BorderのBT-005とBT-050を組んでいて、BT-005は44年春フランスの第2戦車師団(トライデント)の825号車にしたいのです。この時期のヒトラーユーゲントやパンツァーレーアのⅣ号H型初期にはクラッペがついている模様。
8wheels-goodの"PzKpfw IV at the front UPDATE No.4"を読んでもこの辺の記述はなくどなたかご教示頂ければ幸いです。
エンジンとトランスミッションとかその他機材のレイアウトの最適化の結果なのだろうけど、砲弾は一体どう積んでいたのやら。
エンジンとトランスミッションとかその他機材のレイアウトの最適化の結果なのだろうけど、砲弾は一体どう積んでいたのやら。
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まだ5日残ってるけど何かあるかしら?
まだ5日残ってるけど何かあるかしら?
インターロックの位置が違っていてTAKOMが正確でした。流石に設計時期が違うだけあります。
インターロックの位置が違っていてTAKOMが正確でした。流石に設計時期が違うだけあります。
ドイツでもカラーフィルムは当時はカラープリントの手段には乏しく、雑誌のカラー印刷など製版原稿に使われるか家庭でのスライド映写での鑑賞になり、プリントはモノクロデュープの白黒写真に限られた。そのため印刷原稿に使われた公式フィルム以外の兵士が個人で撮影したカラースライドは死蔵され、長らくその存在も知られていなかった。
ドイツでもカラーフィルムは当時はカラープリントの手段には乏しく、雑誌のカラー印刷など製版原稿に使われるか家庭でのスライド映写での鑑賞になり、プリントはモノクロデュープの白黒写真に限られた。そのため印刷原稿に使われた公式フィルム以外の兵士が個人で撮影したカラースライドは死蔵され、長らくその存在も知られていなかった。
ドイツでは1936年にアグファーカラーが実用化され、日常のスナップに使えるくらい普及していた。35mmフィルム36枚撮りのロールが当時価格で(イギリスで)6ペンス、現在価値で25ドルとコダクロームの半分程度の値段だった。ドイツ軍では個人のカメラ所持を禁止していなかったため、戦場にカメラを携帯した兵士がプライベートに撮影していた。
そんな個人コレクションが現在にも残っていてオークションに出されることがある。
ドイツでは1936年にアグファーカラーが実用化され、日常のスナップに使えるくらい普及していた。35mmフィルム36枚撮りのロールが当時価格で(イギリスで)6ペンス、現在価値で25ドルとコダクロームの半分程度の値段だった。ドイツ軍では個人のカメラ所持を禁止していなかったため、戦場にカメラを携帯した兵士がプライベートに撮影していた。
そんな個人コレクションが現在にも残っていてオークションに出されることがある。
アドオンでフェンダーがエッチングで出てましたが…このまま素組みで完成させる予定。
アドオンでフェンダーがエッチングで出てましたが…このまま素組みで完成させる予定。
箱組をするキットは金型のよれ次第で相当違うと再確認。これの最初の経験はタスカのシャーマンVでした。
箱組をするキットは金型のよれ次第で相当違うと再確認。これの最初の経験はタスカのシャーマンVでした。