スドー
@stdaux.bsky.social
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精神と体力の衰えを感じる今日この頃
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環境問題とかと同じで、全体最適と部分最適が一致しないというか。良識を持たない方が強いゲームになっている
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「嫌いな相手、意見や利害の合わない相手とも調整してどうにかやっていきましょう」が政治に求められる課題だと思うのだが、得票効率を考えると「あそこに敵がいますね!皆さんあいつムカつきますよね??」と煽ったほうがよく、ここに民主制の欠陥があるように思う
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「販促用の新規イラストは無報酬であるべきか」といったネタが何度もSNSで炎上するけど、これも分界の話だと思うんじゃよね
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小説は1人でも書けるが、漫画は原作者をつけたりアシスタントを使うことも多く、アニメは必然的に大勢で作業を分担することになる。「利益と責任の分界」みたいな話がクリエイターにおいても重要であるわけだが、なんかこのへんきっちり理論化したいよなーということをずっと考えている
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他方で、私がいうのもポジショントークめいてるが、訴訟経験が豊富で動きが早い、いわゆる「強い」弁護士というのは一匹狼であることが多く、依頼者視点で見るとここはたいへんに悩ましい。大規模事務所に依頼すると、豪華な都心オフィスや美人秘書や壁の名画のコストも上乗せして請求されることになるし
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ただ、依頼者視点で見ると、かっちり組織化してくれていたほうが安心できるというのはわかる。昨今、弁護士による横領がニュースとなっているが、逮捕されたとしてもその後に被害者に賠償されるのか。弁護士法人であれば他のパートナーが連帯責任を負ってくれるだろうが、1人事務所だとそうもいかない
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そういう人間関係や政治を嫌って、一人や少数で事務所をもつ人が多い。私もそうで、そもそも会社員だの公務員だのが嫌だから弁護士をやっているのに、なぜ組織に身を置こうとするのかという話である
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パートナー制をとる場合、法人化して「弁護士法人」を立てる方法と、民法上の任意組合を結成する方法がある。任意組合はアニメなんかの「製作委員会」方式と一緒だ。税務上の有利不利があり、大規模事務所では「法人としてのA事務所」と「組合としてのA事務所」を使い分けているところもある
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パートナーの中でも「格」があり、事務所の創業メンバーや貢献度の高い者はネーミングパートナーとして事務所名に表示されることが多い。「長島・大野・常松法律事務所」みたいなやつ。弁護士は出世競争とはあまりかかわりがないが、大規模事務所では「アソシエイトから出発してネーミングパートナーを目指す」というのが一応の出世ストーリーということになる
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大規模事務所では、少数の幹部がパートナー制をとった上で、実務を担当する若手弁護士(イソ弁、ちょっと気取ってアソシエイトとも言う)を雇う。税理士や会計士なんかと同じですね。アソシエイトは固定給だが、パートナーは事務所の売上に比例して取り分が発生するため収入は天井知らずとなる
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複数人がいる事務所の場合、次のようなパターンがある。
1) 誰か1人がボスとなり、他はボスに雇われている(ボス弁/イソ弁)
2) 誰か1人がボスとなり、他はボスに家賃を払って同居させてもらう(ボス弁/ノキ弁)
3) 全員が共同経営者となる(パートナー制)

安定性でいうと1, 2が高く、3は上記の金の問題から崩壊しやすい
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弁護士は1人でも事務所をもてる。2人以上で開くこともあるが、その場合にはどのような関係にするかが論点となる。家賃などの事務所経費は折半にするのか、売上比例にするかとか。同じくらい稼いでいるうちは問題ないが、一方が売れっ子になって他方がさほどという状況だと苦しい。うまくすり合わせないと、金の問題から感情的対立に至って分解する
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数々の要因はあれど、最後のトドメになったのはコロナの気がする。あれはコミュニティを破壊する病気だった
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この分断と憎悪の世紀に友愛をどう構築していくかというのはかなり難しい話で、もはや我々は同じ人種や宗教や国籍の者であっても友愛をもてない。理性に基づく対話はSNSのレスバに堕し、歴史や伝統に基づく共同体も壊しきってしまった
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フランス革命が自由・平等・友愛をスローガンにしていたのはそれなりに理由があり、友愛がミソであるわけです
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自由と平等って実は結構相性の悪い概念で、それを調整してきたのが20世紀だったんだけど、今は悪い意味で自由がすごく『正しい』こととされてる時代だと思う。
もっと平等を!
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「来いよ 行くよ」って死者視点なのかな……
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100点満点ではないにせよ、女性総理の前例はできた。壁に穴があき、次はもっと通りやすくなるのだから、今度はより理想に近い候補を応援するというのが建設的な考え方なのであろう
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21世紀の「灰色の男たち」は、時間効率一本槍ではなく、個性や教養や文化資本を含めて人生を多角的にマーケティングするよう求めるのだろうし、廃墟に住む風変わりな浮浪児の女の子も簡単にSNSアイドルにできるのだろう
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『モモ』では効率を求める資本主義と人生の豊かさとが対比されてたわけだが、こと現代に至っては後者が前者に取り込まれた感がある。料理なり旅行なりといった人生を楽しむ余暇、日々の思いつきや冗談すらも「SNSでバズる手段」であり、マーケットを巧みに泳ぎ抜く戦略になってしまう
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エンデの『モモ』を読み返していたのだが、観光ガイドのジジは今どきならSNSのインフルエンサーになっていたのだろうなと思う。人気を維持するため言いたくないことも言い、ネタが枯渇して同じ話を蒸し返し、何のために何を話しているのかわからなくなってしまう
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善き法について考える訓練を受ける機会など人生にそうそうない。強いて言えば学校の校則とかだろうか? それも、盲目的に従うばかりで、ルールの妥当性を批判的に検討することは求められてないような気がする
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保護法益の想定は妥当か。行為の禁止範囲は適切に設定されているか。守るべき利益と、威嚇のための刑罰の重さはバランスがとれているか。こういうのが「善き法」を考えるうえで重要であり、崩れると悪法となってしまうわけであるが
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堕胎や自殺幇助も刑法上の罪だが、自己決定権との間で緊張関係がある
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では、わいせつ物頒布や賭博罪の保護法益は何か。ここらへんになってくると少し微妙で、社会の善良な風俗を守るためなどと説明される(風俗犯)。社会風俗を守るために刑罰で脅して個人の自由を制限するのはどうなのよ、というような議論があったりする
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法がある行為を禁止するとき、その禁止によってどんな利益を守ろうとしているのか。これを保護法益という。殺人が処罰されるのは人の生命を守るためだし、窃盗が禁止されるのは財産権を守るため。このへんはわかりやすい