Kentaro Fukuchi
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Kentaro Fukuchi
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『典座教訓』を読むと、『〜修理技術』が禅の影響下で書かれたことがよくわかる。主体・客体の別を乗り越えた、主客一体・物我一体の境地こそが、『〜修理技術』の著者のいう「クオリティ」の本質に関わっていると思われる。本エッセイではそのあたりを重点的に説明している。
January 22, 2026 at 7:05 AM
さて、同書を読んでいて即座に思い出したのが、禅宗の一派である曹洞宗を日本に広めた道元が、中国での修行時代に出会った「典座」(修行僧のための料理係)に関するエピソードである。

道元は、その老いた典座に、料理の仕事ばかりしていては禅の修行をする時間がないのではないか、と問うと老典座は笑って「お前は禅の修行というものがまだ分かっていないようだ」と諭す。その言葉に大きな感銘を受けた道元は、修行を終えて帰国した後、典座の心得を説く『典座教訓』を書いている。
January 22, 2026 at 7:05 AM
1974年にアメリカで出版されるや否やベストセラーとなり、全世界で500万部以上を売り上げた『禅とオートバイ修理技術』は、息子とのアメリカ大陸横断の旅についての紀行文に、著者が「クオリティ」と呼ぶ、認識論上の問題についての考察を織り交ぜたもの。この哲学的考察が、道中で彼等が乗っていたオートバイの修理を引き合いに出して展開される。
January 22, 2026 at 7:05 AM
これは懐しい。
January 19, 2026 at 10:00 AM
なのになんでスマートフォンは5年も使うとそろそろ買い替えを検討しないとならなくなるのか、とかいったことを考えたもの。

ところで、同じものを使い続ける理由の一つとしてよくあがる「愛着」については今回取り上げなかった。というのも、愛着を持ち出さずに語れるならそうしたい、という気持ちがあるからだ。なんでかと問われるとよくわからない。
January 3, 2026 at 9:39 AM
修復の面白さは、それがけして元通りにはならないところにあるのではないか。

私は家電製品や建具などを自力修理するのが趣味なのだが、修理するたびにそれらはちょっとずつ別の何かへと変わっていくのを感じる。端的には「自分が手をかけたもの」へと変貌していくのだ。

そうして、「本来の姿」という束縛が緩むにしたがって遊びの余地が広がる、ということを本稿では述べている。

世の中、いろんな製品がどんどん修理しにくくなる一方であり、この状況には怒りすら覚える。国内でも「修理する権利」意識をぜひ高めていきたいと思ってこんなエッセイを書いてみた。
December 8, 2025 at 12:02 AM
これまで私が手がけてきたインタラクティブ展示を題材に、こうした展示を設計する上で検討すべきことを整理しています。主に、時間と空間のそれぞれを段階別に分類して議論しています。時間の方は瞬時・短期・中期(・長期)のそれぞれで設定すべき目標があり、また空間の方は、展示作品からの距離に応じてどのように作品や体験の様子が見えるようにすべきか、を解説しています。
November 13, 2025 at 5:52 AM
紫藤貞昭はフロギストンのことを「マイナスの酸素」と位置づけ、燃焼のプロセスをなまじ中途半端に正しく説明できていたが故に1世紀近くも残ってしまったと指摘しています。

そんなことを調べているうちに、電流の向きが電子の流れる向きと反対だった話と比べてみたいと思ったのでした。

フロギストンは様々な観測事実との辻褄合わせのために、後づけでいろんな理屈が付け足された挙句に、ラボアジェの酸素説に破れて消えたわけですが、これは地球平面説のような疑似科学が、やはり辻褄合わせでややこしくなっていくのを連想しました、てなことを書いてます。
October 27, 2025 at 4:25 AM