洸村静樹
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洸村静樹
@seijukomura.bsky.social
2022年仙台短編文学賞プレスアート賞「帰還する光たち」2021年太宰治賞最終候補「三月の子供たち」著者。
最近、好きな言葉は「そうさ100パーセント他力、もう念仏しかないさ」です。
しかし、アホだよなあ、とおもう。人間を代替するものを一生懸命つくるんだから。核と同じでとめられない。それをもったものがもつパワーが絶大だから。10年後には核とAGIで国際秩序が維持されるようになるのだろう。

音楽や、ペインティング、彫刻といった肉体を介在させる芸術は力を失わないだろう。言葉は難しい。人間のプロセスをみせる必要がある。それに作家論やエッセイは価値を持つかもしれない。

アウトプット、結果至上主義の行き止まりだ。ケアという地道なプロセスの価値が高まっていることとも、つながっていくだろう。
October 26, 2025 at 1:21 AM
地上は苦で、無意味で、喜びだ。

ようこそおいでくださいました。と、赤子を取り上げる度に、よねは言い続けたのだろう。

作品につかまれてから数日、作品と共にくらした。長い小説の醍醐味だ。世界を捉える目の精度が高く、文章が瑞々しい。それに触れることの喜びがあった。 

読了し、顔をあげると、犬のように5歳の息子が八月のリビングをはねまわっていた。
August 16, 2025 at 12:20 AM
感性と知力があれば、幼少期は自然にひらかれ、絵、音楽、生物学、天文学と興味をうつしていくことは当然ある。歩の描写に違和感はない。

が、そのあまりに博物的な教養描写に、辟易するひともいるだろうなあ、とも感じた。

北海道の一世紀だが、アイヌは出てこない。母に聞くと戦後しばらくはクラスに1、2人くらいはいたとのこと。

アイヌを扱うと作品がそちらに強く傾くから、意図的にはずしたのだろうか。

ただ、同化政策で透明化してしまった彼らに気づく経験は、少なくとも昭和平成の僕にはなかった。

だからアイヌに会っていても「見えない」から作品に出てこない、という描写はリアルともいえる。結果的に。
August 16, 2025 at 12:18 AM
一人称で舞台、人物、主題を限定することで完全な構造美をもたせた火山のふもとで。

三人称複数視点、北海道、三世代、自然と人文を光という主題でゆるく束ねたような関連テーマすべてを網羅した主題からなる、光の犬。

二つは対照的で、なかなか小説が自分とかみ合うまで時間がかかったのだが、農業学校でバターをつくる顔に傷がある少年のエピソードで掴まれた。北海道には実際、そのような親元で過ごせなかったり不登校の子供たちが再起をはかる学校がある。北星余市高校とか。

歩と始の姉弟は、うちの兄弟の要素をシャッフルしたよう。
August 16, 2025 at 12:14 AM
メッセージ性の強い作品こそ、表現強度が高くなければならない。その観点ではセリフで説明するシーンも多いのだが、作品の目的をかんがえると許容範囲かなと。

多くの被爆者がこの世を去り、原爆は、もはや映画と本でしか、理解できない領域にはいりつつある。精神の劣化を恥じない風潮が著しい今、このような優れた作品が作られたことは希望と感じた。

監督は長崎育ち被爆三世のカソリック。
随所にみられる生活に根付いた信仰の描写は美しく(美しい、としか言いようがない)、それ故の、現実の地獄と不条理。

実存をかけたことがわかる表現でした。
August 10, 2025 at 6:50 AM