まいのこ
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まいのこ
@mainoko.jp
福岡在住 WEB制作業
デザイナー&エンジニア夫婦👩‍💻🧑‍💻
保護猫マロは宝🐱

食養生/オーガニック/無添加/ぬい撮り/ペンギン

お買い物ログ多めです⊂( ᴖ ̫ᴖ )⊃
考察記事で「この映画はルッキズムに固執した男の転落を描いてる」と書いてる人がいて、まぁそうよね〜って思う。

事故で顔が崩れても、ディヴィッド(トムクルーズ)が死ぬほど金持ちなのは変わらないし、

あんなに良い仕事仲間にも恵まれてて、いくらでも幸せになれたろって思うけど。

本人は「顔が戻らないならもう永遠に幸せになれない」って決めつけて絶望しちゃう。

キャメロンディアスも美しいけど、より若くて新鮮なペネロペクルスにあっさり熱をあげ、親友の目の前で当然のように強奪。キャメロンはポイ捨て。

彼は自分にそうする権利があると確信してる。
だってオレ、超美形だから!! っていうw
September 1, 2025 at 8:00 PM
日を跨いで残りを鑑賞。

「あ、そこまで説明しちゃうんだ」って感じ。
もっとフワッとさせたまま終わって、何もかも解釈に委ねる系かと思った。

弁護士のおじさんに「娘の名前は」っていう件が攻殻機動隊すぎて草。

あとRPGツクール伝説の作品ゆめにっき(2004年)が完全にバニラスカイなのも今更判明。

窓つきちゃんが最後にベランダから飛び降りるのは、絶望じゃ無く救済(復活)なんだよねやっぱり。

バニラスカイの方は覚醒した後もう浦島太郎だろうし、結局また絶望して寝るかもしれんね(でも財産底ついてるらしいし…)
September 1, 2025 at 7:32 PM
おぉ、いよいよ夢か現実か不明瞭になってきた…
「ジュリーまたはソフィア」は実在するのか?

「主人公をハメようとするイジワル役員」も実在するのか?

ところでクシャっと崩して笑うとトムクルーズとジムキャリーって結構似てるよね。
August 30, 2025 at 10:27 PM
ホリーの他人を惹きつけ想い通りに動かすパワーは「性的魅力」を最大限に駆使したものなので、30歳も過ぎればそのような力技は使えなくなっていく。

若さを失ったホリーは、ホームが見つかろうと見つかるまいと、やがて旅を続けることができなくなる。

彼女の traveling には残酷な締め切りがある。

主人公「僕」もそのことは(考えたくないながらも)薄々気づいているので、ホリーに繋がる手がかりを見つけても深掘りしようとは思わないし、「ただ遠くから祈る」に留めるのだと思う。

色褪せて落ちぶれたホリーを見て、思い出を穢したくないから。
August 26, 2025 at 4:49 PM
場所に縛られないホリーは名刺に「 traveling(旅行中) 」と記載する。

ホリーは安心できる居場所を見つけたい。
清潔で静謐な、ティファニーのような場所。

ここじゃないどこかへ行って誰かと出会えば、いつかはそれが得られると信じて、アテもない旅を続けてる。

鳥籠を心底嫌悪しながら、
自分だけの鳥籠を探して、
大空を虚しく飛び続ける。

そんな矛盾した鳥がホリーである。

彼女が居場所を見つけた時、その翼は失われる。

主人公はホリーのホームが見つかればいいと祈りつつ、翼の折れた彼女を見て幻滅したくないとも思っている。

だからもう2度と遭わないし追いかけない。
August 26, 2025 at 4:39 PM
カポーティの描く話はワクワクしたり、スッキリするようなものじゃないのね。

すでに失ったもの、もう取り戻せないものを思い返し…奇跡的にそれらと再会するも、やはりどうにもできず失う。

決して手が届かないイノセンス。

しんみりと、感傷的なフレーバーを味わわせてくれる作家なんですね。
August 26, 2025 at 4:28 PM
相手を突き飛ばして川に落とすとか
平手打ちとか拷問とか

本来なら悲壮感・臨場感をたっぷりに演出するであろうシーンほど「お前らやる気あんのかw」と言いたくなるほどモッサリしている。

電気ショックとか、ただ体育座りで真顔で足パタパタさせててギャグかと。

緩急はなく、すまっと緩のまま。
男の独白が続く。

ラストは急展開すぎて「は??」という感じで終わる。
August 16, 2025 at 4:29 PM
「生者の輪に入らないものは生者の資格を失うぞ」

「死者の特権が欲しいのです」

「それは何だ?」

「死なない特権です」

これも前作における

「人生最大の野望は?」

「不老不死になって死ぬこと」

を彷彿とさせますね。
August 16, 2025 at 3:56 PM
パトリシアの悩みは「ミシェルを愛しているか」ではなく

「男に先導され、その後ろをついて行く生き方を採用するか否か」だと思った。

主体性を持って生きるか、男の付属物として生きるか。

1959年という時代においては、まだまだ後者が一般的だったと思うし、フラフラと中途半端なアウトローを演じてるミシェルより、パトリシアの方が道なき道を探求していたと思います。

ローマなど「ここではない遠いどこか」へ行けば人生なんとかなると思ってるミシェルは「最低な」結末を迎える。

最後、遺体を見下ろすパトリシアの目には「ここに」自分の居場所を作る決意が宿っていると感じました。
August 15, 2025 at 7:07 PM
最終的にパトリシアはミシェルを愛していたのか?

解釈は自由にって作品だけど、私は愛してないと思った。
愛していたらあそこまで悩まない。

それなりに好きだけど愛してない。たまに会ってロマンチックな時間を過ごす程度の関係としてはアリだけど、生涯を共にする相手には到底なり得ない。

パトリシアは男に依存せず自活して生きていきたい。しかし新聞記者としての仕事を貰うために、積極的に男に媚を売る矛盾も抱えている。

そして彼女は「父親のわからない子」を妊娠している。

この状況で犯罪者のミシェルを選ぶ可能性はゼロ。
August 15, 2025 at 7:07 PM
手持ちカメラで即興的に映像を撮っていく(演技も俳優に任せる)のは、当時かなりのエポックメイキングだったそうな。

ウォンカーウァイ監督もそのタイプだったね。

ゲリラ的に撮影するので、通行人が何事かと俳優をジロジロ観てるのがシュール。

女優のジーン・セバーグは30代かなと思ったら二十歳!!
チャーミングな小皺があるので、それなりの年齢かと思ったら…。

主演のジャン=ポール・ベルモンドは2枚目と3枚目の間みたいなルックス。

眠そうな目は虚ろで、唇がむにゅんとしていて、常にタバコを咥えてる。この人がルパン三世のモデルらしい。わからなくはない。。。
August 15, 2025 at 6:36 PM