(だから距離を置いているのにまた会ったらどうするかね)
(だから距離を置いているのにまた会ったらどうするかね)
でも今までのこういう時期と違っているのは、わたしのこういう問いをわたし自身が「体調が悪いせいでだめなこと考えてる」と矮小化したり、「今は考えないようにしよう」と問いを先送りしたりすることもまたわたしにとって苦しいのだしわたしをある意味で傷つける、つまりこの久々の関係性への問いはなにも取るに足らないことじゃないと感じていること。
これは単に「いつまで『今は考えない』をやるんだ」っていう気持ちもあるけど、関係性に悩むことや、関係がひらかれていくこと、未来を想像することを自分に許せるようになったのかもとも。
でも今までのこういう時期と違っているのは、わたしのこういう問いをわたし自身が「体調が悪いせいでだめなこと考えてる」と矮小化したり、「今は考えないようにしよう」と問いを先送りしたりすることもまたわたしにとって苦しいのだしわたしをある意味で傷つける、つまりこの久々の関係性への問いはなにも取るに足らないことじゃないと感じていること。
これは単に「いつまで『今は考えない』をやるんだ」っていう気持ちもあるけど、関係性に悩むことや、関係がひらかれていくこと、未来を想像することを自分に許せるようになったのかもとも。
でもまだ他者を想像することができない/できていない、と感じる。
わたしが想像をしやすくなるには現状1つだけ手立てがあって、それは「自分もその人と同じか近い経験をする」なのだけど、そもそも想像がつかないほど違う経験や立場にいるひとの「経験」はわたしにはできそうもない/しそうもないものだからこんなに困っているのに。
優しさが、その人の上にだけ降っている雨に一緒に手をかざすことなら、わたしはそうしたいしそうあるべきだとすら思う、でもできない、できそうもない。こういうとき、他者はあまりにも遠い。
遠くにいる「あなた」と手をつなぐ方法がほしい。
でもまだ他者を想像することができない/できていない、と感じる。
わたしが想像をしやすくなるには現状1つだけ手立てがあって、それは「自分もその人と同じか近い経験をする」なのだけど、そもそも想像がつかないほど違う経験や立場にいるひとの「経験」はわたしにはできそうもない/しそうもないものだからこんなに困っているのに。
優しさが、その人の上にだけ降っている雨に一緒に手をかざすことなら、わたしはそうしたいしそうあるべきだとすら思う、でもできない、できそうもない。こういうとき、他者はあまりにも遠い。
遠くにいる「あなた」と手をつなぐ方法がほしい。