それでもなお、リテラシーがあるとすれば、それはたぶん、「流れてくる嘘をいかに見破るか」よりも、「自分が何を信じたがっているのか」を知り、信じたい情報こそ警戒するということではないかと思う。
それでもなお、リテラシーがあるとすれば、それはたぶん、「流れてくる嘘をいかに見破るか」よりも、「自分が何を信じたがっているのか」を知り、信じたい情報こそ警戒するということではないかと思う。
マスメディアに即して言えば、マスメディアに対する「カウンター情報」への耐性が極端に落ちてしまうのだ。「テレビに洗脳されていませんか!」というのは、いまや怪しげな信仰やサービスを売りつけるための常套句になっている。
マスメディアに即して言えば、マスメディアに対する「カウンター情報」への耐性が極端に落ちてしまうのだ。「テレビに洗脳されていませんか!」というのは、いまや怪しげな信仰やサービスを売りつけるための常套句になっている。
「自分には高度なメディア・リテラシーがあり、メディアの嘘を見抜くことができる」という自意識は、自分が信じている「真実」を守るうえで非常に効果的だ。
そこからは、しばしば「メディア陰謀論」が展開され、たとえばNHKには在日コリアンが数多く雇用されており、そのせいで反日的な偏向報道をするのだといった完全なデマを信じることになったりする。
「自分には高度なメディア・リテラシーがあり、メディアの嘘を見抜くことができる」という自意識は、自分が信じている「真実」を守るうえで非常に効果的だ。
そこからは、しばしば「メディア陰謀論」が展開され、たとえばNHKには在日コリアンが数多く雇用されており、そのせいで反日的な偏向報道をするのだといった完全なデマを信じることになったりする。
「『いづみちゃんは何も悪くない。ただ、この世界の真実を知らなかっただけ』
二人の視線が重なる。
すると、その交点がまるで蕾(つぼみ)のように膨らんだ。
まずやってきたのは匂いだった。生花店に足を踏み入れたときのような濃密で独特な香りが、ぶわっとこちらにまで押し寄せてくる。
蕾が開いたのだ。」
「『いづみちゃんは何も悪くない。ただ、この世界の真実を知らなかっただけ』
二人の視線が重なる。
すると、その交点がまるで蕾(つぼみ)のように膨らんだ。
まずやってきたのは匂いだった。生花店に足を踏み入れたときのような濃密で独特な香りが、ぶわっとこちらにまで押し寄せてくる。
蕾が開いたのだ。」