SzkYor
szkyor.bsky.social
SzkYor
@szkyor.bsky.social
言葉に興味があります。ウィトゲンシュタインが好きです。
全然呟いてないけど見てます👁
December 15, 2025 at 10:34 AM
価値はゲームの中でしか機能しない。
あらゆる価値の外――「ただ存在する」という地平では、すべての価値は同じになる。ゆえに価値は存在しなくなる。

思うに、仏教的な「悟りを開く」とはその地平に至ることではないか。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」とはそういうことではないか。(「苦痛を排し、快楽を求める」というゲームの外ですらあるから)
October 3, 2025 at 12:55 PM
この一連のツリーに書いてあること、永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み』(数年前に読んだ)にまんま書かれててびっくりした。
なぜ、ふつうは、

他の「私」なるものを素朴に信じ、この「私」に内包されたものではなく(いわば独我論的な見方ではなく)、この「私」と並列して語るのに…

他の「現実」については逆な─つまり、この「現実」と並列して語ることなく、この「現実」に内包されたものとして語る─のだろう。
September 8, 2025 at 9:34 AM
なるほど
September 7, 2025 at 10:54 AM
Reposted by SzkYor
基本的にアイデンティティは「そうではない者」の排除を必要とするから、その範囲は例外の極大(地球人とか)か極小(個人とか)が良いと思う。極大すぎると排除の対象はなくなるし、極小すぎると自分以外多すぎて排除できないから、自分と異なる他者として相手と接するしかなくなる。
その間の中途半端な大きさのアイデンティティほど、排除する対象が増えてしまう。

自分探しは結構バカにされがちだけど、やりがい搾取に絡め取られないのであれば、むしろ生涯やるべきではと思う。
アイデンティティを自分の中に見つけられるのなら、別に外国人にしろ誰にしろ排除する必要はないのだから。
September 6, 2025 at 1:21 AM
ある発話に意味がある、とは、それを言うことが言語ゲームにおいて有効であるということ…

ところで「算数を勉強することには意味がある」というときの「意味がある」も、「有効である」的なニュアンスを持ちますね
September 4, 2025 at 8:28 AM
単語Aの「意味」は、「単語Aが他のどのような単語と、どのような配置で組み合わされることができる(※)か」によって決まる

※ここでいう「できる」とは、言語ゲームが成り立つということ
September 4, 2025 at 8:24 AM
「論考」の話なのでこちらに移す。
September 2, 2025 at 9:14 AM
考え始めた発端はそもそもこれだったわけだが、ここでは「合理的」と「科学的」という言葉を混同してた。

教授は「科学的」とは言わず「合理的」と言ってる。

そして、さっきまでの私の論脈からすれば、透明人間になったり空を飛んだりetcは科学的ではないにしても合理的ではあるといえる。それが合理的である世界を想定しうるという意味でだ。
September 1, 2025 at 1:07 PM
整理するとようは…
蓋然性と認知的必然性(?(造語))の違いを見極めろって話で。蓋然性の低い世界は現実となりうるけど、認知的必然性のない世界は現実となりえない。みたいなこと。
September 1, 2025 at 1:01 PM
世界Aと世界B、合理的な方を現実と信じると言ってみたところで、合理性の判断基準が一方の世界Aに準拠するのであれば、その合理性によって世界Aを現実とするのはトートロジーでしかなく、無根拠。

たとえば空を飛んだり透明人間になったり思い通りに人が動いたり自殺波動があったりetc…というのは、蓋然性は低くても想定はできることなので、べつにそれは世界Bの常識に慣れてしまえば合理的ということになる。
September 1, 2025 at 12:55 PM
ここでもし、二つの世界の常識が全く異なるものであったら?
どちらの常識にも適応して生きていくことは考えられる?

たとえば、因果が成り立つ世界と成り立たない世界。
…でも、因果が成り立たない世界にどう「適応」するのか検討がつかない。
生まれた時からふたつの異なる世界を行き来していて、一方の世界で眠るたびにもう片方の世界で目覚める
一方の世界にとってもう片方は夢である
どちらを現実と定めることなく、今いる世界を現実と呼ぶことにしている(そうするしかないから)

…そんな風にずっと生きている人の人生を想定してみる
September 1, 2025 at 12:29 PM
なるほど「現実」は単に「今私がいるこの世界」を指す言葉ではない
今までもこれからもずっと「現実」はひとつの世界を指し続けなければならないんだ
それが「現実」ということばの用法なんだ
September 1, 2025 at 12:19 PM
このとき、彼にとって「現実」という言葉は意味を失う
それは方便のようなものでしかなくなる
September 1, 2025 at 12:17 PM
生まれた時からふたつの異なる世界を行き来していて、一方の世界で眠るたびにもう片方の世界で目覚める
一方の世界にとってもう片方は夢である
どちらを現実と定めることなく、今いる世界を現実と呼ぶことにしている(そうするしかないから)

…そんな風にずっと生きている人の人生を想定してみる
September 1, 2025 at 12:13 PM
今更だけど、夢を夢といえる根拠のひとつに「内容に連続性がない」というのがある
もし夢の記憶が連続的であったら、主体からすれば二つの世界を行き来しているだけで、夢と現実という区別はつかないだろう
September 1, 2025 at 12:00 PM
ウィトゲンシュタインの想定のように、そこにある本棚を叩かれて、(独在性的な意味で)現実に痛みが発生するような自体は想像できる

しかし、未だかつてそのようなことが起きたことはなく
叩かれると現実に痛みが発生する「この身体」はやはり(確固たる、とはいえずともある程度の)境界を持っている
August 26, 2025 at 12:47 PM
この身体 といっても固有のものではない
どこまでがこの身体であるか その境界線は揺らいでいる
人格についても同様
しかし現に そこそこ固有のモノとして捉えることができている(動的平衡を連想する)
August 26, 2025 at 12:39 PM
どうして世界の限界としての私はこの身体と切り離せないのか ←結局ここから先に進めない(納得のいく答えが得られない)
August 26, 2025 at 12:32 PM
私に知らないことがあることは、以下のやり方で確認できる

・穴(枠)をみる
例:「カザフスタンの首都」を知らない

・過去に新しいことを知った経験を思い出し、今後も同じことがあるはずと帰納する
例:ある本を読む以前まで知らなかったことを、読んだ以降は知ってる → 読んだことない本を読んだら、また新しいことを知るだろう

…他にやりようがあるだろうか?
August 26, 2025 at 2:57 AM
私の中に現れている時点で現実も夢も創作も本質的な差はない(経験の位相としての差があるだけ)
それよりも「私の外」の方がよっぽど遠くにある感じがする(というか、なんだそれは)
August 26, 2025 at 2:42 AM
なんか うーん。
「現実」という言葉の使われ方をつぶさに見ていく必要がありそう。
August 25, 2025 at 3:32 AM
そもそもの問題は
「なぜ現実は私のように並列化されないのか」
ということだった

そしてその答えは
1.別の人と話すみたいに別の世界と話すことがないから
というものだった

だが、よく考えたら別の世界と話していても現実は単一になりうる(それが「現実」の本質である)と気づいた

よって回答は
2.話ができる時点で「現実」は共有された単一のものとなるから
に修正された

これにより
私:話ができる時点で必ず並列化される
現実:話ができる時点で必ず単一化される
という対称性がとれた

これで解決か?
ふむ
そもそもなんで私は 私と現実を対比しようとしたんだったかな
August 25, 2025 at 3:20 AM
むしろ不思議なのは「私」があたかも並列化可能なように(というか当然のように並列化して)語られる言語のほう
August 25, 2025 at 2:50 AM
▼整理

経験の位相としての世界が別(夢、平行世界、創作etc)であっても、
そこにいる人と会話するようなシーンは想定できて、
その場合は「こちらの世界では〜」の言い換えとして「こちらの現実では〜」という言い方をするかもしれない。

このとき、一見、現実を並行化することに成功しているように見える。
けれど、その会話が成り立つ地点としての「現実」は結局、単一であり、共有されている(並列化不可能)。

よって「現実」という言葉の性質上、別の「現実」というものは実は想定しえない。
August 25, 2025 at 2:42 AM