「当たり前じゃん。だって美味しいし、可愛いし」
「うん。そういう世界、似合ってる」
別れ話はしなかった。彼女はパフェの話をしていて、カエル男は川の音を聞いていた。それだけでもう一緒にいる理由は消えていた。
彼女はもっと大きくて、もっと高くて、もっと光るイチゴの方へ行った。
それでいい。彼女は自分の世界へ行った。
僕は、透明人間の森に行こう。そう思った。
「当たり前じゃん。だって美味しいし、可愛いし」
「うん。そういう世界、似合ってる」
別れ話はしなかった。彼女はパフェの話をしていて、カエル男は川の音を聞いていた。それだけでもう一緒にいる理由は消えていた。
彼女はもっと大きくて、もっと高くて、もっと光るイチゴの方へ行った。
それでいい。彼女は自分の世界へ行った。
僕は、透明人間の森に行こう。そう思った。
「ねえ、この前言ってたパフェの店、予約取れたよ」 彼女の目が輝いた。「ほんと?すごいじゃん!」 その顔を見た瞬間、カエル男は分かった。彼女はもうこの河原を見ていない。
「ねえ、この前言ってたパフェの店、予約取れたよ」 彼女の目が輝いた。「ほんと?すごいじゃん!」 その顔を見た瞬間、カエル男は分かった。彼女はもうこの河原を見ていない。
翌週、カエル男は彼女を河原に連れて行った。派手な店ではなくコンビニで買ったサンドイッチと紙パックのコーヒー。 「ここ、何もないね」彼女は少し不満そうだった。
翌週、カエル男は彼女を河原に連れて行った。派手な店ではなくコンビニで買ったサンドイッチと紙パックのコーヒー。 「ここ、何もないね」彼女は少し不満そうだった。
「すごいね」それしか言えなかった。本当はM$3,000で二人分の夕飯が食べられることを考えていた。 「今度ここ行こうよ」彼女はもう行く前提で話していた。財布の中身は議論にならない。
「すごいね」それしか言えなかった。本当はM$3,000で二人分の夕飯が食べられることを考えていた。 「今度ここ行こうよ」彼女はもう行く前提で話していた。財布の中身は議論にならない。
「利用するのです。その人は意思ではなく状況で動きます。だから、信念ではなく“安全そうに見える形”を与えなさい。『正しい』ではなく『無難』に見える道を用意する」
「それじゃ、嘘になる」
「いいえ。責任の置き場を変えるだけです。『あなたの判断』ではなく、『こう見える』という外側の言葉にする」
少し間を置いて、透明人間は続けた。
「失敗を人のせいにせず、出来事として語りなさい」
カエル男はカップを置いた。
「相手を変えずに、進む方法か」
「ええ。それが、長く生きる者のやり方です」
「利用するのです。その人は意思ではなく状況で動きます。だから、信念ではなく“安全そうに見える形”を与えなさい。『正しい』ではなく『無難』に見える道を用意する」
「それじゃ、嘘になる」
「いいえ。責任の置き場を変えるだけです。『あなたの判断』ではなく、『こう見える』という外側の言葉にする」
少し間を置いて、透明人間は続けた。
「失敗を人のせいにせず、出来事として語りなさい」
カエル男はカップを置いた。
「相手を変えずに、進む方法か」
「ええ。それが、長く生きる者のやり方です」
守ることは介入であり、固定であり、変化を奪う行為だからだ。彼らが選ぶのは距離だ。見守るが、手を出さない。助言はしても、決断は奪わない。
T君が器を空にし、満足そうに伏せる。カエル男はその頭を撫でながら思った。
透明人間にとって人間とは、守るべき存在ではない。変化を引き受けてくれる、短命な同伴者なのだと。
その考えは、どこか冷たく、同時に深い敬意を含んでいるように思えた。
守ることは介入であり、固定であり、変化を奪う行為だからだ。彼らが選ぶのは距離だ。見守るが、手を出さない。助言はしても、決断は奪わない。
T君が器を空にし、満足そうに伏せる。カエル男はその頭を撫でながら思った。
透明人間にとって人間とは、守るべき存在ではない。変化を引き受けてくれる、短命な同伴者なのだと。
その考えは、どこか冷たく、同時に深い敬意を含んでいるように思えた。
歩きながら、カエル男は自分の立場を思い返す。研究計画、予算案、採択率。研究とは知ることだが、そのためには金が要る。金がなければ、問いを立てることすら許されない。だが金を集めるほど、研究は安全な方向へ、説明しやすい成果へと寄っていく。
彼は立ち止まり、ため息をついた。
歩きながら、カエル男は自分の立場を思い返す。研究計画、予算案、採択率。研究とは知ることだが、そのためには金が要る。金がなければ、問いを立てることすら許されない。だが金を集めるほど、研究は安全な方向へ、説明しやすい成果へと寄っていく。
彼は立ち止まり、ため息をついた。
彼らは長く生きる。だからこそ正しさに慣れることを恐れる。一度、見てしまえば、次も見る。信じるより確認する。やがて、相手の言葉は不要になる。
「それは支配に近づく」
透明人間は静かに言った。「たとえ善意でも結果は同じです」
カエル男は視線を落とした。「じゃあ君たちは何も変えられないままでいいのか」
「いいえ」即答だった。
「変えるためにあえて知らないのです」
その言葉を聞いたときカエル男は理解した。彼らが守っているのは人間の秘密ではない。自分たちが思考をやめない為の余白だった。
彼らは長く生きる。だからこそ正しさに慣れることを恐れる。一度、見てしまえば、次も見る。信じるより確認する。やがて、相手の言葉は不要になる。
「それは支配に近づく」
透明人間は静かに言った。「たとえ善意でも結果は同じです」
カエル男は視線を落とした。「じゃあ君たちは何も変えられないままでいいのか」
「いいえ」即答だった。
「変えるためにあえて知らないのです」
その言葉を聞いたときカエル男は理解した。彼らが守っているのは人間の秘密ではない。自分たちが思考をやめない為の余白だった。
長命な個体ほど自分が過去に積み上げた選択を疑えなくなる。変化を拒むのではなく変える必要性を感じなくなる。それが里にとって、最も厄介な停滞を生む。
焚き火がはぜる。
「だからこそ、外の世界を見る必要がある」透明人間は静かに言った。
「短命なあなた達は、間違え続ける代わりに、更新し続けられる。その危うさと柔軟さを、我々は失ってしまった」
カエル男は火を見つめたまま答えた。「じゃあ、その里は今、変われるのか」
返事は少し遅れた。
「それを確かめるために、あなたが必要なのです」
長命な個体ほど自分が過去に積み上げた選択を疑えなくなる。変化を拒むのではなく変える必要性を感じなくなる。それが里にとって、最も厄介な停滞を生む。
焚き火がはぜる。
「だからこそ、外の世界を見る必要がある」透明人間は静かに言った。
「短命なあなた達は、間違え続ける代わりに、更新し続けられる。その危うさと柔軟さを、我々は失ってしまった」
カエル男は火を見つめたまま答えた。「じゃあ、その里は今、変われるのか」
返事は少し遅れた。
「それを確かめるために、あなたが必要なのです」
同僚たちの表情は読めない。熱意がないわけではない。ただ賭けに出る顔ではなかった。
カエル男は息を整え、発言の順番を待つ。決定的な言葉はまだ口にしていない。
会議が終わり、廊下に出たとき、正月飾りが片付けられているのが目に入った。それ価値観を共有者たちだけが祝福させる。その中に透明人間やカエル男は入っていない。
彼はスーツの袖を正し、次の会議室へ向かった。ここで引き下がる訳にはいかなかった。
同僚たちの表情は読めない。熱意がないわけではない。ただ賭けに出る顔ではなかった。
カエル男は息を整え、発言の順番を待つ。決定的な言葉はまだ口にしていない。
会議が終わり、廊下に出たとき、正月飾りが片付けられているのが目に入った。それ価値観を共有者たちだけが祝福させる。その中に透明人間やカエル男は入っていない。
彼はスーツの袖を正し、次の会議室へ向かった。ここで引き下がる訳にはいかなかった。
透明人間は続ける。「不足しているものは、ただ流し続けられない。だからあなた達は時間を区切り、意味を与える」
一瞬の沈黙。カエル男は続きを待った。
「正月という節目で流れに杭を打ち、何度でも立て直そうとする。その姿は、とても誠実だと思います」
森は変わらず静かだったが、年の境目だけが、確かにそこに立っていた。
透明人間は続ける。「不足しているものは、ただ流し続けられない。だからあなた達は時間を区切り、意味を与える」
一瞬の沈黙。カエル男は続きを待った。
「正月という節目で流れに杭を打ち、何度でも立て直そうとする。その姿は、とても誠実だと思います」
森は変わらず静かだったが、年の境目だけが、確かにそこに立っていた。
「それはそうですね。人間はすぐに死んでしまいますから。だけど透明人間の中にはその真偽を確かめるために生涯を捧げている者たちもいるんですよ。私達はあなた達よりも長命ですから」
「それで、どれくらい生きたらその答えがわかるの?」
「だいたい……20万年」
「……長すぎだろ」
「まあ、私達もそこまで生きられるわけじゃないですけどね」
透明人間はさらりと言った。カエル男は、長いため息をついた。見えない相手の言葉を信用するのも骨が折れる。
「それはそうですね。人間はすぐに死んでしまいますから。だけど透明人間の中にはその真偽を確かめるために生涯を捧げている者たちもいるんですよ。私達はあなた達よりも長命ですから」
「それで、どれくらい生きたらその答えがわかるの?」
「だいたい……20万年」
「……長すぎだろ」
「まあ、私達もそこまで生きられるわけじゃないですけどね」
透明人間はさらりと言った。カエル男は、長いため息をついた。見えない相手の言葉を信用するのも骨が折れる。
指を向けられた先を見ても何も見えない。けれど、カエル男は確かに何かに触れた感覚があった。笹の葉のようなものが指先に触れる。その葉を手に取ってみると、香ばしい香りがふわりと立ち込めた。噛んでみるとシャリシャリとした食感が心地よく、ほんのりとした柑橘の酸味が広がる。
「影草の葉も残り少なくなってきた…そろそろ集落に帰りたいな」透明人間は、どこか遠くを見つめながらつぶやいた。
指を向けられた先を見ても何も見えない。けれど、カエル男は確かに何かに触れた感覚があった。笹の葉のようなものが指先に触れる。その葉を手に取ってみると、香ばしい香りがふわりと立ち込めた。噛んでみるとシャリシャリとした食感が心地よく、ほんのりとした柑橘の酸味が広がる。
「影草の葉も残り少なくなってきた…そろそろ集落に帰りたいな」透明人間は、どこか遠くを見つめながらつぶやいた。
茶館の前には背の高い藤棚があり、初夏には淡い紫色の花が垂れ下がり、風に揺れる。茶館の軒先では、誰もいないはずの卓上に湯気立つ茶器が置かれ、ときどき湯呑が少し傾く。
川のほとりには、舟着き場があり、何艘かの小舟が静かに浮かんでいる。薄霧が漂う夜明けには、漕ぎ手のいない舟がゆっくりと川を進み、遠くへ消えていく。彼らは見えないが、確かにここにいる
茶館の前には背の高い藤棚があり、初夏には淡い紫色の花が垂れ下がり、風に揺れる。茶館の軒先では、誰もいないはずの卓上に湯気立つ茶器が置かれ、ときどき湯呑が少し傾く。
川のほとりには、舟着き場があり、何艘かの小舟が静かに浮かんでいる。薄霧が漂う夜明けには、漕ぎ手のいない舟がゆっくりと川を進み、遠くへ消えていく。彼らは見えないが、確かにここにいる