やぎ若丸
codoq.bsky.social
やぎ若丸
@codoq.bsky.social
1981年生まれ
片付けなければならない仕事が溜まりに溜まり追い詰められており、明日はポンコツなパフォーマンスをフル稼働しなきゃ乗り切れない気がするので、24時には絶対に寝る!いやその前に寝る!(仕事はまだしも、ここ数日、身勝手な他人のケツ拭きボランティアに時間と心の安寧を奪われていて、それは本当にきつい)
December 10, 2025 at 2:26 PM
泣いちゃいそうだよ(©渡辺美里)
December 10, 2025 at 3:44 AM
テトリスで言うなら、ブロックを消せぬまま次々とブロックは降ってきて、どんどん積み上がっており、ゲームオーバー直前でもがいている状態。
December 10, 2025 at 3:41 AM
「クソ野郎にも人権がある」という公理にときどき潰されそうになる。これは理性でもってどこまでも手離してはいけないんだが。
December 8, 2025 at 1:55 PM
仕事でも、友人・知人以外の人付き合いとかでも、たまに思い知らされるのは、この世には、自分にとって都合の良い近視眼的なナラティブを生きている人が、チョイチョイいるということ。そういう人とはどうしようもなく合意形成ができないのよね。距離を取れればそれに越したことはないのだが、否応なく関わらなければならないときに不幸が生まれてしまうんだよなー。
December 8, 2025 at 1:16 PM
今日は休み。ここから土曜日まで死ぬほど忙しくなるので、英気を養おうと隣町にランチに出かけようとしていたところ。「こちらには微塵の落ち度もなく、偶然居合わせただけでトラブルに巻き込まれる」という出来事があった。感謝こそすれ非難される覚えはない老人に「お前」呼ばわりされたもんなー。人の世って面白いぜ。
December 8, 2025 at 10:46 AM
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ファンの小学生を連れて4DXを観に行きたいのだが、12/14の日曜日一択だと今認識した。
December 7, 2025 at 9:06 AM
献本文化の話は、職場のお土産文化の話に似ている。違うか!でも、佐々木敦さんの言い分は何かとてもわかる気がした。結局、世代感覚的なものも絡む、礼節の話なのだろう。物品にお礼や感謝の気持ちを込めることとか、クソだる!と私も思ってしまうのだが、一方でクソだる!の先にある社会が幸福な社会なのかと考えると、クソだる!だけではいけないんだろうなあとも思う。あと、何かと言うと、世の中、権力勾配や非対称性の話に落とし込みすぎだともちょっと思う(その視点が大事であることは大前提としつつ)。
December 7, 2025 at 8:24 AM
自分も歳をとってきて、好きなアーティストの訃報に触れることが増えた。カルチャーとともに生きることは、取りも直さず多くの喜びを享受することだけど、悲しみも増えることだとつくづく思う。
December 5, 2025 at 11:46 PM
dipナガタッチの訃報。長らくライブを観てなくて、久しぶりに観たいなあ…と思いながら月日が過ぎてしまっていたから、つくづく観れるときにちゃんと観ないといけないと深く後悔している。
99年の夏頃に初めてdipを観たときのライブハウスの倦怠的なムードがいまだに忘れられないけど、90年代後半から00年代前半の不安定な時期を経て、ヤマジナガタナカニシの布陣に再び戻って、ヤマジの浮遊感を帯びたギターと、荒野を踏み締めるようなリズムが現在に至るまでのdipのサウンドとなり、正当な評価を受けるようになったことを想うと、ナガタッチの存在の大きさを感じざるを得ない。とてもかなしい。
December 5, 2025 at 11:33 PM
もともとやらなきゃならない仕事が溜まっている中で、それなりの調整を要する想定外のどデカい案件がドロップされた。自分の体力が生み出せる時間と、その中での自分の処理速度で、全部こなせるのだろうか。こなすしかないのだが。というブルーに塞がれるような気持ちの中、帰りの車中で『高橋源一郎の飛ぶ教室』を聴いていたら、気持ちが均されるように少し穏やかに。やっぱり持つべきものは高橋源一郎と伊藤比呂美だと思った(敬称略)。
December 3, 2025 at 4:03 PM
音も良くて気に入っていたパイオニアのカセットデッキT-C3が突然に壊れた。ヘッドがテープに接触しないところが問題だったので、これぐらいなら直るかも直せるかもといじっていたら、ヘッドの挙動が完全におかしくなり取り付く島もなくなった。カセットテープファンなので、また探さなきゃならん。もう中古のデッキはやめて、次はFIIOかWe Are Rewindかなあ…。
December 2, 2025 at 11:28 AM
先日、妻と「懐かしいね」と言いながら、さくらももこの『たいのおかしら』を購入した。思えば、最初に活字の本を読んだのはこのシリーズだった。とは言え、長年、特に読み直す必要も感じていなかったけど、何か妻もぼくも、時の巡り合わせのようなものを感じたのだと思う。
それで最近、小学6年と3年に読み聞かせているが、非常におもしろい。おもしろがらせようという意図は感じられる文章だけど、乾いていていやらしくはない。どのエッセイもあっさり終わるのもいいし、それでいて人間や人間社会の単純でなさを感じられる。何よりも、文体にノリがあって友だちの話を聞いているような、親しみがある。やっぱ、さくらももこはすごい。
November 30, 2025 at 1:21 PM
山の釣り堀は閑散としている。GWだったか釣り場所もないほど混雑している時期もあったのに。何となく今年が終わっていくのを感じる。
November 30, 2025 at 1:59 AM
仕事でお付き合いのある30歳上の人から、ポール・モーリアがカバーしているというチョー・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」という曲の話を聞き、興味を持って聴いたら、奇妙な音像のダミ声ディスコって感じで面白い。で、そのまま流れで聴いた「おかっぱ頭」という曲。思いっきりトム・トム・クラブの「おしゃべり魔女」じゃん!
November 29, 2025 at 3:08 PM
意志を持ってスマホを投げうつ(10秒後に)
November 28, 2025 at 10:15 AM
静岡市街にあったパルコは閉店。掛川市の資生堂アートハウスも閉館。如実に痩せ細っていく地方。
November 28, 2025 at 7:38 AM
飲み会の後、家までの5kmを多分歩いて帰ることになるのに、イヤフォンを忘れたかと思った!焦ったー。明日はシフト休だが、酒が残って1日ブルーなのは最悪なので、飲みすぎないようにしたい…。(と自らに言い聞かすための投稿…)
November 26, 2025 at 9:41 AM
ふと手に取った寺山修司の『青春歌集』の「僕のノオト」という短文がすごくかっこよかった。定型詩は「天才の個人的創造でもなく(中略)深いひとつの共同性」であり、それは「社会性」なのだと。「作意をもった人たちがたやすく定型を捨てたがる」ことにも反発しながら、「しかしそれよりも何の作意をもたない人たちをはげしく侮蔑した」と。社会性と作意の間で自分はやっていくのだ、という話。
November 23, 2025 at 11:12 AM
掛川で念願の初の井上園子さん。想像を超える目が覚める鮮烈さ。『ほころび』は名盤だけど、ライブでの演奏はそれとはかなり違う。エフェクターを用い、アシッドな音使いや演奏を織り込んでいたのは意外。個人的にはdipのヤマジ氏がよぎる。でも、それ以上にとにかく姿が重なったのは矢野顕子さん。ギターと声は、器用になれない“落ちこぼれ”の揺れ動く心が現出されたもののよう。その「心」がシンガーとしての井上さんの自意識を突き崩そうと揺さぶりをかける、その攻防戦のスリリングな切実さにも胸を打たれる。
November 23, 2025 at 12:43 AM
井上園子さんは、間違いなく矢野顕子さんのような存在になるね。
November 22, 2025 at 12:56 PM
井上園子さんの演奏。すごいものを観た。どうしよう、どうしようと独り言が出てしまう。
November 22, 2025 at 12:55 PM
山崎洋一郎氏が卓球のインスタで、VIVA Strange Boutiqueのフーディを着ている。
November 22, 2025 at 1:27 AM
今日は、昼前くらいに妻が出店参加している一箱古本市に出向き、店番の手伝いなどをしたあと、夜は井上園子さんのライブ。だのに睡眠不足で頭の中がモワッとしているー。
November 22, 2025 at 1:25 AM