わるもの
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メンシス学派。ヒューマニスト=スピーシスト。自由主義者だけれど「残酷さ」を忌避しないのでリベラルではない。道徳懐疑論に依拠した倫理学からの権威剥奪を画策している。人間中心主義者として、PZNへの迫害的な対応に断固として反対する。
https://warumononomonooki.hatenablog.com/
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「Bloodborneが、ゴシックホラーかと思えばコズミックホラーであり、最終的には哀悼に満ちた人間讃歌、ヒューマニズムであることは広く知られた事実であると思われますが、」
「ポスト資本主義」の内実が、道徳における善悪概念の生存であったり、欲望に対する蔑視であったり、個人性の棄却であったりするなら、それは断じて「ポスト」ではなく、資本主義体制によって初めて解放・肯定・生存できた諸々を再び殺し抑圧する野蛮への後退であると理解されねばならない「ポスト資本主義」がこうである限り、全ての資本主義の批判者は、結局は自分の道徳が王座に就けないことを憤っていただけの、他人が自分の思い通りにならないことに憤慨していただけの、傲慢で暴力的な専制主義者であることになろう。
November 18, 2025 at 11:54 AM
露悪趣味が冷笑ないし軽蔑されるって、それも多数派がそう考えるようになるって、とても怖いことですよ。まさに多数派が何か確定的な「正しさ」を確信しているということだから。まさにフィクションの中の「ヴィラン」に対する容赦も同情もない仕打ちが、ほかならぬ現実の異質な人間にもたらされるということだから。
November 17, 2025 at 8:39 AM
Reposted by わるもの
改めて、フェノーメノシナリオの「正義の名のもとに誰かの未来を奪わないで」というのはめちゃくちゃ重いメッセージだと思いますね。
「正義」が誰か何かを叩く棍棒になってしまうというのは、『ウマ娘』に限らずさまざまなお話で繰り返し表現されてきた、一種ありふれたモチーフ・問題意識ではある。しかしそこからさらに踏み込んで、「正義」による批判が、誰か何かを愛好する行為、嗜好、あるいはアイデンティティが「存在」すること自体を脅かしてしまう点を指摘し、メッセージとして「存在することを奪わないで」としてまとめるというのは、非常に特異的というか、時勢が意識されていると思う。
私なんかはそこから「やっぱ正義って碌でもないですね」となるわけだけど、彼女はそうは考えないのでしょう。
October 16, 2025 at 7:44 AM
Reposted by わるもの
「正義」が誰か何かを叩く棍棒になってしまうというのは、『ウマ娘』に限らずさまざまなお話で繰り返し表現されてきた、一種ありふれたモチーフ・問題意識ではある。しかしそこからさらに踏み込んで、「正義」による批判が、誰か何かを愛好する行為、嗜好、あるいはアイデンティティが「存在」すること自体を脅かしてしまう点を指摘し、メッセージとして「存在することを奪わないで」としてまとめるというのは、非常に特異的というか、時勢が意識されていると思う。
私なんかはそこから「やっぱ正義って碌でもないですね」となるわけだけど、彼女はそうは考えないのでしょう。
April 23, 2025 at 12:29 AM
それ自体冷笑的な露悪趣味がさらに人々に冷笑され、碌でもない政治的正しさに熱を上げるポピュリズムが伸長するこの「確信」の時代にあって、まさに「正義!」なキャラクターに正義の怖さ、取り返しのつかなさを語らせたフェノーメノシナリオの先見の明は何度でも擦っていきたい。
改めて、フェノーメノシナリオの「正義の名のもとに誰かの未来を奪わないで」というのはめちゃくちゃ重いメッセージだと思いますね。
「正義」が誰か何かを叩く棍棒になってしまうというのは、『ウマ娘』に限らずさまざまなお話で繰り返し表現されてきた、一種ありふれたモチーフ・問題意識ではある。しかしそこからさらに踏み込んで、「正義」による批判が、誰か何かを愛好する行為、嗜好、あるいはアイデンティティが「存在」すること自体を脅かしてしまう点を指摘し、メッセージとして「存在することを奪わないで」としてまとめるというのは、非常に特異的というか、時勢が意識されていると思う。
私なんかはそこから「やっぱ正義って碌でもないですね」となるわけだけど、彼女はそうは考えないのでしょう。
November 17, 2025 at 7:32 AM
どうでもいいけれど、私は『ヒトラーのための虐殺会議』終盤の、シュトゥッカート内務次官が「断種」を提案する場面がどうしようもなく好きだ。実務家として頑として曖昧な職掌を許さない人間に妥協を迫った結果として、会議を主催するハイドリヒすら一瞬ギョッとしてしまうような提案が飛び出す。あれはあの映画で一番怖いところだと思う。
November 16, 2025 at 10:49 AM
#私は連帯しない

少なくとも自由主義体制において、ある属性個人が連帯を拒否することには何らの不利益も伴わない。彼には自明に自由と権利が保障されているからだ。連帯を拒否することで不利益を被るのは、自由や権利が動員の対価に成り下がっている体制においてである。そのような反個人的な体制を許すべきではない。
November 14, 2025 at 11:16 PM
「私」を「私たち」にすること、つまり連帯することは、およそ寛容というものを捨て去ることに等しい。動員が自明視されるところでは、権利も自由も対価なしにはあり得ない。存在するためには常に動員に協力しなければならず、絶えず自らを否定し権力に阿って自己改造しなければならない。そうしないと存在を許されない。
連帯=動員はむしろ多様な存在との寛容に基づく共存を破壊する営みであり、偶然によって成立した自由や権利をあえて否定し、それらかが全て勝ち取られねばあり得ないと錯覚させる殺人的な詐術だ。連帯は多様性に牙を剥く。連帯は寛容を否定する。連帯は連帯者を個ではなく道具として搾取する。
November 14, 2025 at 11:14 PM
反ワクチン陰謀論は基本的には右派のものとされているけど、そしていわゆる政治的右派の科学アレルギーは確かに考えものだけど、明らかにこの責任の一端は科学と科学主義の混同にあるよな。左派は事実と価値を混同し(境目を曖昧にする)、「である」からノータイムで「べき」を導く傾向にあるが、これは左派的立場に賛同できない人々を科学的知識から排除するある種の認識的不正義を助長している。科学的知識が平等に享受・分配されていない。
November 7, 2025 at 3:07 PM
動物愛護・環境保全側の理念を一ミリも動かさない一方で、たとえば地方の人々に対して熊スプレー等の携行を要請したり、街で暮らしている人に防御姿勢を伝授するという対応がさも当然のように行われると言うのは、絶対におかしいですからね。
November 6, 2025 at 10:20 PM
「記号を消費しているに『過ぎない』」みたいな言い方には気をつけていきたいですね。それはなんら卑下するような営為ではないのだから。至極当たり前の、ありふれた楽しみなのだから。
November 5, 2025 at 6:28 PM
「オオカミにとっての自由は、ヒツジにとっての死である」ことは事実だが、それと同時に、「ヒツジにとっての永劫平和は、オオカミの大量殺戮によってしか実現しない」こともまた事実だ。暴力はどちらにもあり、どちらにも排斥がある。しかし現実には、前者の暴力だけが正当な「暴力」ないし「悪」の地位を独占している。
November 3, 2025 at 3:32 PM
ライブ会場で急遽合いの手要求されたやつだ。
November 2, 2025 at 6:40 PM
......想像以上に難しくね?
「温泉で休もう!」というコンセプトのはずなのに、どうして岩盤掘削についてのレクが始まるんです?
November 2, 2025 at 6:39 PM
「温泉で休もう!」というコンセプトのはずなのに、どうして岩盤掘削についてのレクが始まるんです?
November 2, 2025 at 5:13 PM
高市首相のトランプ接待を見て「日本の女性は男性接待しないと成り上がれない!」と噴き上がっている人たちの能天気ぶりというか、この期に及んでそんな話ができる政治思想が羨ましい。
私などは、続く韓国・李大統領が全く同じような接待(王冠進呈・勲章授与を踏まえれば日本以上だ)をしているのを見て、「東アジアの情勢はそんなにやばいのか」と怖くなってしまったよ。
October 30, 2025 at 10:23 AM
サイゲは『ウマ娘』の魅力的な新シナリオを平日昼間に実装するのをやめろ。ないんだよ。やる時間が(血涙)。
October 29, 2025 at 3:07 PM
欲望は、たとえ自分のありのままの充足を諦めて、身を切る思いで身なりを整え、その身体にそぐわない礼儀作法を身に付け、手を擦り合わせながら下手に社会に出たとしても、倫理によって即座に射殺されてしまう。
October 26, 2025 at 7:17 PM
熊被害に対して遅々として進まない国・行政の実効的な対応について、少なくとも倫理学者はそれを非難する側に立つ資格がない。知識も権威もありながら、無責任に動物倫理や人間中心主義批判といって市井の動物愛護・動物尊重思想を扇動してきた結果が今の有り様なのだから。「熊を殺すな」という連中を諌めずに助長させたのが今の有り様なのだから。
民意が行政萎縮の口実を与えている以上、倫理学者は純然たる人殺しの加担者だ。いや、人殺しそのものだ。地方市民は熊に殺されるのではない。人殺しの倫理学者がぬくぬくと擁護し正当化してきた倫理学的規範によって殺戮されるのだ。
October 25, 2025 at 6:10 AM
反差別だのフェミニズムだのポスコロだのインターセクショナリティだのに乗せられて、マイノリティだろうがマジョリティだろうが「建前だけでもいいから誰だろうと相手を人格として尊重しろ」という個人主義的原則を簡単に投げ捨てるからこうなる。
個人主義を投げ捨てた先で個人が尊重されることなどあり得ない。たとえ建前だけだとしても、個人主義は個人を政治的動員の単なる道具として扱うことを防ぐ唯一の予防線なのだから。
October 24, 2025 at 10:05 AM
それこそ小野田紀美議員がアセクシャルを公言している事実を踏まえれば、このいわゆる「腐女子は同性婚に賛同すべき」という言説の途方もない悪質さが明らかになる。マジョリティと全く同じ欲求の充足(この場合は、現実から切り離された二次元創作表現を用いたそれ)をしているにだけのマイノリティに、マジョリティの性的充実活動には絶対に要請されない特異な政治的信条告白を強要しているのだから。
断言するが、いま「腐女子は同性婚に賛同すべき」などとほざいている全ての人間は、きわめて悪質なマイノリティ迫害者である。その他の多くの人間とは根本的に異なる扱いを自明視し、それを「良いこと」とすら思い込んでいるのだから。
「創作上の同性愛描写を愛好する者は現実の同性愛関連政策(同性婚など)に無条件で賛同しなければならない」というカスみたいな意見の何が愚昧で醜悪で低劣かって、その意見が「少女趣味を持っている奴は児童性犯罪予備軍だ」というカスみたいな迫害言説と全く同じ発想に基づいている点ですよ。
創作と現実の必要な垣根を無効化し、創作表現を用いた性的充実を原罪化し、それこそそこでしか欲求を満たせない人々を差別し奴隷化して現実の政治動員の道具にしようとしているわけ。
October 24, 2025 at 9:06 AM
「創作上の同性愛描写を愛好する者は現実の同性愛関連政策(同性婚など)に無条件で賛同しなければならない」というカスみたいな意見の何が愚昧で醜悪で低劣かって、その意見が「少女趣味を持っている奴は児童性犯罪予備軍だ」というカスみたいな迫害言説と全く同じ発想に基づいている点ですよ。
創作と現実の必要な垣根を無効化し、創作表現を用いた性的充実を原罪化し、それこそそこでしか欲求を満たせない人々を差別し奴隷化して現実の政治動員の道具にしようとしているわけ。
October 24, 2025 at 8:58 AM
これ言ったらどこの党もそうだけど、特に今躍進している国民民主党とか特に、オークショットが書いてる「問題のための政治」をやっている感じが強くてちょっと怖いんだよな。政治のために問題を探したり作ったりする政治。若者始め政治に期待感が高まっているけど、そもそも政治にわくわくするなんて碌なもんではない。経済問題はともかくとして、個人の生活の善し悪しや正義を云々するなんて政治の領分じゃないんだから。
October 23, 2025 at 5:46 AM
改めて振り返ると、『ウマ娘』のファン層の広さを実感できたライブだった。もちろん男性ファンが多いのだけど、「圧倒的多数」とは断言できないレベルで女性ファンが闊歩していたし、それこそ見た目カップルで参戦しているらしい人たちも少なからずいた(ちょうど私の後ろの席にも二組ほど陣取っていて、そのうち一組の彼女さんと思しき人がキングヘイロー役佐伯さんのパフォーマンスに歓喜の絶叫を上げておられた)。『ウマ娘』に限らず、こういう風景が現代コンテンツの(特にその若年層による消費の)常識となっていくなら、それはとても喜ばしいことではなかろうか。
#ウマ娘6th
アドマイヤグルーヴ役の鈴木さんがまんまだったのと、ステイゴールド役の松田さんの歌声が気持ち良かったのがダイジェストですね。コールはフィーリングで合わせたが結構楽しかった。冒頭の『うまぴょい伝説』で「コールこんなんなんだ」となった後、最後アンコールの『うまぴょい伝説』で実践できたのも◎。
October 20, 2025 at 2:57 PM
読了。非常に良かった。
以下ネタバレというか個人的な辻褄合わせ。
#接物語
October 20, 2025 at 10:57 AM