登るというアクションが希望へと繋がる作りは改めて観ても素晴らしい。細かい演出のアイデアの豊かさはディズニーを超えている。それを積み重ねて最終的に登ること、そして見ることというアクションで締める
登るというアクションが希望へと繋がる作りは改めて観ても素晴らしい。細かい演出のアイデアの豊かさはディズニーを超えている。それを積み重ねて最終的に登ること、そして見ることというアクションで締める
カメラは落ち着いていて、カーテンによる遮光が良い画面を生み出しているし、その対比が物語にもなる。後半部分になるとややカメラが動き始めるが、しかしアップも揺れも現代の平均よりかなり少ない。援軍が来るところや屋上で撃ち合う場面が顕著。
アクションが主体で会話のためのくだらないショットがないのも良い。何の為なのか?どういう心理なのか?を透明化しているのが、映画と主題語りの両立を為している。
カメラは落ち着いていて、カーテンによる遮光が良い画面を生み出しているし、その対比が物語にもなる。後半部分になるとややカメラが動き始めるが、しかしアップも揺れも現代の平均よりかなり少ない。援軍が来るところや屋上で撃ち合う場面が顕著。
アクションが主体で会話のためのくだらないショットがないのも良い。何の為なのか?どういう心理なのか?を透明化しているのが、映画と主題語りの両立を為している。
シンデレラがモチーフだという情報以外何も知らないで観たのだが、(あれ、もしかしてこの主人公って……シンデレラじゃなくていじわるな継母の家族の義姉ポジション?)と気づいてから面白くなる。
シンデレラをボディホラー的に描くのだが、麻酔なんか無い時代の整形手術はどれもがいや痛い痛い痛い!と絶叫したくなる代物。まあ誇張されてる気もするが、そこはあくまで寓話だという感じもある。まあ、シンデレラだしね。
シンデレラがモチーフだという情報以外何も知らないで観たのだが、(あれ、もしかしてこの主人公って……シンデレラじゃなくていじわるな継母の家族の義姉ポジション?)と気づいてから面白くなる。
シンデレラをボディホラー的に描くのだが、麻酔なんか無い時代の整形手術はどれもがいや痛い痛い痛い!と絶叫したくなる代物。まあ誇張されてる気もするが、そこはあくまで寓話だという感じもある。まあ、シンデレラだしね。
夢から醒めた現実すらまた夢。その夢がスクリーンに投影されることによって起きる共鳴をカオスの連続で描く。そこにある全てがわからないが、しかし同時にそこにある全てが分かる。そんなラストである。
夢から醒めた現実すらまた夢。その夢がスクリーンに投影されることによって起きる共鳴をカオスの連続で描く。そこにある全てがわからないが、しかし同時にそこにある全てが分かる。そんなラストである。
しかし、しかしだ……それは定義をひっくり返すような行為だ。それも、映画の中でしか存在しない物体の、だ。果たしてそんなことをして意味なんかあるのだろうか?頭でっかちの理屈の上のお遊び以上にならないのではないか?もっと言えばそんな事しても頭でフムフム考えるだけで映画として面白くはならんのではないか?という疑問があるのだな。
まあ今はフムフム考えさせられれば映画として凄いんだということにされる時代だから仕方ないが。
と、理性ある犯罪映画の傑作『恐怖の土曜日』を観ながら考えていた。(ゾンビ映画じゃないんかい
しかし、しかしだ……それは定義をひっくり返すような行為だ。それも、映画の中でしか存在しない物体の、だ。果たしてそんなことをして意味なんかあるのだろうか?頭でっかちの理屈の上のお遊び以上にならないのではないか?もっと言えばそんな事しても頭でフムフム考えるだけで映画として面白くはならんのではないか?という疑問があるのだな。
まあ今はフムフム考えさせられれば映画として凄いんだということにされる時代だから仕方ないが。
と、理性ある犯罪映画の傑作『恐怖の土曜日』を観ながら考えていた。(ゾンビ映画じゃないんかい
と、理性ある犯罪映画の傑作『恐怖の土曜日』を観ながら考えていた。(ゾンビ映画じゃないんかい
『ランド・オブ・ザ・デッド』のビッグ・ダディはどうやって知能を得る?それはアクションによってだ。考えることによってでは無い。生存と復讐という身体的かつ透明な動機によって知能を得る。『ランド・オブ・ザ・デッド』はなぜ美しいか?それは人間とゾンビの和解が、別れのための一瞥というごくごく一瞬の出来事によって為されるからだ。ただ、見るだけでいいのだ。それ以上は必要ない。
『ランド・オブ・ザ・デッド』のビッグ・ダディはどうやって知能を得る?それはアクションによってだ。考えることによってでは無い。生存と復讐という身体的かつ透明な動機によって知能を得る。『ランド・オブ・ザ・デッド』はなぜ美しいか?それは人間とゾンビの和解が、別れのための一瞥というごくごく一瞬の出来事によって為されるからだ。ただ、見るだけでいいのだ。それ以上は必要ない。
青春ラブコメとしても、柔道というアクションを軸にしていて爽やか。
異常な展開の積み重ねで自分との戦い、自分との対話、そういうテーマが蓄積する所に感動させられた。
青春ラブコメとしても、柔道というアクションを軸にしていて爽やか。
異常な展開の積み重ねで自分との戦い、自分との対話、そういうテーマが蓄積する所に感動させられた。
①かたつむりのメモワール
①メガロポリス
①スキナマリンク
④ WEAPONS/ウェポンズ
⑤ DREAMS
⑥ I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ
⑦ THE MONKEY/ザ・モンキー
⑧ 星つなぎのエリオ
⑨見える子ちゃん
⑩フィアー・ストリート:プロムクイーン
⑩トロン:アレス
①かたつむりのメモワール
①メガロポリス
①スキナマリンク
④ WEAPONS/ウェポンズ
⑤ DREAMS
⑥ I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ
⑦ THE MONKEY/ザ・モンキー
⑧ 星つなぎのエリオ
⑨見える子ちゃん
⑩フィアー・ストリート:プロムクイーン
⑩トロン:アレス
映画的に面白いのは今作が調査ものとしての側面が強いという事で今作のステイサムは実質的に私立探偵。つまり一種のノワールであるという事だ。全体的に暗い画面がビーキーパーよりも強いのもそのためだろうか?ウソみたいな月が印象的だ。
まあ主演ステイサムなので全ては暴力で解決されるいつものステイサム映画というジャンルへと非常に強い吸引力で雪崩れ込んでいくのだが。なんやかんやそれが一番良いところだな。
映画的に面白いのは今作が調査ものとしての側面が強いという事で今作のステイサムは実質的に私立探偵。つまり一種のノワールであるという事だ。全体的に暗い画面がビーキーパーよりも強いのもそのためだろうか?ウソみたいな月が印象的だ。
まあ主演ステイサムなので全ては暴力で解決されるいつものステイサム映画というジャンルへと非常に強い吸引力で雪崩れ込んでいくのだが。なんやかんやそれが一番良いところだな。
ノワールとはまた違うが今作をヒッチコック的に捉えた時に大きな問題であると感じるのがマクガフィンに大きな価値がありすぎるという事だ。存在証明という主題を乗せるべきではなかった。あんなものは燃やしてしまえば良い。ヘビがいい奴なのは映画を観た我々には既に分かっている事だから、だ。
ノワールとはまた違うが今作をヒッチコック的に捉えた時に大きな問題であると感じるのがマクガフィンに大きな価値がありすぎるという事だ。存在証明という主題を乗せるべきではなかった。あんなものは燃やしてしまえば良い。ヘビがいい奴なのは映画を観た我々には既に分かっている事だから、だ。
唯一本当だったのは、ディズニーを体現するかのようは退屈極まりないウサギが放つ「違いは分かり合える」という大嘘に対して悪役が言った「みんなと同じが良い」だけ。これだけは本当。
これは何も厭世ぶってそう言っている訳ではない。迫真性があるのがそれだけだったって事
何より映画というのは「違いは分かり合える」のような大嘘を信じさせる。スクリーン内で本当にするためにある。着ぐるみがスクリーン内で本当の宇宙人となるように。それに失敗してるんだ。故に駄作
唯一本当だったのは、ディズニーを体現するかのようは退屈極まりないウサギが放つ「違いは分かり合える」という大嘘に対して悪役が言った「みんなと同じが良い」だけ。これだけは本当。
これは何も厭世ぶってそう言っている訳ではない。迫真性があるのがそれだけだったって事
何より映画というのは「違いは分かり合える」のような大嘘を信じさせる。スクリーン内で本当にするためにある。着ぐるみがスクリーン内で本当の宇宙人となるように。それに失敗してるんだ。故に駄作
良いけど、やっぱりこの手の話はどうしたってタクシードライバーになっちゃうね。むしろあの映画の要素やモチーフのスマートさばかり印象に残る。
当然、タクシードライバーなんて全員が観てるってことは今作の作り手だって知っている訳で、そこからのズラしがある訳だが、2時間かけるもんでもない
良いけど、やっぱりこの手の話はどうしたってタクシードライバーになっちゃうね。むしろあの映画の要素やモチーフのスマートさばかり印象に残る。
当然、タクシードライバーなんて全員が観てるってことは今作の作り手だって知っている訳で、そこからのズラしがある訳だが、2時間かけるもんでもない
オタクがカースト上位の異性に持っているのは憧れではなく恐れ。カーストというか界隈が少し違うだけで全く違う人間に思えてしまうのが学生というもの。そうではなく同じ人間なんだと趣味を通して気づくというのがこの手の話の肝だ。しかし話としてそうなっているはずなのに、その実ギャル観が意味不明(なんなんだあのチョーカーは)という所に矛盾があるわけだが。
オタクがカースト上位の異性に持っているのは憧れではなく恐れ。カーストというか界隈が少し違うだけで全く違う人間に思えてしまうのが学生というもの。そうではなく同じ人間なんだと趣味を通して気づくというのがこの手の話の肝だ。しかし話としてそうなっているはずなのに、その実ギャル観が意味不明(なんなんだあのチョーカーは)という所に矛盾があるわけだが。