人間として未熟で、この歳になっても自分に自信がなくて、大人としてどう振る舞ったら良いのか分からない。他者が怖くて、関わって傷つきたくなくて、その存在を無意識に視界に入れないようにしてきたから、他人の行動を観察してコミュニケーションのスキルを学ぶこともしてこなかった。本当は私のような発達障害者こそ、そうすべきだったのに。でも愚かだからそこに気がつかず、無為に歳を重ねて、今人生がどうにもならなくなってしまった。
人間として未熟で、この歳になっても自分に自信がなくて、大人としてどう振る舞ったら良いのか分からない。他者が怖くて、関わって傷つきたくなくて、その存在を無意識に視界に入れないようにしてきたから、他人の行動を観察してコミュニケーションのスキルを学ぶこともしてこなかった。本当は私のような発達障害者こそ、そうすべきだったのに。でも愚かだからそこに気がつかず、無為に歳を重ねて、今人生がどうにもならなくなってしまった。
発達障害の特性は変えられない。学習能力のない自分はきっとまた同じ失敗を繰り返してしまう。仕事に復帰することは不可能に思えて、こんな自分が職場に復帰しても迷惑がられるだけと考えてしまう。長所のない自分を肯定できない。自分が嫌でたまらない。
自分を変えたい。でも他人から叱責されたり、悪意を向けられたりすると頭がフリーズしてしまう特性も、それ以外の特性も変えられない。
何より自己否定と自己嫌悪で凝り固まってしまった自分をどうすることもできなくて、苦しい。
発達障害の特性は変えられない。学習能力のない自分はきっとまた同じ失敗を繰り返してしまう。仕事に復帰することは不可能に思えて、こんな自分が職場に復帰しても迷惑がられるだけと考えてしまう。長所のない自分を肯定できない。自分が嫌でたまらない。
自分を変えたい。でも他人から叱責されたり、悪意を向けられたりすると頭がフリーズしてしまう特性も、それ以外の特性も変えられない。
何より自己否定と自己嫌悪で凝り固まってしまった自分をどうすることもできなくて、苦しい。
私は「父から見捨てられている」という過酷な現実が受け入れられなくて、白黒思考で兄は完全な悪であり、父は優しい私の絶対的な味方だと思い込んでいた。現実を否認しなければ生きていけなかった。
私が自分の「否認」に気づくことができたのは、家を出てから何年も経ったあとだった。
私は「父から見捨てられている」という過酷な現実が受け入れられなくて、白黒思考で兄は完全な悪であり、父は優しい私の絶対的な味方だと思い込んでいた。現実を否認しなければ生きていけなかった。
私が自分の「否認」に気づくことができたのは、家を出てから何年も経ったあとだった。