読書wanwan
@wanwan65537.bsky.social
16 followers 14 following 100 posts
好きな文章、気になる文章をここに集めてます。(Threads:https://www.threads.com/@wanwan65537 では本にまつわる話を投稿中)
Posts Media Videos Starter Packs
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに。
 市場で買い物をして、その帰りには、かならず駅に立ち寄って駅の冷たいベンチに腰をおろし、買い物籠を膝に乗せ、ぼんやり改札口を見ているのです。」

* 省線: 国鉄以前、鉄道省時代の路線のこと

(太宰治「待つ」、『新ハムレット』新潮文庫、1974、2009改版、所収、p.352)
wanwan65537.bsky.social
――それからアルトゥーロはベッドにもぐりこむ。

「ベッドはエリデが起きて出ていったままになっていた。だが、かれアルトゥーロの寝る側にはしわひとつなく、今しがた整えられたばかりのようだった。かれは律儀に自分の場所に横たわる。だがその後で片方の脚を妻のぬくもりが残っている側に伸ばしてみる。それからそこにもう一方の脚も伸ばしてくる。そうして少しずつ全身をエリデの場所に移動させ、彼女のからだの形をとどめたままの、ほんのり温かな窪みのなかで、顔を枕にうずめ、彼女の薫りにくるまれて眠りにおちるのだった。」

(同、p.181)
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

――アルトゥーロとエリデは共働きの夫婦。朝、エリデが出かけるとき、アルトゥーロは夜勤から帰ってきたばかり。アルトゥーロがエリデを見送る。

「ひとりアルトゥーロが残る。エリデのヒールが階段を駆け降りる音を耳で追ってゆく。そして彼女の気配が感じられなくなると、今度は心の中で、小走りに中庭を抜け門をくぐり舗道に出て路面電車の停留所にたどり着くまで、彼女の姿を追いかけてゆくのだった。」

(カルヴィーノ「ある夫婦の冒険」、『むずかしい愛』和田忠彦訳、岩波文庫、1995、所収、p.180)

スレッドでさらに引用します。
wanwan65537.bsky.social
「全くその場で思いついて出ていったのであろう。しかしこれは父一人の性癖ではなかったらしい。村人全体にそんな気風があったのである。(中略)しかし今でも不思議に思っているのは金を一文も持っていないのにどうして飯をたべ宿をとることができたのだろうということである。」

(同上)

* 明治の終わり頃のはなし。住んでいたのは山口県。「村人全体にそんな気風があった」(p.39)。
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「父はよく一人旅をした。秋が多かった。秋ばれの空が澄んで海の向こうの中国地の山やまがくっりと見える夕方に、少し早めに仕事をおえて、家に帰ってきて手足をあらい、母に他所(よそ)ゆきの着物を出させ、古びた中折帽をかぶって、「ちょっと出てくるから」と、行き先も言わずに出ていくのである。(中略)西の方へ下っていったときには宮崎県までいったことがあり、東の方へいったときには日光までいったことがある。」

(宮本常一『民族学の旅』講談社学術文庫、1993、pp.38-40)

スレッドでさらに引用します。
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「南行きの列車に乗っている。線路が足の下へ呑み込まれていき、窓がかたかた鳴る。列車は列島をのろのろ進み、線路の両側には海が広がる。(中略)インド洋と太平洋が半島の両側から迫る、世界一細い半島のいちばん幅の狭いところを通っていく。」

(ラッタウット・ラープチャルーンサップ「観光」、『観光』古屋美登里訳、ハヤカワepi文庫、2010、所収、p.94)
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「イスタンブールの通りを歩くこと。建物や家、通路や商店に入り組んだ狭い通りを辿り、地下や地上、階段を下りたり、角を曲がったり、狭い市場や路地を通り抜けたりする。橋の上、または下を歩くこと。(中略)路面電車の線路と石畳のカーブに沿って歩き、ワインを売っている屋台で足を止め、カウンターの前に立ち、店員の頭上のテレビ画面でサッカーの試合を見た。(中略)街の渦の中に、そっと滑り込む。街に消える。群衆の中でのこの孤独。これよりよい孤独はない。」

(トマス・エスペダル『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』枇谷玲子訳、河出書房新社、2023、pp.223-224)
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「いまは茅葺(かやぶ)き屋根に蓬(よもぎ)の窓、素焼きの竈(かまど)に縄で作った寝床という貧乏暮らしだが、朝な夕なに風はそよぎ露は結び、階(きざはし)に柳はしだれ庭に花咲くわけだから、万感の思いをこめたわたしの文章を滞らせるものもない。」

(曹雪芹『新訳 紅楼夢 第一冊』井波陵一訳、岩波書店、2013、pp.1-2)

* 曹雪芹は「そうせっきん」と読む。
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「十月二日。午前驟雨来る。天候猶穏ならざりしが日暮に至り断雲の間に一抹の晩霞微紅を呈するを見る。今宵は中秋なれど到底月は見るべからずと、平日より早く寝に就きぬ。ふと窓紗の明きに枕より首を擡げて外を見るに、一天拭ふが如く、良夜の月は中空に浮びたり。起き出でゝ庭を歩む。(中略)いつか夜半の鐘声きこえたれば、家に入り、此の記を書きつけて眠につきぬ。」

* 大正14年10月2日の日記。

(永井荷風『断腸亭日乗(一)』中島国彦、多田蔵人 校注、岩波文庫、2024、p.346)
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「時間に追われている人間には、夜が親しく近づいてくるときのあの濃い緻密な闇の微粒子の甘美な味わいを知ることはできない。それは落日のあと、夕映えが雲に消えてゆく頃、すみれ色の優雅な衣装をまとって、公園や歩道や裏庭に忍び寄ってくるのだが、もしその味わいを知る人なら、その一と時を、他のことに取りまぎれて忘れることなどは到底不可能であろう。」

(辻邦生『情緒論の試み』岩波書店、2002、p. 237)。
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「或る夕方、雨がやってきた。
 私は窓にもたれて、その雨の色が見えなくなるまで外の景色を眺めていた。すっかり暗くなったとき、雨は勢いを得たように繁く降りだしていた。それでも私は雨戸を閉めてしまうことが惜しいように外を眺めていた。」

(結城信一「螢草――柿ノ木坂」、結城信一『セザンヌの山・空の細道』講談社文芸文庫、2002、所収、p.22)
wanwan65537.bsky.social
――カポーティは、その文鎮をフランネルの布に包み旅に持って行くことにしている。

「なぜ私は、たとえばシカゴやロサンゼルスへの一泊旅行に、文鎮をたずさえて行くのか? それは、文鎮をひろげて見ると、どんな名もないとげとげしいホテルの部屋でさえも、あたたかい、親しめる、安心できる場所のように思えるからである。また、午前二時になろうとするのに眠りが訪れないとき、安らかな気持が静かな白バラを見ているうちにあふれてきて、ついにはそのバラが眠りの白さにまでひろがってくれるからである。」

(同、p.35)
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「彼女は野球のボールほどのクリスタルグラスを手渡してくれた。「バカラのものよ。〈白バラ〉という名前」
 それはすばらしい、気泡一つない、澄みきったカットグラスの文鎮で、飾りはただ一つだけであった。緑の葉をつけた純白のバラが一つだけ中央の底に沈んでいた。」

(カポーティ「白バラ」、トルーマン・カポーティ『犬は吠える1 ローカル・カラー/観察記録』小田島雄志訳、ハヤカワepi文庫、2006、所収、p.31)

*「彼女」とは、フランスの作家、コレット

スレッドで続けます。
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「搭乗ゲートの待合室から乗り継ぎの待合室、ある飛行機から別の飛行機へ、さらに別の飛行機へと、二年間放浪し続けた。世界中を。」

(ルイサ・バレンスエラ「旅」斎藤文子訳、『旅のはざま』(世界文学のフロンティア1)、岩波書店、1996、所収、p.23)
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「老画家汪佛(わんふお)とその弟子玲(りん)は、漢の大帝国の路から路へ、さすらいの旅をつづけていた。
 のんびりした行路であった。汪佛は夜は星を眺めるために、昼は蜻蛉(とんぼ)をみつめるために、よく足をとめたものだ。二人の持ち物はわずかだった。汪佛は事物そのものではなく事物の影像を愛していたからである。」

(ユルスナール「老絵師の行方」、マルグリット・ユルスナール『東方綺譚』多田智満子訳、白水uブックス、1984、所収、p.7)
wanwan65537.bsky.social
百貨店の開店早々に地階の野菜売り場に行ったら、ものすごくきれいに野菜が並べられていて美しかった。
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「八百屋の店先に並んでいる野菜を見るのは、彼のたのしみのひとつ」

(庄野潤三「野菜の包み」、庄野潤三『絵合せ』講談社文芸文庫、1989、所収、p.140)
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「しかしこの都の特徴は、日足も短くなってゆく九月の夕べ、揚物屋の門先にいっせいに色とりどりの燈がともり、露台の上から女の、やれ、やれと叫ぶ声がする頃おいにこの都市(まち)にやってまいりますと、これと同様の夕暮を前にも過したことがあったしあの頃は幸福だったなどと考える御仁たちが羨ましいという気を、ふと起させることなのでございます。」

(I. カルヴィーノ『見えない都市』米川良夫訳、河出文庫、2003、p.12)
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「ミントゼリーは、ため息が出るほど美しかった。
 翡翠(ひすい)を溶かしたような、透きとおった角切りのゼリーが、光を閉じ込めて揺れている。
 口に入れた瞬間、爽やかなミントの香りが口いっぱいに広がった。さっぱりして、食後にぴったりだ。
「綺麗ね、これ」
「いいだろ。窓際で光を食べるんだ。最高の贅沢だよ」」

(佐原ひかり『ブラザーズ・ブラジャー』河出書房新社、2021、p.164)
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「九月廿六日。(中略)秋海棠植え終りて水を灌ぎ、手を洗ひ、いつぞや松莚子より贈られし宇治の新茶を、朱泥の急須に煮、羊羹をきりて菓子鉢にもりなどするに、早くも蛼の鳴音、今方植えたる秋海棠の葉かげに聞え出しぬ。かくの如き詩味ある生涯は盖し鰥居の人にあらねば知り難きものなるべし。」

* 大正15年9月26日の日記。
秋海棠:しゅうかいどう。別名、断腸花。
松莚子:しょうえんし。二代目市川左団次。
蛼:こおろぎ。
盖し:けだし。
鰥居:かんきょ。一人暮らしの男

(永井荷風『断腸亭日乗(二)』中島国彦、多田蔵人校注、岩波文庫、2024、pp.71-72)
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「あなたは飛行機の中でうとうと眠りながら、そんなはずはないのに機体を外側から見ている自分に驚いていた。鈍い銀色の機体に氷の粒が何億も貼り付いている。岩のように硬い粒は、直射日光に隈なく照らし出され、雲の指に愛撫されても、少しも溶けない。」

(多和田葉子『アメリカ 非道の大陸』青土社、2006、p.7)
wanwan65537.bsky.social
「闇の絵巻」は青空文庫で読めます。
wanwan65537.bsky.social
「落穂拾い」は青空文庫で読めます。
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「僕はいま武蔵野市の片隅に住んでいる。僕の一日なんておよそ所在ないものである。本を読んだり散歩をしたりしているうちに、日が暮れてしまう。それでも散歩の途中で、野菊の咲いているのを見かけたりすると、ほっとして重荷の下りたような気持になる。その可憐な風情が僕に、「お前も生きて行け。」と囁いてくれるのである。」

(小山清「落穂拾い」、『日日の麺麭/風貌 小山清作品集』講談社文芸文庫、2014、所収、pp.8-9)

* 書名の麺麭は「パン」と読む。
wanwan65537.bsky.social
【文章収集】

「先生は真っ白なリンネルの着物につつまれた体を窓からのび出させて、葡萄の一房をもぎ取って、真っ白い左の手の上に粉のふいた紫色の房を乗せて、細長い銀色の鋏(はさみ)で真ん中からぷつりと二つに切って、ジムと僕とにくださいました。真っ白い手の平に紫色の葡萄の粒が重なって乗っていたその美しさを僕は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。」

(有島武郎「一房の葡萄」、『一房の葡萄』角川春樹事務所、2011、所収、p.18)