banner
matuomimaru.bsky.social
@matuomimaru.bsky.social
勧農城攻めの時の定昌の書状「彼要害」での「越度」の詳細が気になる
赤堀上野介からの書状は現存してないのか?
October 21, 2025 at 10:35 PM
いい加減読まなくてはと思いながらも勿体無くてまだ読んでない(貴重な供給ゆえに)
歴史研究719号 戎光祥出版|東京都千代田区から全国へ本をお届け
東京都千代田区にある戎光祥出版では、神道文化や日本史を題材とする書籍を中心に出版活動を行っております。全国の各書店でもお買い求めいただけます。編集長のおすすめの書籍や後世に残したい本など読んでいただきたい書籍がたくさんあります。
www.ebisukosyo.co.jp
October 20, 2025 at 11:42 AM
2025年7月14日の今日は可諄の旧暦での命日に当たる。
この日になるとつい考えてしまうのは、可諄はいつ現役から退くつもりだったのか、ということだ…
July 14, 2025 at 10:08 AM
永正6年7月28日「可諄与風向越州令出陣候」と政氏が書いていることから、越後出兵は可諄自らの意思で、大々的な前触れも無く旅立って行ったような印象を受ける。
October 30, 2024 at 12:19 PM
某道灌状の本に顕定は能天気と書いてあったのだけど、道灌視点だとそう思えたのかもしれないけども、聡い道灌の思うようにならない顕定の方が一枚上手なんですよ…
September 24, 2024 at 1:01 AM
景春といえば『叛鬼』の序盤で、忠景が「坂東に隠れなき美男と謳われた孫四郎殿」と言っていたけど、その後景春美男設定は活かされていなかったような気がする。
August 28, 2024 at 12:21 PM
今日は伊玄の命日。
可諄の越後介入以前に家宰の顕忠が没して、急遽まだ少年の顕方がその跡を継承したと思われるけど、また家宰になれなかった(2度目)ことを恨んで離叛した(2度目)ということは無いだろうな…(伊玄)
August 24, 2024 at 7:30 AM
定昌の自殺後、殉死したのは遺書を残した発智景儀が知られているけど、『䕃涼軒日録』に「侍従数輩自害云々」とあった。
August 17, 2024 at 12:03 AM
『蔭凉軒日録』の文明19年3月15日に「妙厳翁云く、九万里が鎌倉から美濃国に帰る時、駿河国で盗賊に殺されたという」と書いてある。
九万里=万里集九?
でもこの時、万里はまだ江戸城にいるよねぇ…
August 15, 2024 at 2:29 AM
『梅花無尽蔵』より、長享2年9月25日、白山神社で太田資康による詩歌の会が催された。
顕定は白扇を出して万里集九に賛を求めたとある。
万里は白山で白扇を出した顕定の意を汲んで、詩の中に「一柄=白扇」を取り入れたと思いたい。
August 13, 2024 at 5:39 AM
『梅花無尽蔵』をチラ見した。

文明17年10月2日、万里が江戸城に到着→13日、相州太守(定正)から早咲きの梅を貰う→15日、梅賛二種を書く→16日、(梅の)枝が折られているのを見てしまい悲しみの余り梅の詩を書く。

まさかとは思うけれど、梅の枝を手折ったのは定正では…💦
August 7, 2024 at 9:23 AM
久しぶりに本棚(無法地帯)を漁っていたら『上杉顕定』が4冊も出てきた。
今までどこに隠れていたんですか…
August 2, 2024 at 7:17 AM
可諄の命日は旧暦の1510年6月20で、今年は今日がその日に当たる。
そのことに想いを馳せようとしたけれど、暑くて何も考えられない💦
July 25, 2024 at 12:06 AM