かず
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生まれて半世紀。思い出すことなどつれづれと。
中学生の時、帰宅経路に「平和堂」という書店があった。わたしにはコバルト文庫の新刊をチェックする以外あまり用はない書店だったが、そこでいつも戦っていたのは村上春樹『ノルウェイの森』と吉本ばなな『キッチン』だった。相当な話題になっているのは知っていたが、お洒落過ぎる装丁からは内容が一切わからず、冒頭を立ち読みしても食指が動かなかった。けど、いつまでもフロントに置かれ続けており、「読め」と言われている気持ちになっていた。→
November 15, 2025 at 8:19 AM
思えば、この絵本セットと少年少女世界の文学全集で、我が家はぷち図書館だったのだなぁ…。
我が家には絵本がたくさんあった。保育園に営業に行こうとして道に迷ったセールスマンが、我が家の前に迷い込んだのがきっかけだ。保育園向けのセットを母はポンと買った(父の月給の半分の値段だった)。母は「自分は本を読まないので、本を読む子に育てたかった」と言っていた。その10年後に、わたしは「洋服を買うから」と言って貰ったお金で本を買うような子に育った。母は本を読む子にしたかったが、本ばかり読む子にはしたくなかったようだ。小遣いを貰うたびに「本を買うんじゃないのね?」と念を押されるようになった。でも人生はままならない。本を買うのに嘘までつくような子になった。母、絵本セットを買ってくれてありがとう。
October 31, 2025 at 11:16 PM
いわゆる「名作」から他のジャンルに目を向け始めたのは、小学4年生の時。コバルト文庫、ズッコケ三人組シリーズ、ポプラ社の少年探偵団シリーズ、カッパ・ノベルスの十津川警部シリーズ。この辺りを一気に開拓したのだから、そりゃいくらお金があっても足りなかったはずである(お小遣い制ではなかったので、お年玉などでお金が手に入ると、ほぼ本に消えた)。同じ本を何度でも読む習慣がついたのは、やっと手に入れた本をそれだけ愛でていたことと、買う前に相当吟味する習性からだったと思う。自分の好みを見極められたのも、買うチャンスが少なかったからかもしれない。はずれたくないものね。
October 31, 2025 at 11:12 PM
わたしの読書体験に大きく影響を与えたのは、小学館「少年少女世界の文学」全50巻だ。小学生の頃、近所に回覧板を回しに行ったら「うちの子もう大きくなったから要らなくなったのだけど、要る?」と言われ、譲り受けた。我が家に続々と全集が運び込まれ、母には驚かれたが、わたしはご満悦だった。世界のいわゆる「名作」がほとんど押さえられており、家に小型図書館が出来たようなものだ。ただ、子どもだったので挿絵や書名で選んで読んでいたので、読み逃してしまった「名作」もある。しかし、家でいつでも基本の名作を読めたというのは、スポーツで言えば基礎練習を続けていたことに近いと思う。回覧板を渡しに行ったのが自分でよかった。
October 31, 2025 at 10:55 PM
高校生の時、近所の人が母とわたしをショッピングに誘ってくれたことがある。当時我が家には車がなく、その方はバンでショッピングセンターに行くので一緒に乗って行かないかと。喜んで出かけたのだが、その際母と同年代のその人がわたしに向かって「こんな車でごめんねぇ」と謝ってきた。「?」と思っていると、その人の娘さん(中学生)が「都会から来た人はこんな車乗らないよ!」と言っていたらしい(娘さんは同行せず)。全然そんなことはなかったのだが、田舎を恥じる気持ちを拗らせるのは、当時でもなんとなく理解したなぁ。
August 11, 2025 at 1:54 AM
他人の不愉快について、自分が責任を持たなくていいと気づいたのは、かなり遅く30歳を過ぎてだったと思う。他人の不愉快や不機嫌によって自分が不快な場合は不快になってもいい、と学んだのも同時期。誰かの機嫌が悪い→自分がなんとかしないといけないと思う癖は、依存心が強い表れだったのだなと思う。好き勝手に生きているように思っていたけれど、常に「他人(他者)」の機嫌を気にしていたのだなと。
August 7, 2025 at 1:02 AM
高校時代が暗黒だった、とよく言っているし思っているけど、エピソードを吟味していくとそれなりに楽しんでいたことが判明する。文化祭でコスプレしたり、生徒会役員をしたり、友達と無線の免許をとって無線部を作ったり、地方文学賞の佳作に入ったり、それで地元新聞に顔写真入りで紹介されたり…。充実してるじゃないか。記憶と印象は矛盾したもの。
July 8, 2025 at 10:20 PM
なので、わたしが一番人生の暗黒だったと思う「高校生」時代は、それまでの引っ越しとは意味合いが異なる。転校(この場合は越県入学)の理由は「家庭の事情」であり、住む場所は転入者がほとんどない村であり、新参者でありながら「〇〇さんちのお孫さん」「〇〇さんの親戚」という地位と意味で判断される環境だった。そこで、高校3年間強く「東京に行きたい」と願ったのは、華やかな都会生活に憧れたのもあるが、この「自分が意図しない地位や意味」から逃れたいという願望もあったのだと思う。
July 8, 2025 at 10:14 PM
ただ、わたしにとって幸運だったのは、親の庇護下にある時代の体験であり、衣食住は心配なく与えられる環境で、生命の危機に触れることは皆無だったことだ。また、父親が自衛官であったため、官舎から官舎への引っ越しであり、受け入れる土地でも「転校生」に慣れている風土でもあったこと。そこで、土地を変わったからと言って、クラスの人気者になるわけでもなく、不登校になるほどいじめられるわけでもなく、成績は常に良く、運動はボロボロという「自分」を確認していたのだ。
July 8, 2025 at 10:09 PM
わたしが比較的早くに「自分はいま此処にいる自分しかない」と思えていたのは、転校生であったことが起因していると思う。自分の「基盤」だと思っていた土地と交友関係が、自分の意図とは関係なく断ち切られ、そこで自分が持っていた地位や意味がはく奪されるという経験を積んでいたのだと。新しい土地では、一から自分の「基盤」を築かねばならず、そこで「自分」がどのような地位に付き意味づけされるのかを体感してゆく。スタートは誰かの評価によって作られた「自分」ではなく、素の「自分」で勝負するしかない。
July 8, 2025 at 10:05 PM
つまりは「物語」、「冒険譚」なのだと思う。古今東西、平凡な故郷を出て、苦難を乗り越え、悪しきもの(ドラゴンだったり鬼だったり)と戦い、財宝を得て(あるいは姫を救い出し)故郷に持ち帰る、という骨格は、まさに人生そのものを描こうとしているのだと。よくたとえに出る「青い鳥」だって、家にいる鳥が青い鳥だと気づくためには、偽物の青い鳥を探す必要があった。家が一番だと気づくために、冒険に出る必要があるのだ。
July 8, 2025 at 10:01 PM
「自分探し」という言葉が嫌いで、「本当の自分をみつけたい」と言う人を馬鹿にしていたけど、現状の自分に満足出来ず、けど何をやりたいのかどんな自分になりたいのかがわからずに挑戦する人をそう扱うのはひどく間違っていたと反省する。傍からは、あれこれ手を出して「何がやりたいの?」と疑問であっても、その人にとっては人生を賭けた試みだったのだといまなら思う。それでやりたいことが見つかればよいし、仮に未来に繋がらなくても、挑戦する前と後では異なる「自分」であるはずだから。
July 8, 2025 at 9:57 PM
中学生の時、割と可愛い子と容姿の残念な子の二人組で、一人のクラスメートをいじめていた。可愛い方が主で残念な方がそれに追随してる感じだった。あの年代って可愛いことが正義で、残念な方は従わないといけない、みたいな風潮もあったけど、その二人組の残念な方は、むしろ「いじめることすら自分でオリジナルで考えられないタイプ」だったように思う。その後のことは知らないけど、可愛い方は良い奥さんとかになってそうで、残念な方はDV旦那とかに捕まってそう。勝手な憶測。
June 14, 2025 at 12:42 AM
若い頃、つきあっていた彼氏が「携帯電話止められそうだから、〇万円今すぐ俺の口座に振り込んで!」と仕事中に電話してきたことがあり。「いや、無理だよ」と断ったら、「携帯止まるんだぞ!困るだろ!」と怒鳴られ。今なら「困るのはあんただし、わたしは困らん」って言えるけど、当時は素直に昼休みに銀行行って彼氏の口座に振り込んであげた。のちに彼の大きな借金が判明するのだけど、思えばあの時切羽詰まっていたのは、携帯料金の延滞ではなく、やばい筋の返済だったのかな…と思ったり。
June 14, 2025 at 12:35 AM
GWでサブスクの映画を観ている。先に「クリアしたい映画」をリストアップしていたけれど、鑑賞中にお酒を入れると「今観たい映画を観たい」という着地点に立つ。シラフのわたしが「やるべきことをやる」担当ならば、酔ったわたしは「自分がしたいことを決める」担当なのだとしみじみ思う。そうやって生きてきたんだなと思う。
May 5, 2025 at 3:29 AM
「伝えたいこと」と「書きたいこと」は別物という話かな。
April 8, 2025 at 10:41 PM
Twitterで字数制限に引っかかって文章を練り直すたびに、書きたい核の事象に余分な情報をつけて書いているんだなと思う。たとえば「朝ごはんは大体サラダを食べるのだけど、今朝作ろうとしたらレタスに虫がついていて、ウワッとなった。買ったのは3日前だから、これまでその虫は冷蔵庫で孤独に生きていたことになる。虫の人生もいろいろ」という文章は、「レタスに虫がついていた…」だけで充分のはず。書き方の癖もあるけど、たぶん一番書きたいのは「事象」ではなく、その事象にまつわる「何故」とか「どう思ったか」とか「オチ(みたいなもん)」なのかと。1ツイートにまとめるために情報を削ると、腰の据わりが悪い。
April 8, 2025 at 10:37 PM
30歳。大阪。会ってすぐに「わたしなー、裁判かけられてんねん」と自慢してきた女子あり。聞けば、既婚者ながら、やはり既婚者男子と浮気し、自分の旦那と相手の妻に訴えられていると。その後、その子は東京に転勤。借りたアパートの隣の男子と交際スタートするも、相手がDV化。同時に職場の同僚男子と恋に落ち、その同僚にDV男から「助けて」もらったとのこと。のちにその同僚と結婚。神戸で式を挙げるから来て欲しいと、結婚式三日前にその子の友達が会社メールあてに連絡してきた。風邪で休んでいたのでそのメールを見たのは式後ということにしてバックレた。しかしその後離婚することもなく過している模様。独自に生きていってほしい。
February 5, 2025 at 11:54 PM
自分語りをするために始めたアカウントだけど、意外と語ることがみつからない。もしくは、自分を語ることに飽きたのか。まあ、ゆるゆると何か書きたいことが出てきたら書くアカウントにする。雑多な呟きこそがマイライフ。
February 5, 2025 at 11:29 PM
あけましておめでとうございます。
あなたにとって良い一年になりますように!
December 31, 2024 at 11:27 PM
心では今も実家から逃げている。どこまでも逃げる。あたしが戻る場はなく、引き戻すものもないのに、心では引き戻されることに怯える10代のあたしがいる。
December 30, 2024 at 11:00 AM
いろいろなアクセルを踏むためにわたしには「お酒」が必要だったんだろうなと思う。お酒によって、相当にやらかして、多くの人に迷惑をかけたことは、本当に申し訳なく思うが、お酒がなければわたしは何をしていいのかも判断できない人間になっていたように感じる。
December 18, 2024 at 11:49 PM
「老人は夢にころされる」というのは、こういうことなのかもしれない。
November 18, 2024 at 9:31 AM
ここ数日、母と兄、親族の者に罵倒されるか、わたしの話を全く否定されるという夢が続いている。舞台が実家であれば、もうそこで諦める。たぶん、母か兄か、さらには亡くなった父や縁切りしている親戚が、総出でわたしを責め続けると想像できる。舞台が知り合いのレストランで楽しんでいるシーンでも、どこからか彼らが湧いてきて、あたしの人生から人格を全否定していく。夢だとわかっても、わたしは彼らに反論を続ける(目を覚まして逃げることはしない)。おそらく、トラウマを抱えた人間が、「今度こそうまくやれる」と、かつてと類似した状況に近づいてしまうのと似ているかもしれない。合言葉は「今度こそ」だ。起きるたびに、胃が痛い。
November 18, 2024 at 9:21 AM
同じく「二十四の瞳」の場面で、とても好きなシーンがある。たしか大石先生が風邪気味で、それに同僚の先生が、「あら、風邪?」と気付く。「ええ、さっきから清涼丹を飲んでいるのだけど…」と答えかけるが、「清涼じゃなく、あついお饂飩の方がいいみたい」というと、同僚の先生が「そうよ、そうよ。おつきあいするわ」と答えるのだ。その後うどん屋に入って、また何かエピソードがあったかと思うが、そこは覚えていない。この「おつきあいするわ」と明るく明快に言い切る姿が、とても素敵なことに思えたのだ。小学生のわたしには。
November 18, 2024 at 9:04 AM