小夏🍉
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B3 批評理論・文学の理論:作者/読者論、ポスコロ、フェミニズム、村上龍、橋本治など UT超域 言語態テクスト・文化論コース twitter:@konatsu2023
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被害者に誰かを加害する権利はない──のだけれど、これはとても残酷なことだし、その残酷さは分かる人にしかたぶんわからない。あたりまえに思えるということは、きっと、    しあわせ    、なのだ
Reposted by 小夏🍉
たとえ異性愛に見えても、その関係性を生きている人たちにとっては、クィアな側面が存在していることがある。例えば見た目とは裏腹に、両者のジェンダーアイデンティティが異性愛にはフィットしないものであるように。異性愛の繫がりだと言って斥けてしまうのではなく、異性愛の中にすら潜在しているクィアネスを浮き彫りにすることが必要で、『クィア・レヴィナス』はそういう試みを行った本だ。
やっぱりblueskyは平和だ
だから、死と暴力の平等分配を考えなければならないと思っている
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すべての生は尊重されなければならない、というのは、すべての生に死と暴力が平等に分配されなければならない、という意味であって、ある生がその無条件で無限定な保護を要求する権利があることを意味しない。少なくとも政治理論は、この点を引き受けなければならないし、引き受けてきたのだと思うし、そこに責任とリアリティがある。
これは私のよくない冷笑かもしれないのだが、とはいえ政治学のほうではわりと言われていると思うのだが、私(たち)の知っている「反差別」の理念はそれ自体が、基本的には資本主義下の経済発展と手と手を取り合ってできた中産階級の文化をベースにできているところがあり、でもこれから経済成長はしないし温暖化も進む中で、そういうライフスタイルの享受は難しくなるわけで、それにつれて私(たち)の「反差別」の手持ちのカードはだんだん使えなくなっていくのではないか、と私は怖く思う
Reposted by 小夏🍉
わたしが凄く嫌なのは、東京とか首都圏の大学生が投石したり火炎瓶作ってやり合ってた時に実際に投げられていた相手というのは、地方とかから金の卵的にかき集められてきた警察の機動隊だったりすること。

それを反省もしない感じが徹底的に嫌で、あっさり髪切って就職するんですよね。髪ぐらい切れるでしょ、機動隊に比べれば。

なんでお前らみたいな大学に行けてるとか手に職がつけられている人たちが、地方の農家を継ぎたくなくて警官になりました、みたいな人に石を投げて、一生物のダメージを負わせて今でもマルクス主義は現実の理想です、とかいって合唱して、最終的に高学歴層は島耕作的に出世していってたんだよ、と思うわけです。
すべての生は尊重されなければならない、というのは、すべての生に死と暴力が平等に分配されなければならない、という意味であって、ある生がその無条件で無限定な保護を要求する権利があることを意味しない。少なくとも政治理論は、この点を引き受けなければならないし、引き受けてきたのだと思うし、そこに責任とリアリティがある。
極端な言い方をすれば、全員にとってのユートピアはない。社会運動は、社会正義は、すべての人にとってのユートピアの建設とはなんの関わりもない。それはあくまで、生を保証する基盤の平等な分配、言い換えれば死と暴力の平等な分配に関わるものにほかならない
社会運動は個人の救済と直接には結びつかない(結果的にそうなることはあり得るとしても)。にもかかわらず、憂鬱だが、やらなければならない。何一つ不自由ない暮らしをしているブルジョワのガキのなかにだって自殺くらいするやつはいる。それが何かの抑圧と結びついているにしても、生の苦しみは抑圧をなくせば消えるものではない。そういうものを、「彼らの解放は私達の解放でもある」という功利主義の論法による訴えかけで隠蔽するところに、ひとつの否認、ひとつの隠蔽、ひとつの卑怯がある。
生存に関わるのだ、というレトリックは、実際問題としてとうの昔に効力を失っている。
生存に関わるのだ、というレトリックは、実際問題としてとうの昔に効力を失っている。
リベラルが好きなのはブルジョワ市民道徳であって、それは定職について金を持ってリスペクタブルな生活をすると身につくものだが、リベラルは貧乏な人が多いのにその道徳を身に着けようとしている
Twitterの方の小夏は、いよいよ行き詰まりを迎えてきたのだよな 保守的であるがゆえに歓迎されているところがあって、それが大事だということなのだが、自分の気持ち的に……
だんだんといろんなことが面倒になってきて、それがいいことなのか悪いことなのかわからない
Twitterの方の小夏は、いよいよ行き詰まりを迎えてきたのだよな 保守的であるがゆえに歓迎されているところがあって、それが大事だということなのだが、自分の気持ち的に……
だんだんといろんなことが面倒になってきて、それがいいことなのか悪いことなのかわからない
だんだんといろんなことが面倒になってきて、それがいいことなのか悪いことなのかわからない
頭がいいとか悪いとかではなく、多くの人は、長い文章が送られてきたら読まないのだ、といまさら再確認した。長い、というのは1000とか10000とかではなくて、200文字とかのはなしで、要するにメッセージのフキダシの四角形の縦横比が1:3を超えたあたりから、まずくなってくるのだが、文字を読むというのはやっぱり不自然なことなのだろう。だからどうということはない、たとえテキストのやり取りであっても、その内容以外のものが伝達する情報はいろいろあって、現にそれだけで大半のコミュニケーションは成立している。言葉で内容を伝え合っている、というのは、フィクションにすぎない……
矜持というものは、それ単体としては良いものでも悪いものでもない 今支えてとなっているものが、自分の首を絞めているということはいくらでもありうる
稲葉曇の新曲が2曲も出ている!!!
あなたもそうしろと言っているわけではない
自分自身のことを話すときに、トラウマや安全性や相談や信頼やケアや回復や癒しや寄り添いや受容といった言葉を使わないというところに最低限の矜持がある
憎悪とルサンチマンに規定された人間が、憎む対象を超えることができるはずはない。それでもその人は、憎悪とルサンチマンを失えば何事もなし得ないだろう。はじめから決まってしまっている
反ワクチンだの国家神道だのLGBTはいらないだの言ってる連中が出産を奨励しているというのは何の冗談か。生んでくれてありがとうという代わりに子は親を金属バットで殴り殺すだろう。自己否定を抱えながら生きていくために。
沈黙が加担であるなら、自分の身を守ることが誰かを守らないことにつながる状況下で、いかに振る舞うべきなのか。
だがマイノリティでさえ、一部はこの共犯者に仕立て上げられる。ナチス政権下のドイツにあって同性愛者は迫害されたが、迫害政策は不徹底かつ場当たり的で、多くのゲイは「普通に」、なんなら政権に賛同して、生存していたという話もある。それに死人からすれば、生き残ったあらゆる者どもが罪人である。
どんなときでもマジョリティはのうのうと生き残るし、最後には被害者ヅラして見せるわけで(先の戦争のドイツや日本がその例)、それがいちばんやるせないかもしれない
どんなときでもマジョリティはのうのうと生き残るし、最後には被害者ヅラして見せるわけで(先の戦争のドイツや日本がその例)、それがいちばんやるせないかもしれない
「〇〇カルチャー」と誇らしげに呼ばれるもの一切を憎んでいる
中産階級の文化は死ぬほど憎いが憎んでも憎みきれないのは今や金持ちだろうと貧しかろうと私たち全員がそこに所属しているということ
暗い時代にひとつだけ良いことがあるとすれば、関わるに値する人間かどうかの見極めが容易になること、だろうか