ゴトー
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ゴトー
@hirokoujitei.bsky.social
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プロジェクト工学の提唱者です。 blueskyでは、詩と哲学を逍遥したく思います。
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結構、主観的には、世の中の問題の超ストライクゾーンに目がけて、全力でバットを振っているつもりなのだけれども、他の人の目で見ると、なかなか、そういうふうには見えないものだなぁと思う。
まぁ、もちろん、客観的に見たら、そうだよねとは、思うのだけれども。ただこう、なんだろう、単純に、なんでわかんないのかなと、不思議には思う。
村上春樹の小説に出てきそうな…
知人は裕福で幸せな人だ。仕事をするでもなく、昼間から酒を飲み、高級車に乗り、乗り換え、数カ国語を話し、音楽に造詣が深く、読書家で賢くユーモアもあり、フレンドリー。絵に描いたような感じの良い人。

比べるまでもなく別世界の人。彼は孤独なのだろうか。おそらくそうではないのだろう。何を求めて角打ちへ来るのだろう。昨晩はスーパーの安売りが始まるのを待っているだけと嘯いていた。
SNS上の政治に関する意見表明について、ふと思ったのだけれども、漫画やアニメの考察文化に似ている気がする。

公式(政治であれば政治的主体者、エンタメであれば制作者)の発する情報が、受益者側の希望的観測や感情発露のきっかけにしかなっていなくて、まず、適切に受け止めて理解するというプロセスがショートカットされている。
結果、ありとあらゆる角度から恣意的に解釈されるだけで、発展的な議論になっていかない、という。

そのような言論空間の底抜け現象は、キラキラネーム文化の台頭と、時期的にはぴったり重なっていて、根底にあるものが共通しているような気がする。
もう騙されたくない、都合よく利用されたくない、という気分だけが、あるのかもしれない。しかし、そこで思考停止すると、さらにまた利用されるという地獄。その利用価値も、ただ群衆のいち分子であるということを超えない。
現実を見ようとしない、見たくない、という気分だけの共鳴。現実的な力に結びつかない、虚空への遠吠え。

SNSもAIも、同じ構図に絡め取られているように思える。
SNS上の政治的な応酬のバックグラウンドを丁寧に見ていくと、どの陣営も同じく「自分の頭で考えたくない症候群」にかかっているだけで、ちょっとした好みの差によって異なる陣営に所属していて、似たもの同士で泥を投げ合っている、という構図に見えてきた。
どちらもデジタル上の表現だから、現実に及ぼす影響は、イメージよりは小さいのかな、という気もするのだけれども、実際のところどうなのかは、よくわからない。
120点を出したければ
それなりの準備や段取り、伏線が
必要で
その手間を惜しんで
あまつさえ
60点が取れれば御の字だと嘯き
蓋を開けたら80点ぐらいにはなって
そこで なにごともないしたり顔で
取るなら120点を取りたかったと言うのは
いくらなんでも虫が良すぎるぞ、自分

と、思うかたやで
別の現場では 実際のところ
ゆうゆうと
奇跡をかっ飛ばしている

つまりそれは
戦う場の探索、選択と粘りが
足らない ということ
である可能性もまた
否定できないので
ある
Reposted by ゴトー
むかしインターネットで見かけた、英語の苦手なかたが書いたメールという話で「質問があれば何でも聞いてくださいね!」と書きたかったところを

"If you have any questions,
I don't care."
(何か質問がありましたら、知ったことかよ)

みたいな英文があり、大ウケしてしまったばかりか(子供たちがゲラゲラ笑っていた)、何だかほんのりと元気が出るので時々思い出している。

前半ていねいに始めている定型文なのに、とつぜん突き落とすような態度の変化。実に切れ味良い。
うっかりぱっくり
ばっさりぐったり
あっさりがっかり
ちゃっかりがっぽり
ぎっしりみっしり
しゃっくりそっくり
ぱっくりぽっこり
めっこりきっかり
しっかりぐっすり
きっかりぎっくり
ゆっくりのったり
もっこりしっくり
すっかりにっこり
ちょっぴりほっこり
ときどき 世間に出てみるのは
とても大事なことである
普段接する人とは違う生活感情
普段目にする街とは違う情報空間

自分の半径数メートル以内の景色から
世の中の
全てを
わかった気になってはならぬ

世間を知るためには
ときどきは
世間に
出る必要が ある
まいにちまいにち、仕事を頑張っている。
仕事には、いろんな仕事がある。

①受けた依頼を実行する仕事
②新たな機会を得るための仕事
③仕事を回す基盤を維持する仕事
④仕事の質を高めるための仕事
⑤それらに付帯するあらゆる仕事

ちなみに、私の仕事は、他者の仕事がより捗るように支援する仕事である。そんな仕事を私に対してデリバリーしてくれる人が、スムーズに動ける手伝いとしての仕事もする。

メタ構造が大変なことになっているぞ、という気もするが、仕事は仕事である。仕事の本質とは、誰かを助け、心を動かし、経済を回転させる、ということである。
世の為人の為に、という思い
とにかく食べていくという現実
やりたくないことはやりたくない我儘
アイデアや企画のかわいさ
それが伝わらない苛立ち
さっさと結果を出したい焦り
同時にゲーム攻略的な面白さ
疲れてなにもやりたくない気分
漠然とした未来への不安
いまここにある日常への感謝

それぞれのモードが
来たり 去ったり
去ったり 来たり

なにをやっているのか
なにをやりたいのか

わからないまま また今日を生きる
プロジェクトを主題として生きている悪いクセで、なにかがうまくいっていない人を見かけると、PM能力が足りないから、と、つい、見立ててしまう。自分の場合、PM能力というものを、根底の根底まで考え尽くしているので、もはやそれは単なる業務管理手法の枠を遥かに超えてしまっていて、「生きる力」と同義だったりするから、まぁ、あながちはずれてはいないのだけれども、そうはいっても、いちど、この眼鏡を外すと良いのかなぁと思ったりもする。
たしかにたしかに

メディア内部での言論において、存在しないものがあたかも存在するかのような錯覚のもとで展開される、というのは、昔からあるんだろうけど。

存在しない仮想敵を設定することにより成立するプロパガンダ…
Reposted by ゴトー
昨日ちょっと排外主義的な言説について調べていたら、中国人移民政策に反対、みたいなフレーズを発見し、我が国は割と頑なに移民を認めないタイプの政策を長く続けている認識でいるんだけど、いつ誰が移民政策を掲げてると(あの人たちは)思っているのだろう。誰と闘っているつもりなのか分からないと思ってしまったのだった。
情報は現実の飛沫

宇宙が
この世の全集合だとしたら
情報の濃度はaleph-zero
なのかしら

どうかしら
優しいサウンドの音楽は
やさしさの具現化そのものである

やさしさを
言葉で指示ことはできるが
やさしさを
言葉で具現化することはできない

言語はどこまでもどこまでも
永遠に 無限に 抽象である

音楽は言語の原初的形態であるわけだが
進化の過程で きっと
具象を落っことしたのだろう
ポリコレ問題も、異文化共生問題も
最終的には、社会規範論に帰着する

誰もが納得できる規範を作ることは
なかなかやっぱり、難しいのだろう

育ってきた環境が 違うから
好き嫌いは 否めない…

頑張ってみるよ、というのが
最大限みんなが譲歩できる
規範
なのかも しれない🙏
言語化できない真理を
メタ認知して言い表すと
人間は興醒めする
という言明は
人間を
興醒めさせている
易行即難行
難行即易行

…🙏
家庭を持つと
家から出なくなる
独立して
近所に事務所を構えたら
街からも
出なくなった

だから

最近の
街の
トレンドとかは
もう
よくわからない
いま現在の、日常のありがたみ

お盆を過ぎて 夜は冷えるとはいえない


虫の声が鳴り響く

結果のところ価値と時間の関係は
価値のほうこそが
従属変数

すべては変わっていく

その非情さを

まだ受け止めきれない 私がいる
しごとの源泉には
いくつかのパターンがあるが
ごくごく有限である

めんどくさい
むずかしい
おなかすいた
もやもやする

しごとを形にする人は
本当にそれを叶えるのか
叶う夢だけ見せるのか

しごとを託す人は
十分に対価を渡すのか
そうでないのか

そこは倫理が問われる