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(バークリー『人知原理論』150)
(バークリー『人知原理論』150)
……しかし、人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるものだよ。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』第3編3 熱烈なる心の懺悔──詩)
……しかし、人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるものだよ。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』第3編3 熱烈なる心の懺悔──詩)
真底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ。いや実に人間の心は広い、あまり広過ぎるくらいだ。俺は出来る事なら少し縮めてみたいよ。ええ畜生、何が何だか分りゃしない、本当に! 理性の目で汚辱と見えるものが、
真底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ。いや実に人間の心は広い、あまり広過ぎるくらいだ。俺は出来る事なら少し縮めてみたいよ。ええ畜生、何が何だか分りゃしない、本当に! 理性の目で汚辱と見えるものが、
(三島由紀夫『小説とは何か』2)
(三島由紀夫『小説とは何か』2)
原始ロシア人と同様に、この世界にまったく気がつかない。彼らは第一の世界の向こう岸にある第二の形而上的な世界に生きている。魂の苦悩は共産主義となんの関係があるか。社会問題の範囲に踏みこんだ宗教は、宗教ではなくなったのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第2巻第3章2)
原始ロシア人と同様に、この世界にまったく気がつかない。彼らは第一の世界の向こう岸にある第二の形而上的な世界に生きている。魂の苦悩は共産主義となんの関係があるか。社会問題の範囲に踏みこんだ宗教は、宗教ではなくなったのである。
(シュペングラー『西洋の没落』第2巻第3章2)
明快な言説に手を加えて改悪し、台無しにしてしまう。こうしてしばしば先人の最良の業績、核心をついた説明をむざむざと手放す。その価値を見抜けず、その的確さを感知できないからだ。自分と同質の陳腐で底の浅いものしか理解できないのだ。
(ショーペンハウアー『読書について』著述と文体について2)
明快な言説に手を加えて改悪し、台無しにしてしまう。こうしてしばしば先人の最良の業績、核心をついた説明をむざむざと手放す。その価値を見抜けず、その的確さを感知できないからだ。自分と同質の陳腐で底の浅いものしか理解できないのだ。
(ショーペンハウアー『読書について』著述と文体について2)
悪書から被るものはどんなに少なくとも、
少なすぎることはなく、良書はどんなに頻繁に読んでも、読みすぎることはない。悪書は知性を毒し、精神をそこなう。
良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから。
(ショーペンハウアー『読書について』読書について7)
悪書から被るものはどんなに少なくとも、
少なすぎることはなく、良書はどんなに頻繁に読んでも、読みすぎることはない。悪書は知性を毒し、精神をそこなう。
良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから。
(ショーペンハウアー『読書について』読書について7)
(チェーホフ『恋について』)
(チェーホフ『恋について』)
書き手の功績は大きいということになる。たとえばギリシアの三大悲劇詩人は、みな同じ素材を取り上げ、それに手を加えている。
したがって有名な本なら、それは素材のおかげか、表現形式のおかげか、よく区別しなければならない。
(ショーペンハウアー『読書について』著述と文体について3)
書き手の功績は大きいということになる。たとえばギリシアの三大悲劇詩人は、みな同じ素材を取り上げ、それに手を加えている。
したがって有名な本なら、それは素材のおかげか、表現形式のおかげか、よく区別しなければならない。
(ショーペンハウアー『読書について』著述と文体について3)
(ニーチェ『偶像の黄昏』哲学における「理性」3)
(ニーチェ『偶像の黄昏』哲学における「理性」3)
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第5章18)
(シュペングラー『西洋の没落』第1巻第5章18)