道元は、その老いた典座に、料理の仕事ばかりしていては禅の修行をする時間がないのではないか、と問うと老典座は笑って「お前は禅の修行というものがまだ分かっていないようだ」と諭す。その言葉に大きな感銘を受けた道元は、修行を終えて帰国した後、典座の心得を説く『典座教訓』を書いている。
道元は、その老いた典座に、料理の仕事ばかりしていては禅の修行をする時間がないのではないか、と問うと老典座は笑って「お前は禅の修行というものがまだ分かっていないようだ」と諭す。その言葉に大きな感銘を受けた道元は、修行を終えて帰国した後、典座の心得を説く『典座教訓』を書いている。
ところで、同じものを使い続ける理由の一つとしてよくあがる「愛着」については今回取り上げなかった。というのも、愛着を持ち出さずに語れるならそうしたい、という気持ちがあるからだ。なんでかと問われるとよくわからない。
ところで、同じものを使い続ける理由の一つとしてよくあがる「愛着」については今回取り上げなかった。というのも、愛着を持ち出さずに語れるならそうしたい、という気持ちがあるからだ。なんでかと問われるとよくわからない。
私は家電製品や建具などを自力修理するのが趣味なのだが、修理するたびにそれらはちょっとずつ別の何かへと変わっていくのを感じる。端的には「自分が手をかけたもの」へと変貌していくのだ。
そうして、「本来の姿」という束縛が緩むにしたがって遊びの余地が広がる、ということを本稿では述べている。
世の中、いろんな製品がどんどん修理しにくくなる一方であり、この状況には怒りすら覚える。国内でも「修理する権利」意識をぜひ高めていきたいと思ってこんなエッセイを書いてみた。
私は家電製品や建具などを自力修理するのが趣味なのだが、修理するたびにそれらはちょっとずつ別の何かへと変わっていくのを感じる。端的には「自分が手をかけたもの」へと変貌していくのだ。
そうして、「本来の姿」という束縛が緩むにしたがって遊びの余地が広がる、ということを本稿では述べている。
世の中、いろんな製品がどんどん修理しにくくなる一方であり、この状況には怒りすら覚える。国内でも「修理する権利」意識をぜひ高めていきたいと思ってこんなエッセイを書いてみた。
そんなことを調べているうちに、電流の向きが電子の流れる向きと反対だった話と比べてみたいと思ったのでした。
フロギストンは様々な観測事実との辻褄合わせのために、後づけでいろんな理屈が付け足された挙句に、ラボアジェの酸素説に破れて消えたわけですが、これは地球平面説のような疑似科学が、やはり辻褄合わせでややこしくなっていくのを連想しました、てなことを書いてます。
そんなことを調べているうちに、電流の向きが電子の流れる向きと反対だった話と比べてみたいと思ったのでした。
フロギストンは様々な観測事実との辻褄合わせのために、後づけでいろんな理屈が付け足された挙句に、ラボアジェの酸素説に破れて消えたわけですが、これは地球平面説のような疑似科学が、やはり辻褄合わせでややこしくなっていくのを連想しました、てなことを書いてます。