美少女封建主義者
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webermax.bsky.social
美少女封建主義者
@webermax.bsky.social
かつてMaxWeberをもじって真葛上羽と名乗った少女。ツイッターの遺民。
イーロン・マスクは悪名において殷の紂王に勝ろうとの野心に駆られ、妊婦さんを捕らえてはその腹を割いて保健の授業を行い、バズろうとしている❗️
May 31, 2024 at 1:54 PM
坂野潤二「昭和史の決定的瞬間」
・美濃部達吉は内閣中心の職能代表制「立憲独裁」のイデオローグであった。したがって、政友会による天皇機関説への攻撃は、「立憲独裁」による議会軽視への抵抗でもあった。
・当時の自由主義者は資本家の利害を代表し改革に冷淡であった。したがって社会民主主義を代表する社会大衆党は、むしろ軍部に接近した。
・坂野は当時の著名な評論家であった武藤貞一を高く評価する。武藤は日中戦争勃発直後にそれが長期化し、米英ソにたいする総力戦に転化すると主張した。彼は総力戦の破壊と欠乏を驚くべき精度で予言している。
March 29, 2024 at 8:30 AM
森村進「正義とは何か」
・正義とは以下によって特徴づけられる道徳の一種である(著者は道徳=正義と考えない)。
(1)対他性。正義は他者との関係において問題となる
(2)優越性。正義は他の諸価値、規範に優先するとされる。
March 18, 2024 at 1:48 AM
荻生徂徠「弁名」についてのメモ
・徂徠によると「仁」とは民を安らかにする能力を指す。人を愛することは「仁」の一側面に過ぎない。
・民を安らかにするという目的の達成のため最も重要な手段は「人を知る」こと。ここでいう「人を知る」とは人の長所を知ること。人の弱点まで知ってあげつらうことは不要。
・「聖人」とは異常な能力を備えた天才立法者。聖人でない人は聖人を理解できない。したがって、「湯武は簒奪者のクズだから聖人でない」と論じるべきでない。
March 3, 2024 at 8:54 AM
俗に「徳」というと、道徳性いう意味だと思われる。儒教であれ、今日の徳倫理学であれ、徳を発達されるとは何か理想の道徳性を備えた人格に近づくことであるかのように思われている。
対して荻生徂徠は独特の概念規定をする。彼によると徳とは生まれか訓練によって身につけた何らかの能力である。彼の徳には道徳性という側面が薄く、それこそ栽培の才能も徳である。
February 27, 2024 at 8:05 AM
徂徠の説く「道」とは偉大な立法者が人民を安泰にするため設計した制度である。注目すべきことに、そのメカニズムは理解し難く、またどうやら理解する必要もないらしい。
人間が自分の頭を使って望ましい結果に到達せんとするのが主体性だとしたら、徂徠は主体性なぞ侮蔑している。民は何も理解できないまま偉大な立法者の制度に操作され、安泰にさせられる。民を操作するエリートの方も実は主体性を認められていない。「弁名」によれば、偉大な立法者は時代に合わせて制度を改革したが、どうして変えたのかは立法者にしかわからないという。
February 27, 2024 at 6:40 AM
中国の宇宙開発が盛んなのは、某氏が習近平にこう説いたからである。「月面で寿命を伸ばす霊薬を持った宇宙人と会った。しかし宇宙人は習近平の礼が薄いので霊薬をあげないという。曰く、労働力か技術者が欲しい。礼が十分に厚ければ霊薬を習にやると」。
これを聞いて習近平は大いに説び、男女三千人、五穀の種と百工を月面に遣わそうとしている。
February 24, 2024 at 2:36 PM
「三酔人経綸問答」で、「恢復的の民権」と「恩賜的の民権」とを分ける議論がある。
「恢復的の民権」は英仏などで下から取ったもので、その大きさは「我れ」が自由に決める。
「恩賜的の民権」は上が与えたもので、その大きさは「我れ」の自由にならない。
私はこの区分の有効性を疑う。そもそも民権なるものは皆「恩賜の民権」であって、「恢復的の民権」なぞは幻想ではないか。
February 24, 2024 at 12:57 PM
「三酔人経綸問答」で一番面白いのはおそらく東洋豪傑君の議論であろう。彼は戀旧と好新との二つの人間類型を指摘する。しかし彼のいう戀旧とは所謂保守主義と異なる。革命前の戦士階層をひきずり、ただ勇ましいという理由で破壊と変革を欲する輩をいう。
February 23, 2024 at 5:16 AM
中江兆民「三酔人経綸問答」を読んだ。
所謂「リベラル」な立場を代表する西洋紳士君の議論がおそろしくつまらないのに対し、東洋豪傑君と南海先生のの議論とが面白い。というか、西洋紳士君の議論への読者への不満を、東洋豪傑君と南海先生が解消するという構造になっているかのようだ。
February 22, 2024 at 6:13 AM
不佞が思うに、ラテン語は極めて醜い言語である。ラテン語の文章を読んで感心したことがない。語順が出鱈目であるからドイツ語の文体にみられるような秩序の美が欠如している。特にその韻文は酷く、その語順の混沌とせることは狂人のたわごとのごとし。その所謂名文とされるものとはダラダラとややこしく水脹れしたように長く、古典漢文にみられるがごとき簡潔さの美からかけ離れている。
February 19, 2024 at 2:01 PM
ヴェブレン「有閑階級の理論」の指摘。
有閑階級の立派な紳士は、自らの富を示すため、自分が「卑しい」生産活動に携わらないことを誇示するのみならず、生産に携わらぬしもべたちをも抱える。同様に、神のしもべたちたる聖職者も生産活動に携わるべきでないとされる。それどころか安息日には信徒全員に生産活動に携わることが禁じられる。
February 18, 2024 at 10:50 AM
最大の暴力団は国家だということを忘れるな!
February 15, 2024 at 12:22 PM
不佞は荻生徂徠を所謂「設計主義的合理主義」に属する思想家と思っていた。設計主義的合理主義者とはハイエクの悪口で、市場や伝統などの自生的秩序を尊ぶべきことを知らず、自分が設計した秩序を押し付けんとする自信過剰な輩のことをいう。ミルやマルクス、デカルトがその例である。
徂徠先生の場合、文明は道徳であれなんであれ「聖人」すなわち偉大な立法者が設計したものだと信じ、聖人の設計(「道」)した通りにすれば統治はうまくいくと主張していた。良い社会秩序とは意図的に設計した秩序であるとの発想はまさしく設計主義的合理主義と呼んで問題なかろう。
February 15, 2024 at 7:35 AM
佐藤郁良「俳句のための文語文法入門」
不佞はしばしばあやしげなる擬古文を作れども、その文法はおぼつかなきことが多し。文法のあやふやなるを如何せんと思いて色々読むに、この本はよし。きわめて平易なり。
February 15, 2024 at 7:13 AM
Reposted by 美少女封建主義者
招待制廃止がやってきた。
𝕏から薄汚いユーザーが痰を吐きながら大挙して押し寄せてくる。

論争多発!ブルースカイが汚れる!そこでBluesky PBLLCは あのジャック・ドーシーの親戚、陳を秘密に呼び…
𝕏ユーザー抹殺計画を依頼した。陳は殺しのプロだ。 5億ユーザーを一人残らず抹殺せよ!

しかし、𝕏では死亡したイーロン・マスクを巨大兵器に改造する研究が着々と進んでいた!
February 6, 2024 at 9:12 PM
もし儒者が優生学を知ったら
朱子学と優生学の相性は案外悪くないのではないか。完璧に澄んだ「気」でできた生まれながらの聖人だけで構成された社会を実現するため「民を新しくする」という発想は彼らにとって魅力的だろう。
徂徠先生は完璧な聖人を作ろうという型の優生学の主張は馬鹿にするであろう。豆は豆、米は米で役に立つから、遺伝的多様性は肯定されるべきだと。しかし多様な遺伝的エリートによって構成されたカースト社会には賛同するのではないか。
February 13, 2024 at 5:51 AM
千葉聡「ダーウィンの呪い」
作者は優生学の危険性を訴えているが、同時にその魅力や説得力をも示してしまっている。
「ナチの優生学は荒唐無稽な疑似科学にすぎず、ダーウィンの本来の進化論とは無縁」と不佞は思っていたが、そうともいいきれないようだ。ダーウィンを正確に理解し、今日の進化理論を築いた研究者の多くが実は優生学者であった。彼らの議論には確かに誤謬や粗雑な議論が多いが、誤謬や粗雑な議論に尽きないものである。
February 13, 2024 at 2:33 AM
徂徠先生が現在に蘇ったならば、生物学におそらく強烈な関心を示すだろう。生物学によって示された遺伝的要因の重要性は、「性は不変化」との本人の主張の正しさを示すものと誇るだろう。それぞれの遺伝子に応じたそれぞれの個性が最大限に発揮できるよう管理された社会を夢想するのではないだろうか。
February 12, 2024 at 2:05 PM
マックである女子高生が、徂徠学の観点からカントを批判していた。もっとも彼女のカント批判は聞きかじりの知識に基づいていたからあやしげである。以下は彼女の主張。

聞く、西海の諸国にカントという人が出でて自律を主張したと。不学無知の極みというべし。民は甚だ愚かなものなれば、自分の利益もわからないものだ。権力者が民の父母として管理してやるべきものだ。自律を唱えるのは、一見民のためを思うようでいて、安民をそこなうものだ。仁とは安民のことだから、カントは不仁である。とうてい士大夫に値しない。(1/n)
February 11, 2024 at 8:21 AM
荻生徂徠「答問書」を読む。徂徠先生の民衆に対する愛情と侮蔑の両方を感じる。徂徠先生は民衆にまるで期待しておらず、愚かで自分の利益もわからないとみなしている。したがって徂徠は民衆が理想にずれるのに憤らない。同時に徂徠先生はありのままの民衆に優しい。愚かな民衆を愚かなまま保護し管理してやろうと主張する。
February 10, 2024 at 1:15 PM
このラブコメ戦記文学は、初期仏教の立場から、日本仏教を堕落と見做し糾弾せるものであろう。
現世肯定的な日本仏教(中村元「日本人の思惟方法」)を象徴するのは、輪廻転生を模した環状線からエネルギーを汲み上げる仏像人間。
仏像人間の破壊は日本仏教の否定を暗示。銀河からの降車は、輪廻からの解脱を意味。日本仏教を否定しなければ解脱できないと主張している。仏像人間の母やカンパネラが女性であることは、女性を解脱への障害とみなすブッダの女性蔑視(清水俊史「ブッダという男」)を忠実に受け継いでいる。
その通りに蹴り飛ばすと駅の外に巨大な人影が顕現した。その姿を隠していた結界が決壊したのだ。
その姿はジョバンニの母であった。母は元々仏像人間であり、ジョバンニは生体エネルギー供給源として、カムパネルラはジョバンニを銀河に乗せるために作られたのだ。
母はかつての思い出や甘い言葉をジョバンニにかけるが、彼は逡巡しながらも母を斬殺した。
彼は銀河を降りて自らの足で歩き始めた。
夜空には、満月に向かって鷹のような鳴き声をあげ翼を広げるヨダカの影が残った。
February 10, 2024 at 11:27 AM
不佞思うに、法家は儒家や墨家に比べて、人間への操作の可能性について悲観的である。
ある人はこれに反論して曰く、「法家は賞罰によって人を操作すべしとの思想ではないか」と。
確かに法家は賞罰によって人を操作できるとした。人は利己的に利益を求め、不利益を避けるから、賞によって利益を与え、罰によって不利益を与えることで、人を操作できるとした。
けれども法家は、利己的に利益を求め、不利益を避けるという点まで改造出来るとは主張しなかった。
「荀子」や「墨子」を読めばわかるが、儒家や墨家も、賞罰によって人を操作することを否定していない。別に儒墨は人間の操作に反対しなかった。
February 10, 2024 at 10:42 AM
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ウマエロ(日本, 山梨県)
室町期、甲斐国では国人勢力による騒擾が起こること絶え間なかった。良馬の産地を抑えていたある国人は、この混乱を鎮めるべく決戦兵器を造成せんと考え、諏訪の神職の力を借り馬とアフリカ系山梨県民の黒人の国人を合成した生体兵器を作り出した。この生体兵器は馬得力(うまえろ)と呼ばれ、武勇を振るい大いに恐れられた。しかし、武田方の航空機や機甲部隊、そして核攻撃を用いた無停止の進軍についぞ居城まで追い詰められた。だが、その居城は迷宮とも言える構造を成し侵入者を退けた。武田氏はこれを恐れ城を作らず、この地方では馬の頭をした人型の怪物が時折迷宮があるとされる所より現れ人里を襲うという。
February 10, 2024 at 5:25 AM
人は皆、無責任を悪しことする。丸山真男が大日本帝国を「無責任の体系」なりと責めたのがその一例である。
しかるに不佞はひそかにこれを疑う。責任を問うことははたして常に是か?
そもそも責任とは何ぞや?どうも漠然としているが、不佞の理解の限り、どうも「Xが責任をとる」とは何か悪いことが起こったときにXを罰することを意味するらし。確かにこれはXをして悪いことが起きないよう努めさせるよう威嚇する効がある。
なかなかけっこうそうに聞こえるが、責任を問うことには副作用がある。責任を問うことが厳しければ、人は萎縮して失敗のおそれの大きいことを試みなくなる。
February 10, 2024 at 7:40 AM