美少女封建主義者
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webermax.bsky.social
美少女封建主義者
@webermax.bsky.social
かつてMaxWeberをもじって真葛上羽と名乗った少女。ツイッターの遺民。
・ロールズは個々人の性質や利害や願望や価値観は「無知のベール」よって捨象せよと説く。「…ロールズの主張は、偶然的要素から生じた個性を持っている現実の人間を尊重するものではない。私は自分が現に持っている特徴・性質を備えた者として尊重されたい。ロールズは功利主義が「人格の別個性」を無視しているとして批判したが、功利主義者ならずとも〈この批判は熨斗をつけてロールズに返上したい〉と言いたくなるところだ」。
March 29, 2024 at 7:19 AM
ロールズ。
・森村はロールズをある種の国家至上主義者として解釈する。ロールズのいう「社会」は実は国家を意味している。ロールズのいう「正義」とは国家の正しい秩序である。個々人の権利・義務はこの国家レベルの正義から導き出されるべきだとロールズは主張する。ロールズは個々人の権利を守るため国家が設立されると考えない。
・ロールズは国家に属するというアイデンティティを特権化する。一方、宗教や政治信条などの他のアイデンティティは「無知のベール」によって無視されるべきとする。
March 29, 2024 at 7:11 AM
 森村はパーフィットの修正案を讃える。けれども不佞からすればカントの議論と50歩100歩のポンコツである。
例を示そう。支配者への抵抗が正当だと全ての人が信じることを全ての人は望んでいない(ホッブズ、宣長をみよ)。したがってパーフィットにしたがえば悪しき支配者への抵抗は不当である。
一方、悪しき支配者にも抵抗しないことが正当であると全ての人が信じることを全ての人が欲しているわけではない(一部の人は抵抗は義務だという)。したがってパーフィットの論法に従えば、悪しき支配者に抵抗することもしないこともどちらも許されないことになる。
March 25, 2024 at 6:22 AM
森村のカントへの評価は辛い。
・晩年のカントは、同性愛嫌悪など、当時の偏見にすり寄る知的退廃を示した。
・カントは善意志のみ価値があると奇怪な主張をする。しかし何が善意志かはさほど明確でもないし、また善意志が常に善いとは限らない。
・カントの定言命法は、床屋になることは普遍化できないから許されないといったトンチンカンなものである。しかしパーフィットの修正ver(行為xが正当であるのは、xが許されると全ての人が信じることを全ての人が欲するときであり、そのときに限る)はよくできている。
March 25, 2024 at 6:15 AM
 第二に道徳において距離が重要でないというのは疑わしい。孟子なら道徳において距離を無視するのは君父を蔑する禽獣だと非難するであろう。実際、我々の多くが現実に従っている多くは距離を重んじている。口では博愛を唱える輩の多くも、自分の家族や友人を他の他人より、自分の祖国を他より大事にしている。
March 22, 2024 at 5:48 AM
・「不偏的観察者」ががいかなる者か、スミスの説明は漠然としている。不佞は森村の記述を読んで、スミスは「正義とは何か」という問題を「不偏的観察者とはいかなる者か」という問題に置き換えただけではないかと感じた。
・森村はスミスの「共感」重視を批判する。共感は身内贔屓を伴いがちであるが、道徳において距離は重要でないと。
 もっとも森村の批判が成功しているかは疑わしい。
 第一に、スミスなら「不偏的観察者」の共感は身内贔屓を伴わない、と主張するかもしれない。
March 22, 2024 at 5:45 AM
アダム・スミス。
・スミスは現実の道徳がいかなるものか記述しているのか、それとも望ましい道徳について説教しているのか、曖昧である。
・スミスの道徳理論は共感に基づく。この共感には他人の感情を想像するという意味と、想像した感情に賛同するという二つの意味がある。
・「不偏的観察者」がもつであろう共感が道徳の基準である。「不偏的観察者」ならば罰したいと思うであろう相手を罰するのが「正義」であり、報いたいと思うであろう相手に報いるのが「善行」である。
March 22, 2024 at 5:29 AM
ロック。
・森村はロック贔屓である。彼によればロックの議論はキリスト教信仰を抜きにしても理解できるし説得力もあるという。
・ロックの議論の前提になるのは、各人は自らが創造した価値を体現するものへの権利を持つという命題。この命題をロックは証明していない。森村は、基本的な道徳の命題は証明できず前提するしかないとして、ロックを擁護する。
March 19, 2024 at 4:19 AM
ホッブズ。
・森村はホッブズの議論を極めて説得力ある形に再構成している。
・ホッブズの自然状態は完全な無規範の世界。国家無くしては法はもちろん道徳も存在しない。ホッブズのいう「自然権」とは禁じられていないということを意味するに過ぎない。
・ホッブズのいう「自然法」とは自己の利益のための合理的な戦略を指す。
・ホッブズの「正義」とは平和をもたらす国家に服従すること。大抵の場合は国家へ服従することが自己の利益になる。
March 18, 2024 at 3:12 PM
プラトン。
・プラトンの正義とは魂の調和である。理性が気概の助けをうけて欲望を支配するのが正義。プラトンは正義が他者との関係で問題になることを無視する。
・また正義はポリスの正しい体制についてもいえる。魂の正しい調和とポリスの正しい体制にはアナロジーが成り立つ。
・プラトンの正義が当時の通俗的な正義と一致するかはうたがわしい。プラトンは、正しい人は通俗的な意味での正義に従うと主張するが、それは当時の社会へのリップサービスに過ぎない。
March 18, 2024 at 2:36 AM
・正義の対象には(1)個々の行為、(2)行為の基準、
(3)社会の構造、
(4)個人の性格、
がある。
・正義の内容としては、以下が想定されてきた。
(1)帰結主義。帰結のみを問題とする。功利主義など。
(2)義務論。帰結のみならず動機なども問題とする。カントなど。
(3)契約主義。「合理的」に斥けられない原理に従うべきとする。ホッブズなど。
(4)徳倫理学。
March 18, 2024 at 1:57 AM
確か宣長は「儒者は湯武とかいう簒奪者を聖人と呼んでそのイデオロギーをありがたがっている」と批判したのに対し、ある儒者は「湯武は聖人じゃない」と反論したが、徂徠の理解に則れば宣長の方が正しい
March 3, 2024 at 9:31 AM
徂徠も徳を発達させることを説くが、それは一つの理想の道徳性を備えた人格に近づくということではない。各人それぞれが異なった徳を発達させることをいう。
人によって天性が違うからその徳も異なる。同じ徳を身に着ける必要もない。多くの徳を身に着ける必要すらもなく、各人が己の得意とする一つの徳を発達させればよい。
February 27, 2024 at 8:07 AM
徂徠の崇める制度メカニズムは、それに則って民を支配するエリートとにも、それによって操作する民にも、理解できない。そのメカニズムが理解できないまま、なぜか民を安泰にしてしまう。それが徂徠のいう道=制度である。
February 27, 2024 at 6:42 AM
私は奇論を呈しているようだが、実はそうでない。所謂「恢復的の民権」が実現した国、例えば英仏などでも、民権を定めその大きさを決めるのは権力についた革命勢力である。被治者の一人に過ぎない「我れ」の自由にはならない。いかなる国であれ、被治者の一人に過ぎない「我れ」は、権力の座にある他が決めた民権を受け取るのであって、そうでしかありえない。
February 24, 2024 at 1:04 PM
しかし平等以上に君主に愛着をもったり貴族趣味な人もいる。となると貴族趣味や君主への愛着を満足させる点では、立憲制は民主制より望ましいだろう。別に平等への欲求が君主への愛着や貴族趣味より、合理的であるわけではない。少なくとも合理的だと西洋紳士君がしめせているわけではない。
February 22, 2024 at 7:07 AM