灰になるsyntax
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20↑ ଘ(੭ˊ❍∇❍ˋ)੭⊃━* ✩ ecstasyinjury
あそぶ?
私が人に対して誠実じゃないと思う時、配置に手を入れているのに、その影響範囲を感知していない状態のことを指している気がする
他者がいま開かれているのか、閉じているのかとか、世界を少し開いたか、それとも知らないうちに閉じたかとか、、そういう世界の取り扱いの違いの差に困惑することがある
February 2, 2026 at 4:30 AM
そういう性質を身体で解っていても、欲動を満たしてみたいと心は思うわけだが、多分これは実験への欲望に近いものだと思う
満たすことが終止符なのではなくて、その空洞がどこまで強度を受け取れるのかを見たいと思う
January 31, 2026 at 6:00 AM
代わりに自己に立ち上がるものは、身体がどこで反応するのか、他者はどの距離で現れるのか、言語がどこで滑ってどこで沈黙するかみたいなことをただ察知する機能だけ
January 30, 2026 at 9:43 AM
つまり自己の葛藤について、私はこれらを克服したのではなく、乗り越えた解決したという感触のないまま、問題を克服する必要がなくなったと記述するほうが近い
自己が課題として自分に現れる距離がなくなることみたいな
January 29, 2026 at 7:56 AM
また美しいことに心地よさがあるように、恐怖や不穏の中にも、同じ種類の心地よさが存在する
このように書くと、美/醜、快/不快といった価値の極性をわざわざ対比しているように見えてしまうののだけど、美が生を肯定すふことと、主体が崩れてしまう可能性を孕んだ恐怖や不穏とのあいだに、非対称性は存在しない
調和や肯定の側に存在の強度が現れることもあれば、それと同じ強度が、主体の安定しない領域に現れることもある
January 29, 2026 at 7:20 AM
こんなふうに過去を反復する必要はないが配置を書いておきたかった
ただ途中で文字にするの飽きちゃった
人が美を語る楽しむ以前に、ただ静かに美しいという状態を感じる人もいるが、それでも自分にとっては薄い膜越しに届くことがあると言いたかった
January 29, 2026 at 7:20 AM
ある時から映画や音楽や芸術が世界として現前し、その現前が情動として身体を揺さぶり、主体を肯定的に包み込む装置として作用する回路が失われた
今いま残っているのは、私の配置から物事を見たとき、なにかすべてが脱落した場所で、それでもなお生は何に接続しうるのかという問いのなかで、作品と共鳴するその感触のだけなような気がする
January 15, 2026 at 5:29 PM
しかしその後主体は、最後に残っていたそれすらも認識できなくなることがある
いつも歩いている道が、もはや道として把握できず、そこにあった景色も、景色として立ち上がらなくなる
主体が立っている位置そのものが消えてなくなる
そのように象徴界の連結が解けるとき、
ありとあらゆる記号は失効する
美も主体を包んでいたという事実も、
世界の側で解体されてしまう
世界は世界であることをやめてしまう
January 14, 2026 at 12:36 PM
世界の意味の失効や生の根拠の消滅を実感してしまうと、恐怖が快楽にも苦痛にも変換されなくなってゆく
死ぬことは回避するべき脅威ではないが、死が目的なわけでは全くない

この世界で私は大丈夫か?そういう問いがなくなった後は、
この強度のまま世界とどう関係できるかをまだ見ていないという保留だけが残る
January 9, 2026 at 4:30 AM
January 6, 2026 at 10:50 AM