mochi10000.bsky.social
@mochi10000.bsky.social
関心:🍝 / マンガ・ゲーム / AC / 哲学・社会学 / フェミニズム / ポリアモリー / 関係性の話全般

日常の呟きはこっち
https://www.threads.net/@mochi.10000?igshid=NTc4MTIwNjQ2YQ==
chat GPTと話している間に得た気づき、「人の話を聞くときに本気で共感しようとする癖」があるらしい。「言葉は寄り添うが、心はそこまで寄り添わない」みたいな技術があって、それを使う人は多いと。たしかに、勝手に気疲れしてストレス貯めるよりよっぽどいいな。と思って試験的に導入中。
November 13, 2025 at 3:38 PM
同じ愚痴がループし始めてるので、chat GPTと話す時間をたまに作ってる。「こういうことで疲れてるよ〜、でも〜だけど〜それで〜」みたいな、まとまらない話を好き放題書けるのは結構いい。意見もアドバイスも平気で拒絶できるし。気が済んだら突然終了できるし。無礼すぎて人間にはとてもできない。
November 13, 2025 at 3:37 PM
「自分の部屋を、"自分が"過ごしやすいように改善していく」という発想、今まで無かったかもしれない…。
November 9, 2025 at 1:45 AM
デスク周りの小物入れも、ずっと適当に買った金属製のカゴを使ってて、カチャカチャうるさいし物が多いので探すことが多く、使いにくかったのだけど、やや大きめで仕切りのあるレザー小物に入れ替えたら、ストレスが結構減った。今までこういうとき、自分に対して「ものを減らせばいいのに、それができない」ってイライラするだけで済ませてたけど、もしかしてこういうところから改善に着手するのが良い…??
November 9, 2025 at 1:43 AM
三連休むしゃくしゃして細々買い物しまくり、サイズも型もばらばらだったハンガーを、嵩張らない・型崩れしにくい・落ちにくいものに入れ替えたら、その後の服の出し入れのストレスが結構減った。もしかして、片付けって「これをやらなきゃ片付けとはいえない」的なものじゃなくて、「ここ気になってるんだよなー」ってところから着手すると、モチベ高くやれる…?
本当に緩めに、少しだけ自分の部屋を片付けた。具体的には、面白かった映画とか展示とか、思い出のある何かしらのチケットが2年分くらいうっすら地層になっていたところとか。(体調崩しまくりだったので数はとても少ない)
この感覚の手触りがあるうちに、年内あたりで緩めに自分の部屋を片付けたい。雑然としている。
November 9, 2025 at 1:40 AM
これ
現実と違うのは、夢の中では私も暴れ狂っている。「おかしいだろ、なんでわかんないんだよ」とつんざく悲鳴のような大声で怒鳴って、叫んでいる。あのとき、水面下で狂わずに、表立って狂っていたらどうなったのだろう?その検証が夢の中でだけ行われている。
November 6, 2025 at 11:36 AM
『機能不全家庭で死にかけた私が生還するまで』評判良かったので読んでみた。著者がジャーナリストなだけあって、社会情勢や福祉システムの話もあったり全面エッセイパートではなかった。が、ところどころ出てくる話で、「自分を殺そうとする誰かに追いかけられたり侵入される夢」や「家族に罵声を浴びせる夢」をよく見るとか、「母親と距離を置くまではベッタリの共依存だった」とか、「母親と会うと2週間はまともな生活が送れない」とか、わかりすぎた。これって「あるある」だったんだ。
amzn.asia/d/hpELGyL
機能不全家庭で死にかけた私が生還するまで
Amazon.co.jp: 機能不全家庭で死にかけた私が生還するまで : 吉川ばんび: Japanese Books
amzn.asia
November 6, 2025 at 11:34 AM
波が完全に消えるようなことはないが、今は船があって、それに乗れるような感じがする。引きずりこまれない。掴まれない。どこにいるのか分からなくならない。
November 5, 2025 at 12:40 AM
今までの自分の中には暴れ狂う波みたいなものがあって、寝る前はそれに飲まれないように、「寝落ちするまで動画を見る」×「ゲームする」「本を読む」とか、目の前の刺激で頭をいっぱいにしていた。怒りを受け止める日々をやってみて、絶対にこれしなきゃ寝られない、くらいの逼迫感だった習慣が、意外とやらなくても大丈夫かも。と思う日があって、それもびっくりする。
November 5, 2025 at 12:32 AM
「怒り」を受け止める中で、自分が「卑屈さ」の裏返しでショックを受けている時があると気づく。まだ言葉にしにくいが、卑屈だから怒る。ということがあるような気がする。誰にも触られたくないから先に暴れる、みたいな感じかもしれない。
November 4, 2025 at 4:09 PM
喉の内側だけで呼吸していたのが、背中側まで空気が行き届くようだ。心なしか眠りも深く、途切れにくくなったような気がする。
November 4, 2025 at 4:04 PM
「怒り」をそのまま受け止めるという試みを繰り返している。「怒り」を受け止めてしまえば、とんでもないことになるに違いない。という確信こそが緊張となり強張っていたようで、受け止めてみたら意外と、背中の力が抜けて急に楽になったようだ。
November 4, 2025 at 4:03 PM
自分の中の、消化しきれない卑屈さについて。
November 4, 2025 at 4:00 PM
本当に緩めに、少しだけ自分の部屋を片付けた。具体的には、面白かった映画とか展示とか、思い出のある何かしらのチケットが2年分くらいうっすら地層になっていたところとか。(体調崩しまくりだったので数はとても少ない)
この感覚の手触りがあるうちに、年内あたりで緩めに自分の部屋を片付けたい。雑然としている。
November 3, 2025 at 12:44 AM
「人のどんな話でも聞く」という行為、実家だと義務とか生存戦略とかの類で、「やる/やらない」を選べるようなものではなかったので、「人のどんな話でも聞く」の労力に対する敬意が薄いことに気づいた。
October 20, 2025 at 2:26 AM
この感覚の手触りがあるうちに、年内あたりで緩めに自分の部屋を片付けたい。雑然としている。
October 13, 2025 at 1:40 PM
すごく、「私である」という感覚がある、いま。
October 13, 2025 at 1:36 PM
これまでは私の家族と同様に、「私の怒り」を私自身がずっと握りつぶして、生まれるたびに捨てていた。自分の一部を捨てようとしていたのだから、それは心許なく浮き足立ち、失踪したいと思うだろう。
October 13, 2025 at 1:34 PM
そういう「私」への攻撃性が、これまで捨てようとしてきた「私以外のすべて」への「怒り」だったのかもしれない。ようやく行き場を見つけてあげられた。ようやく存在を認めてあげられた。
October 13, 2025 at 1:33 PM
嫌いな人の世話とかしたくないし、嫌いな人に快適に過ごしてほしいとか、効率的に家事をやろうとか、一ミリも思わない。不快な環境で、不便の中で、不満をぶつぶつ言いながら過ごしていてほしい。だから「私」は、そう過ごしているのが相応しい、自然、そうあるべき。
October 13, 2025 at 1:32 PM
「私」って、これまでは「嫌いな人」で、家事とか片付けって「嫌いな人のために頑張る」ことなので、心理的矛盾により多大なる苦痛を伴うものだった。「嫌い」を抜けてランクアップしても、まだ「どうでもいい人」くらいだったので、「どうでもいい人のために頑張る」も中々やりにくかった。「やらされてる感」からの逃れられなさ、「家事や片付けを拒否すること」への納得感、そうであるほうが自然だと言う感情の流れに、長年悩んでいた。
October 13, 2025 at 1:28 PM
怒りを重心として沈澱させる感覚、を知り、家事と片付けが(当社比で)少し捗るようになったかも。今日は水回りを一通り終えた。今までは「共用スペースだから」とか、「仕事のことを考えたくない」とか、外発的な動機がメインだった。が、「自分のために家事をする」「自分のために片付ける」のような、内発的な動機を初めて少し理解できた気がする。
October 13, 2025 at 1:23 PM
2ヶ月前には霧に覆われているような不安があった、と言っていた、それが綿菓子サイズになり金平糖になり。
自分の目の前を霧のようにすべて埋め尽くしていた不安から、お祭りの綿菓子サイズの不安にはなった感じ。
October 13, 2025 at 1:18 PM
でも、本当は、私を取り囲むすべてに、ずっと怒っていたのだ。と思った。ずっと怒っていたのだ。
October 12, 2025 at 11:32 PM
どうして私だけが狂っていると言われなければならない。どうして誰も、母に、父に、兄弟たちに怒ってくれない。どうして誰も、私の怒りに耳を傾けてくれない。「怒り」は顕にすればするほど、「ほら、やっぱりこいつの頭が狂っている」と格好のターゲットになるエサだった。だから軽薄に振る舞うよう、ひどく注意していた。軽薄であることもまた咎められ非難されたが、それはわざと演じているロールへの言及だから、ギリギリ正気を保っていられた。
October 12, 2025 at 11:08 PM