蓮實 僕は違うんだけどね。
浅田 ……マルクス主義が正しくていいわけですけどね。というか、われわれは資本主義の中にいるわけであって、それをもっともよく認識しうるのは依然としてマルクス主義だというだけのことでしょう。"
(『エイティーズ 八〇年代全検証 いま、何が起きているのか』1990年)
→蓮實重彦は、小林秀雄はヴァレリー、フランスのサンボリスムから言語の外在性を感覚し、マルクスに近づけたとし、自身もその「系統」であると位置付ける。ただしリオタールかジェイムソンかというとジェイムソンに近しいものを感じる。マルクスとモダニストの地平。
蓮實 僕は違うんだけどね。
浅田 ……マルクス主義が正しくていいわけですけどね。というか、われわれは資本主義の中にいるわけであって、それをもっともよく認識しうるのは依然としてマルクス主義だというだけのことでしょう。"
(『エイティーズ 八〇年代全検証 いま、何が起きているのか』1990年)
→蓮實重彦は、小林秀雄はヴァレリー、フランスのサンボリスムから言語の外在性を感覚し、マルクスに近づけたとし、自身もその「系統」であると位置付ける。ただしリオタールかジェイムソンかというとジェイムソンに近しいものを感じる。マルクスとモダニストの地平。
note.com/hatakeyamaus...
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『戦ふ兵隊』にはじまるルーペ論争が軸にある。ファインダーの内部と外部をめぐる抗争。そこに瀬川はいかに向き合ったか。
『戦ふ兵隊』にはじまるルーペ論争が軸にある。ファインダーの内部と外部をめぐる抗争。そこに瀬川はいかに向き合ったか。
現代のクリアな文体の批評を読むと、「薄い政治哲学エッセイ」みたいなものばかりだから、有り難みがなく結局必要とされない。批評が文学じゃなくなっているとはこういう事態を指す。
現代のクリアな文体の批評を読むと、「薄い政治哲学エッセイ」みたいなものばかりだから、有り難みがなく結局必要とされない。批評が文学じゃなくなっているとはこういう事態を指す。