『悲しみをのり越えて』(沖縄県生活福祉部援護課発刊 1997年)
『けーし風』第25号(新沖縄フォーラム刊行会議 1999年)
大田静男 2000 36-37頁
『悲しみをのり越えて』(沖縄県生活福祉部援護課発刊 1997年)
『けーし風』第25号(新沖縄フォーラム刊行会議 1999年)
大田静男 2000 36-37頁
しかし、碑文に「軍命」を明記すべきという援護会の主張は沖縄県によって拒否された。
99年5月28日、八重山平和祈念館が「八重山から世界に向けて恒久平和の実現を訴える平和の発信拠点の形成を目指す」ことを理念にオープンした。
翌日、援護会は解散総会を開催し「慰藉事業事業は国家責任の証である」と総括し十年間の運動に終止符を打った。
援護会の慰藉事業事業受け入れや運動の総括をめぐって新聞紙上で議論が交わされた。
大田静男2000 37頁
しかし、碑文に「軍命」を明記すべきという援護会の主張は沖縄県によって拒否された。
99年5月28日、八重山平和祈念館が「八重山から世界に向けて恒久平和の実現を訴える平和の発信拠点の形成を目指す」ことを理念にオープンした。
翌日、援護会は解散総会を開催し「慰藉事業事業は国家責任の証である」と総括し十年間の運動に終止符を打った。
援護会の慰藉事業事業受け入れや運動の総括をめぐって新聞紙上で議論が交わされた。
大田静男2000 37頁
しかし、総会では遺族の高齢化や運動継続が困難などの理由もあり、慰藉事業を受け入れることに決定した。
慰藉事業の内容は
(1)戦争マラリア犠牲者慰霊碑建立
(2)八重山平和祈念館の建設
(3)記念誌の発刊
(4)慰霊碑除幕式への遺族の招待―などであった。
大田静男 2000 37頁
しかし、総会では遺族の高齢化や運動継続が困難などの理由もあり、慰藉事業を受け入れることに決定した。
慰藉事業の内容は
(1)戦争マラリア犠牲者慰霊碑建立
(2)八重山平和祈念館の建設
(3)記念誌の発刊
(4)慰霊碑除幕式への遺族の招待―などであった。
大田静男 2000 37頁
しかし、国は軍命を認めず、援護法にはなじまないと難色を示し続けた。
96年12月、国は
(1)国は、遺族に対する個人補償等の個人給付は行わない。
(2)遺族の慰藉をする場合は、沖縄県において措置する。
(3)(1)及び(2)を沖縄県が了承することを条件に「マラリア犠牲者慰藉事業費」3億円を解決策として提示した。
最終的にこの案が政治決着した。
大田静男 2000 37頁
しかし、国は軍命を認めず、援護法にはなじまないと難色を示し続けた。
96年12月、国は
(1)国は、遺族に対する個人補償等の個人給付は行わない。
(2)遺族の慰藉をする場合は、沖縄県において措置する。
(3)(1)及び(2)を沖縄県が了承することを条件に「マラリア犠牲者慰藉事業費」3億円を解決策として提示した。
最終的にこの案が政治決着した。
大田静男 2000 37頁
中でも波照間島でのマラリアはしょうけつを極め、人口1590人中、罹患者1587人。罹患率99.7%、死亡者477人。死亡率30.05%という驚くべき数字を示している。
戦争マラリア犠牲者たちの遺族たちは、国への援護法適用を求めての運動が一時は話題になったりしたが、自然消滅となった。
遺族はその後、1989(平成1)年、沖縄県強制疎開マラリア犠牲者援護会(会長・篠原武男)を組織し、援護法による遺族への国家補償要求運動を展開した。
大田静男 2000 36-37頁
中でも波照間島でのマラリアはしょうけつを極め、人口1590人中、罹患者1587人。罹患率99.7%、死亡者477人。死亡率30.05%という驚くべき数字を示している。
戦争マラリア犠牲者たちの遺族たちは、国への援護法適用を求めての運動が一時は話題になったりしたが、自然消滅となった。
遺族はその後、1989(平成1)年、沖縄県強制疎開マラリア犠牲者援護会(会長・篠原武男)を組織し、援護法による遺族への国家補償要求運動を展開した。
大田静男 2000 36-37頁
大田静男 2000 36頁
大田静男 2000 36頁
軍は7月中旬、住民からの訴えや沖縄本島の戦況をみながら、避難地域から住民が、一時的に集落に戻ることを許可した。8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、戦争は終結した。
大田静男 2000 36頁
軍は7月中旬、住民からの訴えや沖縄本島の戦況をみながら、避難地域から住民が、一時的に集落に戻ることを許可した。8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、戦争は終結した。
大田静男 2000 36頁
大浜村の平得、真栄里、大浜、宮良、白保(一部は中水、大俣原)は於茂登岳南東山麓武名田原、伊原間は桴海(現在・米原)、平久保は桴海(現在・富野)地域であった。
竹富村の波照間島や黒島、新城、鳩間、などには同年の3月から4月にかけて軍の命令が下り、西表島の南風見田や古見、由布、嘉佐崎、伊武田などに強制避難させられた。
大田静男「マラリア」 『沖縄を知る事典』「沖縄を知る事典」編集委員会編日外アソシエーツ2000 36-37頁
大浜村の平得、真栄里、大浜、宮良、白保(一部は中水、大俣原)は於茂登岳南東山麓武名田原、伊原間は桴海(現在・米原)、平久保は桴海(現在・富野)地域であった。
竹富村の波照間島や黒島、新城、鳩間、などには同年の3月から4月にかけて軍の命令が下り、西表島の南風見田や古見、由布、嘉佐崎、伊武田などに強制避難させられた。
大田静男「マラリア」 『沖縄を知る事典』「沖縄を知る事典」編集委員会編日外アソシエーツ2000 36-37頁
1945(昭和20)年6月、沖縄本島で、第32軍の組織的抵抗が末期を迎えていた頃、八重山群島を守備していた第45旅団(旅団長宮崎武之少将)を中心とする日本軍は、アメリカ軍の上陸の公算が大きいとして
八重山群島を守備していた第45旅団(旅団長宮崎武之少将)を中心とする日本軍は、アメリカ軍の上陸の公算が大きいとして6月1日、「官公衙職員、医師等は6月1日までに、一般住民は6月10日までに退去せよ」と命じた。
大田静男「マラリア」 『沖縄を知る事典』「沖縄を知る事典」編集委員会編日外アソシエーツ2000 36-37頁
1945(昭和20)年6月、沖縄本島で、第32軍の組織的抵抗が末期を迎えていた頃、八重山群島を守備していた第45旅団(旅団長宮崎武之少将)を中心とする日本軍は、アメリカ軍の上陸の公算が大きいとして
八重山群島を守備していた第45旅団(旅団長宮崎武之少将)を中心とする日本軍は、アメリカ軍の上陸の公算が大きいとして6月1日、「官公衙職員、医師等は6月1日までに、一般住民は6月10日までに退去せよ」と命じた。
大田静男「マラリア」 『沖縄を知る事典』「沖縄を知る事典」編集委員会編日外アソシエーツ2000 36-37頁
国家の論理振りかざすと戦争につながる 尖閣諸島は「東アジアの共有地」にしたい
「琉球独立論」松島泰勝氏に聞く
2014.08.10 11:30
t.co/fT5fFx1Nn1
国家の論理振りかざすと戦争につながる 尖閣諸島は「東アジアの共有地」にしたい
「琉球独立論」松島泰勝氏に聞く
2014.08.10 11:30
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こうした動きに対し、警察、軍隊、そして刀剣により武装した内地人の管理や居留商人は、自警団(同盟義会)を組織し、沖縄住民の鎮圧を準備したのである(15)。
さらに中学校でも、教職員、生徒により義勇隊が組織された。当時、沖縄尋常中学校の四年生であった伊波普猷も、後に鋭く対立する児玉喜八校長が組織した義勇隊において射撃練習をしていた(16)。いうまでもなくその銃口は、自分の親族を含む沖縄の住民に向けられていたのである。
冨山一郎 2002 125頁
こうした動きに対し、警察、軍隊、そして刀剣により武装した内地人の管理や居留商人は、自警団(同盟義会)を組織し、沖縄住民の鎮圧を準備したのである(15)。
さらに中学校でも、教職員、生徒により義勇隊が組織された。当時、沖縄尋常中学校の四年生であった伊波普猷も、後に鋭く対立する児玉喜八校長が組織した義勇隊において射撃練習をしていた(16)。いうまでもなくその銃口は、自分の親族を含む沖縄の住民に向けられていたのである。
冨山一郎 2002 125頁
『暴力の予感 伊波普猷における危機の問題』冨山一郎 2002 岩波書店 2頁、303頁
(1)沖縄青年同盟編『沖縄解放への道』ニライ社 1972年、93頁
『暴力の予感 伊波普猷における危機の問題』冨山一郎 2002 岩波書店 303頁
『暴力の予感 伊波普猷における危機の問題』冨山一郎 2002 岩波書店 2頁、303頁
(1)沖縄青年同盟編『沖縄解放への道』ニライ社 1972年、93頁
『暴力の予感 伊波普猷における危機の問題』冨山一郎 2002 岩波書店 303頁
それを実証したのが、米英軍のアフガン攻撃をきっかけとする沖縄観光客の激減であった。小泉首相はアメリカの報復戦争を支持し、沖縄の米軍基地を防衛するために本土から機動隊を派遣した。
新崎盛暉 2005 214頁
それを実証したのが、米英軍のアフガン攻撃をきっかけとする沖縄観光客の激減であった。小泉首相はアメリカの報復戦争を支持し、沖縄の米軍基地を防衛するために本土から機動隊を派遣した。
新崎盛暉 2005 214頁
youtu.be/9_HQZ2HnPFI?...
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解説
阪井芳貴(名古屋市立大学名誉教授)
推薦
與儀 毅(養秀同窓会会長)
我部政男(山梨学院大学名誉教授/元琉球大学教授)
又吉盛清(沖縄大学客員教授)
t.co/myM3UMQmHt
解説
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推薦
與儀 毅(養秀同窓会会長)
我部政男(山梨学院大学名誉教授/元琉球大学教授)
又吉盛清(沖縄大学客員教授)
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解説
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與儀 毅(養秀同窓会会長)
我部政男(山梨学院大学名誉教授/元琉球大学教授)
又吉盛清(沖縄大学客員教授)
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推薦
與儀 毅(養秀同窓会会長)
我部政男(山梨学院大学名誉教授/元琉球大学教授)
又吉盛清(沖縄大学客員教授)
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與儀 毅(養秀同窓会会長)
我部政男(山梨学院大学名誉教授/元琉球大学教授)
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