寳達ベミュ
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日常生活アカウントです。女神転生とペルソナシリーズが好き。『アラサーOLハマーン様』が好きです。ユダヤ文化をちょこっと学習中(シオニズムには反対しています)。アイコンは佐倉シノブさんに描いてもらいました!
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佐倉シノブさん(https://bsky.app/profile/sakurasinobu.bsky.social)に写真を基にアイコン画像を描いてもらいました!かっこよすぎて自分じゃないみたいですw ありがとうございます!
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いわゆるリベラリズムには賛同しない部分もあるのですが、寛容な社会であって欲しいものですね。
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自民と公明の関係からは「一緒に頑張ってくれた人を大事にしなければならない」という当たり前の教訓が得られる。道徳教育とか教育勅語とか言い出す前に学ぶべきことがある。
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まだネオリベラリズムについての意見が固まってないので、それまではもう少しひよひよしよう🐣
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最近思うこととして、自分はもちろん保守や右翼ではないけど、もうリベラルや左翼でもないんだなということを強く感じる。よく言えば中道・悪く言えば日和見主義。
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今日走りに行きたかったけど天気が微妙すぎる。
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雨のせいで力が出ない
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僕も着ぐるみ着たいな。
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ポートランドのデモ、着ぐるみを使うことを考えた人は賢い。あれなら暴力的な運動と描こうとするデマに説得力が無くなる。「カワイイは正義」とはこのことか。
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いろんなの見てると、公明党の離脱は上層部以前に選挙の現場の公明党員の人たちが「どうして我々が裏金議員のために働かなければならないのか? 罵倒されなければならないのか?」というまさに『現場の声』の反映だから政局でもなんでもないから根深いね……。
「実際に現場で選挙のために働いてる人たちの声」からの行動だから、逆に公明党の内部的には強い決断な人だな。
ネットで騒いでる人は、「事務所でお茶出しや書類整理している人たち」のことわかってないからな・・・。
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吉田司の言う通り、「産業の二重構造の下で、大企業と銀行の足の裏をなめて生きている下請けや孫請けの工場主や、何千何万円の支払いがとどこおって地べたに土下座せねばならなかった商店街の親父たち」を組織し、戦後左翼が組織の対象としていた大企業正社員や公務員などエリート労働者以外に、組織と政治勢力(公明党)を与えてきた創価学会の役割は、リベラルや左翼が「階級」ということを真剣に考えるならば決して無視できない(少なくとも左翼が労働者・生活者の組織化に失敗した結果である)ため、今後の政局で「階級」を論じる人が創価学会=公明党とどう接するかを注視していくと興味深いものが見えてきそうだ。
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▼ここに初めて、長い間〝汚い銭儲け〟と目されてきた利潤獲得の経済行為に「善美性」という一種の神聖性が付与された。そしてそれは次に、経済行為にかかわって暗い忍従の道を歩まされていた人々――例えば産業の二重構造の下で、大企業と銀行の足の裏をなめて生きている下請けや孫請けの工場主や、何千何万円の支払いがとどこおって地べたに土下座せねばならなかった商店街の親父たちとかに、経済人としての誇りと宗教人としての使命感を与え、強い守護性で彼らを団結させ、戦後市民社会の陽の当たる大道に引っ張り出したのである。彼らは自分たちの工場や商店の従業員を丸ごと引き連れて入信した。▼
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▼信徒の末端に至るまで、一人びとりがいわゆる狂信的行動の、共同正犯です、間違いなく。だから、こう考えても良かった。戦後の労働運動が、労働者の憎悪(ルサンチマン)を組織化したのではなく、労働者の権利を守る〝守護神〟として機能したように、創価学会も、組織を持たぬ貧乏人が市民社会の大道に進出するための〝護符(マーク)〟となり、その権利の〝守護神〟となって機能した時期があり、それが折伏大行進の号令と重なり合って展開したのだと。労働者の団結やストライキにマルクス教のお墨付きがあったように、貧乏人の社会進出に日蓮の後ろ盾があったと言ってもよい。……”

(吉田司『宗教ニッポン狂騒曲』、234-238頁)
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▼だからこそ、あのただの中小企業のオッサンの、戸田城聖の一片の折伏指令が、信徒大衆の〝天下取りの欲望〟にすりかわって、「御意見無用」の確信犯が次々に生まれ、ハチャメチャな〝世の中お騒がせ大行進〟が続けられていったのではないのか。単なる戸田や池田の個人的な〝天下取りの野望〟だけであーるもんか。……(中略)……〝おかげまいり〟的高揚したハイな気分で徒党を組んで、他宗攻撃や票集めや、今までぺこぺこ口もきけなかったような紳士淑女連にも横車をかまして、アレはすっかり「三派全学連」(反日共過激派)なみの、〝貧乏人の街頭デモ〟だったじゃないですか。▼
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そ▼のため、創価学会は、短時日のうちに急速に発展し、今日では日本最大の宗教集団にまでなることができた」(同右、西山茂)

 結局筆者は、この三つの引用文が表沙汰にしている創価学会現象の裏舞台をずっと歩きつづけてきたような気がする。しかもそれは、そんな下積み層のルサンチマン(憎悪・怨嗟)を組織化したというような〝マイナス型〟の、戦前民衆宗教的なパターン現象ではなく、下積み人間たちの欲望に宗教的(経済的)聖痕を与えたために、神(仏)の思惑はどこにあれ、人間の方が一方的に神(仏)をつぎ上げて世にはばかったという、プラス型の、欲望過剰型の宗教現象ではなかったのかと思われてくるのである。▼
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▼「創価学会の戦後の進出は他の新宗教に一歩遅れをとったものの、都市低所得者層や農村から大都市に流入してきた青年層の支持を集め急速に膨張していった 
(『日本宗教史辞典』)

「創価学会に結集した信者たちの多くは、ボーダーラインすれすれの底辺層の人々か、あるいは下降的な社会移動の結果として『都市下層』(鈴木宏『都市下層の宗教集団』)に滞留するにいたった人々であり、彼らの既存の社会秩序へのルサンチマンの感情と現状打破への願望には、強烈なものがあった。そして、それを見事に組織化したものこそ、この時期の創価学会であった。▼
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▼ここに於て、創価学会は「働く宗教」の様相を帯び、「政治」(共産党や総評)が労働者を吸引する力と並び立つこととなり、公明党の「政治」進出への大義名分が出揃った。だから良し悪しの判断は別にして、戦前の牧口「価値論」が戦後魔術化して、高度成長の従順な下積み戦士を大量に作り出していったことの意味は、決して小さくないというお話である。

「(学会員は)経済的には中間層以下の層が多い、と推定できる。つまり保守、革新各政党には救い上げられない、いわゆる社会の下積み層」
(朝日新聞 三十七年七月四日)▼
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▼更に、この「利的価値」論の魔術は、これまで物質生活の快楽から最も遠い位置に追いやられ、禁欲を美徳とせねばならなかった下層の貧乏人を、実利追求の創価人間=善美ナル利潤人間=貨幣欲・物質愛人間=正当的戦後市民という奇術的な手口で、大量に戦後秩序の保守的枠内に呼び込むことに成功したのだ。そして戦後市民社会とは、物質購入欲の世界、裏返せば物質生産主義の時代だったから、これらの貧しき人々はすべて、復興期から高度成長期にかけて、下積みの最もまっとうな産業先戦士となっていったのである。モチロン〝まっとうな〟とは、神の名の下で最も〝従順な〟という意味である。▼
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▼ここに初めて、長い間〝汚い銭儲け〟と目されてきた利潤獲得の経済行為に「善美性」という一種の神聖性が付与された。そしてそれは次に、経済行為にかかわって暗い忍従の道を歩まされていた人々――例えば産業の二重構造の下で、大企業と銀行の足の裏をなめて生きている下請けや孫請けの工場主や、何千何万円の支払いがとどこおって地べたに土下座せねばならなかった商店街の親父たちとかに、経済人としての誇りと宗教人としての使命感を与え、強い守護性で彼らを団結させ、戦後市民社会の陽の当たる大道に引っ張り出したのである。彼らは自分たちの工場や商店の従業員を丸ごと引き連れて入信した。▼
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以下、吉田司『宗教ニッポン狂騒曲』文藝春秋、1990年9月25日第1刷より。

"……モチロン創価学会は〝商人(あきんど)宗教〟ではない。けれど、牧口の「利・善・美」は、人生の最初の価値を〝実利の追求〟に置き、これを善と美に拡大連動させるという形で、結果的には「利潤行為」(金儲け経済)にまで「善と美」の浄化作用が及んだのである。▼
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私は創価学会員ではない(立川で創価学会と対立していた真如苑3世信者ですが苑のことは嫌いです)のですが、個人的に創価学会について一番偉いと思うポイントは、水俣病がまだ原因のわからない「奇病」扱いされていて、「奇病が伝染する」として水俣病患者が現地の農漁村の人々から差別されていた1950年代にあって、創価学会だけが水俣病患者の学会員のために水俣まで乗りこんでいったという話です。

他宗について邪教だとか堕地獄とか折伏大行進とかよくわからない話が沢山あり、そこが受け入れられ難いんのでしょうが、こういう話があったということはもっと知られた良いと思う。

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" 筆者は水俣の海辺端に十数年暮らして良く知っているが、水俣病が奇病伝染病として世の爪弾きにあっていた昭和三十年代初頭、それを救済する形でかかわった宗教というのはひとつもない。教会もお寺も死病と恐れて近付かない。拝み屋のお祓いさん(祈禱師)だけが、
「今、観音さまがやって来らるるぞ。白馬に乗って、ホレ、今お前の目の前に。ソレ、早よ銭あげろー、鯛あげろー」
 ナンテ言ってつき合っていただけである。創価学会だけだ。伝染病の村をものともせず乗り込んできたのは、徒党を組んで。"
(吉田司『宗教ニッポン狂騒曲』文藝春秋、1990年9月25日第1刷、242頁より引用)
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" 筆者は水俣の海辺端に十数年暮らして良く知っているが、水俣病が奇病伝染病として世の爪弾きにあっていた昭和三十年代初頭、それを救済する形でかかわった宗教というのはひとつもない。教会もお寺も死病と恐れて近付かない。拝み屋のお祓いさん(祈禱師)だけが、
「今、観音さまがやって来らるるぞ。白馬に乗って、ホレ、今お前の目の前に。ソレ、早よ銭あげろー、鯛あげろー」
 ナンテ言ってつき合っていただけである。創価学会だけだ。伝染病の村をものともせず乗り込んできたのは、徒党を組んで。"
(吉田司『宗教ニッポン狂騒曲』文藝春秋、1990年9月25日第1刷、242頁より引用)