Akira Kawasaki 川崎哲
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Akira Kawasaki 川崎哲
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Working for peace and disarmament at Peace Boat and International Campaign to Abolish Nuclear Weapons (ICAN). ピースボート共同代表、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員の川崎哲です。
国会議員としては、阿部知子、平岡秀夫(立憲)、平林晃(公明)、福島瑞穂(社民)、空本誠喜(維新)の各議員が来られており、そのほかにも多くの議員の秘書さんが来られていました。ありがとうございます&国会でのしっかりとした取り組みに期待します!
December 9, 2025 at 12:31 PM
集団的自衛権や存立危機事態といった概念について理解のあまり深くない多くの人たちが「中国が台湾に武力侵攻したら、そりゃあ、日本の安全だって脅かされるよ。そんなことはやめてくれよ、中国。」というような感覚で、高市答弁は「妥当だった」と評価しているのだと思う。しかし重要なことは、これらの概念は、単に日本の安全が脅かされるかどうかではなく「日本が武力攻撃を開始することにゴーサインを出す」ための基準であるということだ。そのことに対する理解を広め、深めていかないと、この議論はなんか変な方向に行ってしまう気がする。
December 4, 2025 at 1:17 PM
ということで、私としては、高市首相が件の答弁を「撤回するか、しないか」、「既に事実上撤回した、といえるかどうか」といった論争よりも、そもそもの集団的自衛権行使容認や安保法制について、その違憲性や危険性を論じ合うことの方が、大切な気がしている。撤回すべきは、2014年の閣議決定と2015年の安保法制の方ではないか。(明日発売される『地平』1月号に、平和構想研究会による「高市軍拡」に関する特集企画が掲載されており、そのようなことにも触れています。)
chiheisha.co.jp/2025/12/02/%...
月刊『地平』2026年1月号(12月5日発売) | 地平社
1月号は12月5日発売です。
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December 4, 2025 at 1:17 PM
④以上をふまえると、今回の一連の事態から導き出せることは、集団的自衛権の行使を条件付きとはいえ容認した2014年の閣議決定と、それを法制化した2015年の安保法制にかなり無理がある、ということにほかならない。第一に、法的には、いずれも日本国憲法に適合しない疑いが濃厚である。そして第二に、仮に安保法制を前提としたとしても、「集団的自衛権の行使」が容認されうるケースというものがほぼ存在しえないのではないかということである。仮に、ごく限られたそのようなケースがあるとしても、それはほとんど「個別的自衛権の行使」で説明のつくものではないか。高市答弁は、そのことを明らかにしたのだと思う。
December 4, 2025 at 1:16 PM
すなわち、そもそも「存立危機事態」などという概念設定に無理があるのだ。日本が攻撃されてもいないのに日本が他国に攻撃するということは、その国からみれば、日本が先制攻撃をしてきたということになる。そのような行為が、第9条で「戦争を放棄」し「交戦権を否認」したはずの日本国憲法に適合的になされうると考える方がどうかしている。さらに、現実性・合理性の観点からいっても、そのような攻撃を行うことは、日本にとってリスクの高すぎる無謀な行為というべきだ。
December 4, 2025 at 1:16 PM
その際の「条件」として作り出され、2015年に安保法制の中で法制化されたのが「存立危機事態」という概念だ。いわば「日本が攻撃されているわけではないが、攻撃されていると同等にみなして日本からの武力攻撃にゴーサインを出す」ための概念である。問われるべきは、そんな事態が果たして現実的にありうるのかということと、そのような法的規定がそもそも妥当なのかということだ。
安保法制の国会審議の際にも、ホルムズ海峡の機雷敷設などさまざまな事例が論じられたが、誰もが納得いく形で、これなら「日本が攻撃されているのも同然とみなせる」と受け入れられるようなものはなかった。今回の高市首相の「台湾有事」も同様である。
December 4, 2025 at 1:15 PM
③さらに、そもそも「存立危機事態」などというものがありえるのかという問題。「存立危機事態」というのは、「日本が攻撃されたので、それに対して個別的自衛権として武力で反撃する」ということではなく、「日本が攻撃されているわけではないが、日本国の存立が根底から揺るがされているので、集団的自衛権として武力で相手を攻撃する」というシナリオを成立させるために作られた法概念である。もともと日本の憲法9条の下で、集団的自衛権の行使は認められてないとされてきたが、2014年に安倍晋三政権が閣議決定で勝手に「条件付きで認められる」というふうに解釈を変えてしまった。
December 4, 2025 at 1:14 PM
②台湾有事が果たして「存立危機事態」になりうるのか、という問題。および、「なりうる」と主張する側が「なぜそういえるのか」という議論や説明を全くしていないという問題。高市首相は「どう考えてもなりうるケースだと私は考える」といいながら、なぜなりうるといるのか、議論も説明も全く行っていない。今日の宮崎元長官のインタビュー記事は、その点についてきわめて説得的な議論を展開し「なりえない」と結論づけた。このような議論は、高市答弁がなされてから約3週間経つが、ほとんどマスコミ上で行われてこなかったと思う。
December 4, 2025 at 1:14 PM
しかし、そもそも、問題は「存立危機事態」という規定や、それを定めた安保法制、そしてその根底にある「集団的自衛権の行使を(条件付きで)認める」という憲法解釈にある、と私は考える。
今回の高市答弁が浮き彫りにしたのは、以下の諸問題である。
①「存立危機事態」という事態の認定を、時の首相や政権が、きわめて恣意的に行いうるという危険性。(「存立危機事態」の認定基準を曖昧にしておけばおくほどその危険性は高くなる。ので、私は、「存立危機事態の認定基準は曖昧にしておくべきだ」という論調には賛成できない。)
December 4, 2025 at 1:14 PM