すると山猫の顔色がだんだんと変わり、やがてまるでまっかになって癇癪をおこしはじめました。
「帰ってくれ。黄金のどんぐり一升やるから帰ってくれ。」
「いや、いらないですけど。」
「帰れ。帰ってくれ。」
一郎はすっかり嫌われてしまいました。
すると山猫の顔色がだんだんと変わり、やがてまるでまっかになって癇癪をおこしはじめました。
「帰ってくれ。黄金のどんぐり一升やるから帰ってくれ。」
「いや、いらないですけど。」
「帰れ。帰ってくれ。」
一郎はすっかり嫌われてしまいました。
山ねこが叫びました。
「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ。」
別当が、むちをひゅうぱちっと鳴らし、どんぐりはみんなしずまりました。山猫が一郎にそっと申しました。
「このとおりです。どうしたらいいでしょう。」
一郎はわらってこたえました。
「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。日本語圏の文学研究には、以下の構造的問題があります。『序論』が極端に短い、先行研究の位置づけが曖昧、本論が『読みの連続』になり論文としての“機能”が不明確、結論が弱い、あるいは存在しない、指導が経験則に偏る。
山ねこが叫びました。
「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ。」
別当が、むちをひゅうぱちっと鳴らし、どんぐりはみんなしずまりました。山猫が一郎にそっと申しました。
「このとおりです。どうしたらいいでしょう。」
一郎はわらってこたえました。
「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。日本語圏の文学研究には、以下の構造的問題があります。『序論』が極端に短い、先行研究の位置づけが曖昧、本論が『読みの連続』になり論文としての“機能”が不明確、結論が弱い、あるいは存在しない、指導が経験則に偏る。
すると、もうどんぐりどもが、くちぐちに云いました。
「いえいえ、だめです。なんといったって、アダプテーションがいちばんえらいのです。」
「いいえ、ちがいます。ケアがえらいのです。」
「そうでないよ。自らの権力性を自覚していることだよ。」がやがやがやがや、もうなにがなんだかわからなくなりました。山猫が叫びました。
「だまれ、やかましい。ここをなんと心得る。しずまれしずまれ。」
別当が、むちをひゅうぱちっと鳴らしました。山猫がひげをぴんとひねって言いました。
「裁判ももうきょうで三日目だぞ。いい加減になかなおりをしたらどうだ」
すると、もうどんぐりどもが、くちぐちに云いました。
「いえいえ、だめです。なんといったって、アダプテーションがいちばんえらいのです。」
「いいえ、ちがいます。ケアがえらいのです。」
「そうでないよ。自らの権力性を自覚していることだよ。」がやがやがやがや、もうなにがなんだかわからなくなりました。山猫が叫びました。
「だまれ、やかましい。ここをなんと心得る。しずまれしずまれ。」
別当が、むちをひゅうぱちっと鳴らしました。山猫がひげをぴんとひねって言いました。
「裁判ももうきょうで三日目だぞ。いい加減になかなおりをしたらどうだ」
「だめだい、そんなこと。単独者だよ。単独者であることなんだよ。」
「翻訳のえらいひとだよ。翻訳をしてきめるんだよ。」もうみんな、がやがやがやがや言って、なにがなんだか、まるで蜂の巣をつっついたようで、わけがわからなくなりました。そこでやまねこが叫びました。
「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ。」
別当がむちをひゅうぱちっとならしましたのでどんぐりどもは、やっとしずまりました。やまねこは、ぴんとひげをひねって言いました。
「だめだい、そんなこと。単独者だよ。単独者であることなんだよ。」
「翻訳のえらいひとだよ。翻訳をしてきめるんだよ。」もうみんな、がやがやがやがや言って、なにがなんだか、まるで蜂の巣をつっついたようで、わけがわからなくなりました。そこでやまねこが叫びました。
「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ。」
別当がむちをひゅうぱちっとならしましたのでどんぐりどもは、やっとしずまりました。やまねこは、ぴんとひげをひねって言いました。
……しかし、本当にダメなガンダム、最も腐ったガンダムと言われている『Vガンダム』(1993)がまだこの後に控えているのだ。こうしてみると、Zは黒富野の端緒に過ぎないのかもしれない。 さらに後の「健やかな」新訳Zは宮崎駿の明るい毒電波を浴びたことによるまやかしであろう。
……しかし、本当にダメなガンダム、最も腐ったガンダムと言われている『Vガンダム』(1993)がまだこの後に控えているのだ。こうしてみると、Zは黒富野の端緒に過ぎないのかもしれない。 さらに後の「健やかな」新訳Zは宮崎駿の明るい毒電波を浴びたことによるまやかしであろう。
同時期には、宮崎駿が『風の谷のナウシカ』(1984)で大成功を収めている。『未来少年コナン』や『カリオストロの城』の頃の富野は「宮崎さんが良いものを作り、ボクが売れるものを作る」と余裕をかましていたが、宮崎は良くて売れるものを作ってしまったのだ。
同時期には、宮崎駿が『風の谷のナウシカ』(1984)で大成功を収めている。『未来少年コナン』や『カリオストロの城』の頃の富野は「宮崎さんが良いものを作り、ボクが売れるものを作る」と余裕をかましていたが、宮崎は良くて売れるものを作ってしまったのだ。