アメリカのユートピア 二重権力と国民皆兵制』)より
shoshi-shinsui.com/book-AU.htm
『アメリカのユートピア』(書肆心水)
shoshi-shinsui.com
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先年亡くなられた田中美津の言葉に「わかってもらおうと思うは乞食の心」というものがあります。わたしはこの言葉に従い、他人に理解してもらいたいというないものねだりを捨て、自分の信念や信条を主張することに専念しています。だからわたしの主張には他人に賛同を求めることは前提になっておりません。ただそれだけのことです。
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あなたのために書いてないので申し訳ない。もとい理解されない前提で書いているのでしょうがないと思っています。ごめんなさいね。
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ここで前提を説明してないんだからわからないのは無理ないんだけど、言ってないことを言ったとか曲解して自分が言いたいことを押し付けてくるような人間に対話は不可能だわな。いつかちゃんと書くからそれまで気長にお待ちになって
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赤ちゃんポストって代理出産なんですよ
kiamifu6101.bsky.social
代理出産こそ家制度や家父長制の解体、ひいては子供と親にとって必要といいますが、別に福祉としての養子縁組や赤ちゃんポストの拡充でも問題ないのではないでしょうか?

むしろ代理出産を利用するのはかなり自分の血縁とか遺伝子にこだわりがある人だならこそではないでしょうか(子供を慈しみ育てたいだけなら、血縁ないこどもを引き取るのでもいいはず)

また、子供の幸せ=親がいる家庭みたいな考えもなんとなく感じたのですが、たとえ引き取り手が現れずにずっと児童養護施設育ちでも健康に育つ社会のほうがよくありませんか?
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環境破壊も動物擁護も考え方として右も左もないというのは実は違くて、右も左もないから右翼の思想になるというのが正しい。
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この戦略は反省的に捉える必要があります。この戦略を採用する識者は経済的要因からのみ過労死を説明しようとします。しかし、これでは「日本人」の権威主義への従属、精神的支柱としての天皇制の問題と労働との関係を捉えることができません。さらに、戦前日本の植民地、侵略国家、地域への加害の問題、そして過労死を引き起こしてきた戦後日本社会の労働者の加害の問題との関係を捉えることができないという問題もあります。

今回の高市の演説によって、図らずも天皇制と過労死の問題がクリアになったのではないかと思います。極右の政治家が首相になろうとする今、天皇制と労働の問題を再考すべきではないでしょうか。
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戦後日本企業が「企業戦士」を生み出し、生産性を是とする社会で過労死を引き起こしてきた過程は、天皇制を国体とし戦争への協力を日本が支配する地域住民に強制して日本軍兵士を死なせてきた戦前社会と重なる。このような指摘は多くの識者によってなされてきたかと思います。この点で天皇制と過労死の問題はつながっていると思います。

しかし、近年の労働運動では天皇制と過労死のつながりを指摘しないばかりか、労働問題を天皇制の問題とは別の問題として引き離し隠蔽しようとする力学が働いてきたのではないでしょうか。これは大衆運動として労働者の合意を得るために意図的に天皇制について問わないようにする戦略でした。
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過労死は企業による殺人です。まさにワークライフバランスを捨てたような環境で多くの労働者が企業に殺されてきました。政治家の役割は過重な労働を規制し人権を尊重する働き方を推進することにあるはずです。それがわからないなら、まずは過労死遺族の言葉に向き合うべきでしょう。

日本は幸福か : 過労死・残された50人の妻たちの手記
www.hanmoto.com/bd/isbn/9784...
日本は幸福か : 過労死・残された50人の妻たちの手記 全国過労死を考える家族の会(編) - 教育史料出版会
www.hanmoto.com
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高市が自民党総裁に選出された際の演説で「馬車馬のように働いていただきます。私自身もワークライフバランスという言葉を捨てます。」と発言しました。来月11月は「過労死等防止啓発月間」ですが、それを前にして影響力のある政治家が過労死を促進するような働き方を煽ることに危機感を覚えます。
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ヒースも斎藤幸平もクソ野郎なのでそのまま対消滅してくれという気持ち。ヒースの文章がバズるのは癪だから私(わたし)も斎藤があらゆる差別を擁護するクソ野郎であることを論証した文章を公開してバズってやろうかな。

斎藤の理論がダメなのはラディカルすぎるからではまったくなくて、むしろ保守的すぎるからなのよ。彼の理論は資本主義の根本を何も変えないし彼自身変える気もない。だから右派の理論として役には立っても左翼理論としては全然使い物にならない。そのことを日本の左派はまるで理解できていない。
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正直な話、インターセクショナリティの基本文献を載せた本を佐藤文香と千田有紀に作らせる隙を与えた日本のフェミニストは大罪だと思ってるよ。

誰かがクレンショーの論文をちゃんと全部訳す仕事を果たしていればクレンショーとローフォード=スミスの論文が並ぶことなんてなかったんだよ。ああいう本を作らせた責任が他の日本のフェミニストにないなんて言わせないよ?
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古川直子の本を読んだ後に『リプロダクティブ・ジャスティス』を読むと、人権やSRHR、社会正義、リプロダクティブ・ジャスティスといった事項に対して古川がいかに関心を持っていないかということがわかる。古川の本を絶賛するような人間は、自身が人権についてまったく無関心であることを明らかにしているので本当に恥を知った方がよい。
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先頃翻訳が出版された『リプロダクティブ・ジャスティス』のいいところは、トランスジェンダーが被る問題が人権の問題であることを説明しているところ。日本でトランスの問題に口を出したがる人々は人権の問題をまったく考えない者ばかりなのでこうしたモデルによる説明が必要だった。
Reposted by 宮本綾
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もし本書を読んでその意義もその破壊力も理解できないのだとしたら、なぜ本書の価値を理解できないのか、何がその価値を理解できないように"させている"のかを問うべきだ。『性の弁証法』を読めない状態に、その価値がわからない状態にさせられていること、それは読者がそのようにあってほしいと支配者が望むからだ。支配者がその価値に気づかないでほしいと願っているからだ。女性解放を、革命を真剣に考えているならば、本書の意義をわからないなりに考えるべきだ。本書の破壊力は「妊娠は野蛮だ」という言葉に集約されるものではない。未来社会のための投企を考えるなら、ファイアストーンの渡したバトンを引き継ぐべきだ。