この手の記事にありがちなのは「その技術がいつ必要になるか?」が欠けていることです。🇯🇵は2050年までに再エネ5〜6割という目標なので、実は2050年になってもLDESは必要ありません(図参照)。一方、例えば🇬🇧では2030年に再エネ約8割の目標があるので、あと5年で必要になります。どちらの国で市場が育つでしょうか?
日本は蓄電池(そして今回LDES)の議論が大好きですが、それをお家芸として発展させようとしても、現在の🇯🇵の低い再エネ目標では出番がなく、出番じゃないのに補助金で無理に導入すると、それこそ「国民負担」となります。
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この手の記事にありがちなのは「その技術がいつ必要になるか?」が欠けていることです。🇯🇵は2050年までに再エネ5〜6割という目標なので、実は2050年になってもLDESは必要ありません(図参照)。一方、例えば🇬🇧では2030年に再エネ約8割の目標があるので、あと5年で必要になります。どちらの国で市場が育つでしょうか?
日本は蓄電池(そして今回LDES)の議論が大好きですが、それをお家芸として発展させようとしても、現在の🇯🇵の低い再エネ目標では出番がなく、出番じゃないのに補助金で無理に導入すると、それこそ「国民負担」となります。
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この傘さし率、🏴より🏴の方が高いような気がします。🏴ではすぐ傘をさすのはアジア系くらいという印象ですが、🏴では欧州大陸や北米からの観光客と思しき人々も折り畳み傘をさしてたりします。私もこちらに来る前にアイルランドの知人から「🏴に住むなら傘は絶対必需品だ」と真顔で言われたくらい。妙に説得力あるw。🏴はいつもぐずぐず雨が降ってます。
この傘さし率、🏴より🏴の方が高いような気がします。🏴ではすぐ傘をさすのはアジア系くらいという印象ですが、🏴では欧州大陸や北米からの観光客と思しき人々も折り畳み傘をさしてたりします。私もこちらに来る前にアイルランドの知人から「🏴に住むなら傘は絶対必需品だ」と真顔で言われたくらい。妙に説得力あるw。🏴はいつもぐずぐず雨が降ってます。
ただし、年中ぐずぐず雨が降ってるウェットな気候が幸いしてか、冬でも湿度が高いため、空気がしっとり温かく感じられ、🇯🇵の太平洋岸のように肌に刺すようなしんしんとした冷え込み感はありません。そしてぐずぐず天気ですが、降水量は多くないので、雪は殆ど降らない。割と絶妙なバランス。
普段はメキシコ暖流のおかげで、今日みたいに零下になることもあまり多くなく、思ったより寒くないです。むしろ肌感覚としては、京都よりマシな感じ。まあ、日の出が遅く日の入が早く一日中どよんと暗いのはしゃーないけど。
ただし、年中ぐずぐず雨が降ってるウェットな気候が幸いしてか、冬でも湿度が高いため、空気がしっとり温かく感じられ、🇯🇵の太平洋岸のように肌に刺すようなしんしんとした冷え込み感はありません。そしてぐずぐず天気ですが、降水量は多くないので、雪は殆ど降らない。割と絶妙なバランス。
普段はメキシコ暖流のおかげで、今日みたいに零下になることもあまり多くなく、思ったより寒くないです。むしろ肌感覚としては、京都よりマシな感じ。まあ、日の出が遅く日の入が早く一日中どよんと暗いのはしゃーないけど。
なんでせっかく脱炭素・再エネ大国デンマークに来てるのに、そして飛行機や車ではなく鉄道を選択してるのに、ガス臭い不快な環境に数時間我慢して二酸化炭素排出に加担せなあかんの…。
この点は🇩🇰の方に聞いても大抵「いや〜、あっはっは…」とを泳がせてあまり議論が進展しない。みんな鉄道に対する信頼が殆どない。なんでや。(これは🇬🇧も🇩🇪も同じ。)
この分野こそ🇯🇵が誇れる点なので、ぜひ脱炭素の観点から日本の技術やシステムを大いにアピールして世界をリードしてもらいたいと思います。
なんでせっかく脱炭素・再エネ大国デンマークに来てるのに、そして飛行機や車ではなく鉄道を選択してるのに、ガス臭い不快な環境に数時間我慢して二酸化炭素排出に加担せなあかんの…。
この点は🇩🇰の方に聞いても大抵「いや〜、あっはっは…」とを泳がせてあまり議論が進展しない。みんな鉄道に対する信頼が殆どない。なんでや。(これは🇬🇧も🇩🇪も同じ。)
この分野こそ🇯🇵が誇れる点なので、ぜひ脱炭素の観点から日本の技術やシステムを大いにアピールして世界をリードしてもらいたいと思います。
以前も書きましたが、日本の会議や委員会は事務局がしっかりしてて(なんなら台本まで用意してくれるところも)、予定調和のしゃんしゃん会議が多いけど、国際委員会は波乱万丈で先が読めない荒波の中に漕ぎいでる船のようで、それを巧みにコントロールして着地点を見つけるのが委員長としての責務であり醍醐味。
(写真は関係者の同意を経て公開)
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以前も書きましたが、日本の会議や委員会は事務局がしっかりしてて(なんなら台本まで用意してくれるところも)、予定調和のしゃんしゃん会議が多いけど、国際委員会は波乱万丈で先が読めない荒波の中に漕ぎいでる船のようで、それを巧みにコントロールして着地点を見つけるのが委員長としての責務であり醍醐味。
(写真は関係者の同意を経て公開)
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本日が山場。議長の立場としては、荒くれ者の船員を従えながら、嵐の海に漕ぎいでるような気分で、無事合意形成できるか気を揉んでます。
国際的には現在COPが開催され注目を集めてますが、それよりは随分小さい会合で実務的ですが、こういう地道な国際交渉の場もあり、地道に頑張ってます。
本日が山場。議長の立場としては、荒くれ者の船員を従えながら、嵐の海に漕ぎいでるような気分で、無事合意形成できるか気を揉んでます。
国際的には現在COPが開催され注目を集めてますが、それよりは随分小さい会合で実務的ですが、こういう地道な国際交渉の場もあり、地道に頑張ってます。
オランダは消費電力量に対する風力+太陽光の発電電力量が約50%に達しています。狭い国なのに。狭い国だからこそ。
www.iea.org/countries/th...
(注: リンクのページの比率は総発電電力量に対する比率だから、輸出入等を考慮すると、数値が違うことに留意。)
オランダは消費電力量に対する風力+太陽光の発電電力量が約50%に達しています。狭い国なのに。狭い国だからこそ。
www.iea.org/countries/th...
(注: リンクのページの比率は総発電電力量に対する比率だから、輸出入等を考慮すると、数値が違うことに留意。)
「万博は成功した」と言ってる人たちは濡れ手に泡で国民・府民の税金を掠め取ってほくそ笑んでいる人たちに違いない。
「万博は成功した」と言ってる人たちは濡れ手に泡で国民・府民の税金を掠め取ってほくそ笑んでいる人たちに違いない。
もしかしたら多くの日本の方が、このような情報に接してまず「無理だ」「できない」「荒唐無稽だ」という反論をするかもしれません。それはひとえに「ふんわり情報統制」によって国際情報が国民に「知らされていない」からです。
例えば同じ狭い島国であるユーラシア大陸の反対側の国では、このWEO NZEシナリオより数年前倒しの目標で再エネ超大量導入・ネットゼロを進めています。このような情報がないと、簡単に「無理だ」となってしまいがちです。
結局のところ「できないできない」と言い訳ばかりしてる国は100年かかっても実現できず、「いや、できるよ」と言う国はあと数年で出来ます。それが世界の現実。
もしかしたら多くの日本の方が、このような情報に接してまず「無理だ」「できない」「荒唐無稽だ」という反論をするかもしれません。それはひとえに「ふんわり情報統制」によって国際情報が国民に「知らされていない」からです。
例えば同じ狭い島国であるユーラシア大陸の反対側の国では、このWEO NZEシナリオより数年前倒しの目標で再エネ超大量導入・ネットゼロを進めています。このような情報がないと、簡単に「無理だ」となってしまいがちです。
結局のところ「できないできない」と言い訳ばかりしてる国は100年かかっても実現できず、「いや、できるよ」と言う国はあと数年で出来ます。それが世界の現実。
2050年に世界の電源構成に占める再エネの比率が約9割なのは前からですが、今年は2035年の予測が新たに加わりました。あと10年でここまで持ってかないと。
この画像はCC-BY 4.0なので(元のIEAの報告書も同様)、どなたでもご自由にお使い下さい。こういう情報が日本に足りない。
2050年に世界の電源構成に占める再エネの比率が約9割なのは前からですが、今年は2035年の予測が新たに加わりました。あと10年でここまで持ってかないと。
この画像はCC-BY 4.0なので(元のIEAの報告書も同様)、どなたでもご自由にお使い下さい。こういう情報が日本に足りない。
iea.blob.core.windows.net/assets/5306b...
まずはNZE (Net Zero Emission)シナリオをチェック。
2050年の世界の電源構成に占める再エネの比率は89%で、昨年のWEO2024より更に1ポイントアップ。2035年には(すなわちあと10年で)76%、というシナリオ。
…という情報が世界中誰もが無料でDLできる資料に載ってるのですが、さーて、日本ではこの情報がちゃんと報道されるでしょうか?
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まずはNZE (Net Zero Emission)シナリオをチェック。
2050年の世界の電源構成に占める再エネの比率は89%で、昨年のWEO2024より更に1ポイントアップ。2035年には(すなわちあと10年で)76%、というシナリオ。
…という情報が世界中誰もが無料でDLできる資料に載ってるのですが、さーて、日本ではこの情報がちゃんと報道されるでしょうか?
ていうか、ハロウィンというより、夏時間が終わったら日が暮れるのがズドンと早くなるので(この時期はもう4時前に暗くなり始める)、賑やかな明るい光で長い長い暗闇に耐えるのかも…という割と切実な環境を身をもって体験してます。まあ私自身は、明るくても暗くても、5時ダッシュでうほほーいとパブに行ってエールを飲めれば年中シアワセですが。これから1ヵ月半、街はこんな感じでクリスマス気分です。
ていうか、ハロウィンというより、夏時間が終わったら日が暮れるのがズドンと早くなるので(この時期はもう4時前に暗くなり始める)、賑やかな明るい光で長い長い暗闇に耐えるのかも…という割と切実な環境を身をもって体験してます。まあ私自身は、明るくても暗くても、5時ダッシュでうほほーいとパブに行ってエールを飲めれば年中シアワセですが。これから1ヵ月半、街はこんな感じでクリスマス気分です。
ガイ・フォークスはもともと17世紀初頭の国王暗殺未遂犯で、花火の由来も未遂を祝うためだったようですが、今やアノニマスのお面で知られるように反権力の象徴みたいに変容し、お祭りも単なる賑やかな花火大会の様相。
花火大会と言っても日本のように一つの会場で何百発も打ち上げるのではなく、スタジアムとか公園とかあちこちから散発的に打ち上がるので、ポンポンドドンと音は360°サラウンドなのに、音に振り向くと(当然ながら)光は見えない。小一時間歩き回ってよーやく取れたまともな写真がコレ。これもまた趣き。
ガイ・フォークスはもともと17世紀初頭の国王暗殺未遂犯で、花火の由来も未遂を祝うためだったようですが、今やアノニマスのお面で知られるように反権力の象徴みたいに変容し、お祭りも単なる賑やかな花火大会の様相。
花火大会と言っても日本のように一つの会場で何百発も打ち上げるのではなく、スタジアムとか公園とかあちこちから散発的に打ち上がるので、ポンポンドドンと音は360°サラウンドなのに、音に振り向くと(当然ながら)光は見えない。小一時間歩き回ってよーやく取れたまともな写真がコレ。これもまた趣き。
番組の最後の方でお伝えした、フェイクニュースや非科学ナラティブに引き摺り込まれない情報収集の仕方をご紹介。このスライドは今まで未公開で、今回お初です。
スポーツに例えてみると分かりやすいですが、科学の場合、多くの方が何故か第1段階で一家言持って声高に「主張」をする方が多く、それを多くの人が信じてしまうという不思議な現象が起こってます。それって、野球中継のヤフコメ欄やサッカーのフーリガンの言動で審判のジャッジが左右されたりスポーツ界の将来を決めるみたいで、とてもヤバい状況ですよ…。
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番組の最後の方でお伝えした、フェイクニュースや非科学ナラティブに引き摺り込まれない情報収集の仕方をご紹介。このスライドは今まで未公開で、今回お初です。
スポーツに例えてみると分かりやすいですが、科学の場合、多くの方が何故か第1段階で一家言持って声高に「主張」をする方が多く、それを多くの人が信じてしまうという不思議な現象が起こってます。それって、野球中継のヤフコメ欄やサッカーのフーリガンの言動で審判のジャッジが左右されたりスポーツ界の将来を決めるみたいで、とてもヤバい状況ですよ…。
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科学は「探求の営み」であり、ボタンを押せば答が出てくる自動販売機ではなく、そもそも不確実性を内包するものという点は既に述べました。
その不確実性を無視して科学万能視や科学不信感の0か1かの1ビット思考に陥ると、勇ましい断定調に引っかかり易くなります。
勇ましい断定調は多くの人を魅了しますが、そもそも「科学万能視」に起因している場合が多く、それ自体科学的方法論から逸脱しています。
このチェックリストは、勇ましい断定調への反論のために作られたものですが、同時にご自身が沼に引きずり込まれないための護符としてお使い下さい。
科学は「探求の営み」であり、ボタンを押せば答が出てくる自動販売機ではなく、そもそも不確実性を内包するものという点は既に述べました。
その不確実性を無視して科学万能視や科学不信感の0か1かの1ビット思考に陥ると、勇ましい断定調に引っかかり易くなります。
勇ましい断定調は多くの人を魅了しますが、そもそも「科学万能視」に起因している場合が多く、それ自体科学的方法論から逸脱しています。
このチェックリストは、勇ましい断定調への反論のために作られたものですが、同時にご自身が沼に引きずり込まれないための護符としてお使い下さい。
動画では非科学ナラティブでよく登場する「藁人形論法」の(非)論理構造についてもご紹介。
藁人形論法は多くの場合、嘲笑や冷笑とセットで登場し、話者の悪意や攻撃性を伴う場合もあります。「はい論破」などの短時間劇場型寸劇で多用され、沈思黙考や熟慮がますます軽んじられる風潮を再生産します。
瞬間芸的な言い換えや連想ゲーム、拡大解釈が「論理的」だと勘違いしてる人も多く、非論理性を指摘すると逆上するパターンもよく見られます。多くの人にとって共感しやすい拡大解釈が恣意的に選択され、沼に引きずり込まれやすい構造です。この構造を知っておくと転ばぬ先の杖になります。
動画では非科学ナラティブでよく登場する「藁人形論法」の(非)論理構造についてもご紹介。
藁人形論法は多くの場合、嘲笑や冷笑とセットで登場し、話者の悪意や攻撃性を伴う場合もあります。「はい論破」などの短時間劇場型寸劇で多用され、沈思黙考や熟慮がますます軽んじられる風潮を再生産します。
瞬間芸的な言い換えや連想ゲーム、拡大解釈が「論理的」だと勘違いしてる人も多く、非論理性を指摘すると逆上するパターンもよく見られます。多くの人にとって共感しやすい拡大解釈が恣意的に選択され、沼に引きずり込まれやすい構造です。この構造を知っておくと転ばぬ先の杖になります。
「科学における不確実性」を認識するのは必要だけど、それだけでは何も解決せずモヤモヤが残るだけやーん!というお声もよく頂きます。ここは敢えて、そのモヤモヤをホールドして結論を急がない、ということをお勧めします。
「結論を急がない」ということは、思考停止をすることではありません。
むしろコスパやタイパという名の元に話を単純化して勇ましい断定調で結論を急ぐほど、却って思考停止になり問題解決から遠ざかるリスクがあります。
モヤモヤをホールドしながら、それでも「探究の営み」をやめず前に進む…というのが本来の科学の姿勢です。それはネガティブケイパビリティもと言われます。
「科学における不確実性」を認識するのは必要だけど、それだけでは何も解決せずモヤモヤが残るだけやーん!というお声もよく頂きます。ここは敢えて、そのモヤモヤをホールドして結論を急がない、ということをお勧めします。
「結論を急がない」ということは、思考停止をすることではありません。
むしろコスパやタイパという名の元に話を単純化して勇ましい断定調で結論を急ぐほど、却って思考停止になり問題解決から遠ざかるリスクがあります。
モヤモヤをホールドしながら、それでも「探究の営み」をやめず前に進む…というのが本来の科学の姿勢です。それはネガティブケイパビリティもと言われます。
一方、科学は本来、万能視されるべきものではなく、書き換え可能性や反証可能性があるのですが (探究の営みだから)、無自覚に「科学万能視」に染まっていると、ちょっとでも不確実性に触れた瞬間、科学に絶望したり嘲笑や冷笑をし始め、科学不信や科学否定に転落し易くなります。
フェイクニュースや非科学ナラティブの殆どが、不確実性を無視するが故の極端思考から来ており、この構造を知ることが重要です。
一方、科学は本来、万能視されるべきものではなく、書き換え可能性や反証可能性があるのですが (探究の営みだから)、無自覚に「科学万能視」に染まっていると、ちょっとでも不確実性に触れた瞬間、科学に絶望したり嘲笑や冷笑をし始め、科学不信や科学否定に転落し易くなります。
フェイクニュースや非科学ナラティブの殆どが、不確実性を無視するが故の極端思考から来ており、この構造を知ることが重要です。
フェイクニュースの発生構造の解明のためには「科学とは何か?」という根本的問いから始めなければなりません。
「科学技術立国」であるはずの日本において、科学が国全体で盛大に勘違いされています。「科学で何でも解決できる」という科学万能視の考え方がある一方、「科学で何でも解決できると思うなよ」というニヒリズム的な声もあり、0か1の極端思考に多くの人が汚染されています。
科学とは、辞書的には「探究の営み」とある通り、結果ではなく方法論を指し、無限遠点にある真実に到達しようとする希求行為です。そこには「不確実性」(まだ解らないもの)が存在します。
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フェイクニュースの発生構造の解明のためには「科学とは何か?」という根本的問いから始めなければなりません。
「科学技術立国」であるはずの日本において、科学が国全体で盛大に勘違いされています。「科学で何でも解決できる」という科学万能視の考え方がある一方、「科学で何でも解決できると思うなよ」というニヒリズム的な声もあり、0か1の極端思考に多くの人が汚染されています。
科学とは、辞書的には「探究の営み」とある通り、結果ではなく方法論を指し、無限遠点にある真実に到達しようとする希求行為です。そこには「不確実性」(まだ解らないもの)が存在します。
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番組では0か1の極端思考(1ビット思考)についてお話しました。本来は、科学的エビデンスと科学的方法論に基づいて合意形成をするのが議論のあり方です。
しかし現在では多くの国で、0か1の極端思考で世論を分断し、混乱に乗じて利益を掠め取ろうとする人たちもいて、残念ながらSNSのおかげで「普通の人たち」にもその極端思考が蔓延しつつある、というのが現状です。
議論は自分が好きか/嫌いか、自分と同じ意見か/違うか、という観点は、多くは人々の良心や素朴な感情が発露で、それ自体は悪くはないものの、それが悪用されやすいという構造を知っておく必要があります。
番組では0か1の極端思考(1ビット思考)についてお話しました。本来は、科学的エビデンスと科学的方法論に基づいて合意形成をするのが議論のあり方です。
しかし現在では多くの国で、0か1の極端思考で世論を分断し、混乱に乗じて利益を掠め取ろうとする人たちもいて、残念ながらSNSのおかげで「普通の人たち」にもその極端思考が蔓延しつつある、というのが現状です。
議論は自分が好きか/嫌いか、自分と同じ意見か/違うか、という観点は、多くは人々の良心や素朴な感情が発露で、それ自体は悪くはないものの、それが悪用されやすいという構造を知っておく必要があります。
ただし、ここにはちょっとしたオチがあり、再エネ補助金は電力消費者が払うものの、ガス消費者は補助金を払わず多くの便益を受け取っており、便益の再分配に歪みがあることです。
再エネの便益は直接的に目に見えるわけではなく、このように分析しないと出てきません。それ故「再エネのせいで電気代が高くなっている!」というデマが生じやすいという構造は、日本でも同じです。
ただし、ここにはちょっとしたオチがあり、再エネ補助金は電力消費者が払うものの、ガス消費者は補助金を払わず多くの便益を受け取っており、便益の再分配に歪みがあることです。
再エネの便益は直接的に目に見えるわけではなく、このように分析しないと出てきません。それ故「再エネのせいで電気代が高くなっている!」というデマが生じやすいという構造は、日本でも同じです。
例えば、日本では湿原に隣接したメガソーラー開発が問題視されていますが、それは特称命題に属します。多くの方はそこから論理飛躍した連想ゲームで、容易に全称命題に飛躍させます。つまり、「あそこのメガソーラーは問題だ」→「日本にはメガソーラーは要らない!」という飛躍です。
このような論理飛躍は、意図的な世論分断を煽る際によく使われる手口で、人々の良心や感情に訴えかけ、それを悪用します。この非論理の「構造」を知っておくと、そのような主張から距離を置くことができます。
例えば、日本では湿原に隣接したメガソーラー開発が問題視されていますが、それは特称命題に属します。多くの方はそこから論理飛躍した連想ゲームで、容易に全称命題に飛躍させます。つまり、「あそこのメガソーラーは問題だ」→「日本にはメガソーラーは要らない!」という飛躍です。
このような論理飛躍は、意図的な世論分断を煽る際によく使われる手口で、人々の良心や感情に訴えかけ、それを悪用します。この非論理の「構造」を知っておくと、そのような主張から距離を置くことができます。
メディアさんからよく「日本で再エネがなかなか進まない理由はなんですか?」と質問されますが、私としては(というより国際認識としては)、「再エネの技術的課題ではなく、人々のマインドセットの問題だ」、とお答えしています。
特に日本で (今年になってから米国でも) マインドセットの歪みは深刻で、多くの日本の方が適切な科学的情報を「知らされていない」状態にあります。これを私は「ふんわり情報統制」と名付けています。再エネがなかなか進まないマインドセットの歪みの理由はスライドのように8つに分類されます。
メディアさんからよく「日本で再エネがなかなか進まない理由はなんですか?」と質問されますが、私としては(というより国際認識としては)、「再エネの技術的課題ではなく、人々のマインドセットの問題だ」、とお答えしています。
特に日本で (今年になってから米国でも) マインドセットの歪みは深刻で、多くの日本の方が適切な科学的情報を「知らされていない」状態にあります。これを私は「ふんわり情報統制」と名付けています。再エネがなかなか進まないマインドセットの歪みの理由はスライドのように8つに分類されます。